一、山里の姫(一)

 麗らかな四月の風が、桜の花弁を散らして飛んで行く。雲雀の声が青空を渡り、太陽は優しく世界を照らす。

 そんな縁側で、少女が茶を飲んでいた。歳は十五、六程だろうか。燃えるような紅い長髪と瞳をしている。

「平和ねぇ……」

 ぽかぽかした陽気の中、どこからか春の匂いがする。庭には蓮華草、縁側には菓子、そして軒先には猪。

「やっぱり、一仕事した後のお茶は美味しいわ」

「そうですね」

 傍にいた妙齢の女性は、長い黒髪を揺らして笑った。

「大福おかわり」

「駄目ですよ、宝劉ほうりゅう様。本日はもう三つも召し上がっているではありませんか」

 少女の名は宝劉という。世話役の言葉に不満気な顔をした。

彩香さいこうのけち」

「甘味の食べ過ぎは、御身体に毒ですから」

 彩香と呼ばれた女性は穏やかに返す。王女である宝劉の健康を守るのも、彼女の仕事だ。

 宝劉は息をついて、屋敷の庭を眺めた。

「平和ねぇ……」

 鹿威しがカン、と音をたてる。雲雀がまた、どこかで鳴いた。

 心地良い沈黙を破ったのは、玄関から叫ぶ男の声だ。

「姫さーん! いるかね!」

 彩香がすぐに立ち上がり、玄関へ向かう。宝劉も湯呑を盆に置き、それに続いた。

「あら里長さん、どうしたの?」

 訪ねてきたのは、この里の長だった。鍬を担ぎ、何やら神妙な面持ちをしている。

「今さっき、怪しい奴が里に来てな。男衆で縛り上げたんじゃが、姫さんに会わせろと言うんじゃよ」

「私に?」

「ああ。白い髪をした妙な男でな。刀を差して、馬に乗っておった。姫さんの知り合いかね?」

「ええ、多分ね……」

 こんな山奥まで宝劉を訪ねてくる白髪の男性といえば、彼しかいないだろう。

「行きたくないわ」

 嫌な顔をする宝劉に、彩香が困った表情になる。

「お気持ちは分かりますが、行かれた方が良いかと存じます」

「やだー。行かないー。会いたくないー」

 城からの使者が来た理由は、何となく察しがついた。だからこそ顔を合わせたくないのだ。

「殿下、わがままは良くありませんわ」

「だってぇ……」

「宝劉様、あの方は遠路はるばる、ここまでいらしたのですよ」

 彩香が説得する事四半刻、宝劉はやっと重い腰を上げた。

「分かったわよ。行けばいいんでしょ、行けば」

 草履を履き、里長に連れられて里の入り口へ行く。

 そこには、縛り上げられ刀を取られた青年が、村の男たちに囲まれていた。傍には彼の愛馬も捕らわれている。

「宝劉様!」

 青年は宝劉の姿を見ると、深々と頭を下げた。

「頭を上げていいわよ、舜䋝しゅんえい

 宝劉はため息交じりに言った。彼が来たという事は、ここでの平和な生活も終わりなのだろう。

 青年は顔を上げる。年齢は十七、八程で、束ねた長髪は真っ白い。捕えられ囲まれているにも関わらず、暴れもせずに落ち着いていた。

「姫さんの知り合いかね?」

「ええ、幼馴染なの。縄を解いてあげてくれる?」

 宝劉の言葉を受け、村の大人は舜䋝を解放した。

 青年は即座に、宝劉に向かって拝礼する。

「ご無沙汰しております、宝劉殿下」

「やっほー舜䋝。聞きたくないけど訊いてあげるわ。私に何か御用?」

「はい。陛下のご命令により、あなたをお迎えに上がりました。城に連れ戻せとの事です」

「嫌よ!」

 宝劉は即答した。

「私は帰らないわ、あんな狭っ苦しい所」

「しかし宝劉様……」

 二人のやり取りを見聞きしていた村人たちが、ざわざわし始める。みな怪訝そうな顔をして、宝劉をちらちらと見た。

「……姫さん……あんた本物の姫さんだったんか……」

 とある村人の正直な呟きに、宝劉はがくっとする。

「最初に言ったじゃない! 私はこの国の王女です、紅色の髪と眼は王家の証だって」

「しかしなぁ……」

 村人たちは互いに顔を見合わせる。

「本物の姫様ってえのは、猪狩ったりしねぇべ?」

「牛引いて畑仕事したりも」

「ガチンコで魚採ったりもしねえ」

 言葉の弓矢が宝劉の胸に刺さる。しかしそんな事には気が付かず、村人たちは口々に言う。

「木刀振り回したりも」

「崖の上から川に飛び込んだりも、しねぇよなあ」

「あとあれだ、祭の時に……」

「もういいわよ!」

 宝劉は顔を真っ赤にして言った。確かにすべて本当の事だが、改めて言われると恥ずかしいし、微妙に傷つく。

 自分が王家の娘らしくないことは、宝劉も自覚していた。

「私は、王女である前に私だもの。私らしくいたいわ」

 ぶすっとして言うと、隣の舜䋝が声を上げて笑った。

「相変わらずですね、宝劉様」

「お陰様で」

 二年間離れていたとはいえ、お互いによく知った仲だ。宝劉がいかにお転婆か、舜䋝は分かりきっていた。

「殿下、城に帰りましょう。陛下が待っておられます」

「嫌よ。私は帰らないわ。城なんかよりこの里の方が、私に合っているもの」

「そうおっしゃると思いましたので……」

 舜䋝は懐をがさがさあさり、一通の手紙を取り出した。赤い封筒。勅書の証である。

「陛下から預かって参りました。宝劉様に宛てたものです」

 宝劉は仕方なくそれを受け取る。広げてみると、懐かしい文字が並んでいた。


『 かわいい宝花へ


 お元気ですか。兄様は元気です。先月は十五日くらいしか寝込んでいません。健康管理の成果が出たかな。

 でも、もう二年も宝花の顔を見ていません。顔が見たいので帰って来て下さい。兄様は寂しいです。寂しくて寂しくて胸が痛くて、死んでしまいそうです。

 帰っておいで。待ってるからね。

                              飛劉     』


 読み終わった宝劉は、深い溜息をついた。

 一体全体世の中のどこに、寂しさが理由で命を落とす者がいるのか。兎でもあるまいし、神だってそんな理由では死なないだろう。

「でも兄様の場合、洒落にならないのよね……」

 国民にはあまり知られていないが、今の朱倭国国王飛劉陛下は、かなり病弱でいらっしゃる。風が吹いたらくしゃみをなさり、雨が降ったらお風邪をめす。台風など来ようものなら、何日も熱で寝込んでしまわれる。

 そんな調子なので、宝劉が心配するのも無理はなかった。

 そして、言葉柔らかく妹に宛てたものとはいえ、これは立派な勅書である。その言葉は王の命令であり、逆らう事は許されない。

「……影武者を探して、私の代わりに送ったらどうかしら」

「バレますね」

「怒られるでしょうね」

 宝劉の提案に、彩香と舜䋝の答えは冷たい。

「じゃあ、重い病気に罹っているから帰れませーん、は?」

「陛下にご心配をおかけするのは、感心しませんね」

「逆に主上が、重い病気に罹ってしまわれるのでは……」

 二人の言う事はもっともだ。もっともすぎて反論できない。

「じゃあもう、帰るふりして逃げちゃいましょうよ」

「それだけはなりません」

「陛下が悲しまれますよ」

「……」

「殿下、本当はちゃんと、お分かりになっているのではありませんか?」

 彩香が静かに問う。

「なぜ迎えが来たのかも、もう、逃げてはいられない事も」

「……」

 図星を指された宝劉は、返す言葉も無く押し黙る。

 彩香の言う通り、頭のどこかでは分かっていた。兄が迎えをよこしたのは、将来を考え、宝劉を国政に関わらせるためだ。先日十六歳の誕生日も迎えたし、もうそろそろ、純粋な「子ども」ではいられない。

「……ああもう、分かったわよ! 帰ればいいんでしょ、帰れば!」

 やはり、この立場からは逃げられない。宝劉は、自棄になってそう言った。

 勅書まで送られてはもう、逆らう術はない。兄の命令通り、あの城へ帰るしかなさそうだった。

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