第31話

 将太が逮捕された翌日。律は自分の事務所で愛奈から話を聞いていた。


「それで、松谷将太の前世は、前世で君を殺した犯人で間違いないんだね?」


「はい。前世ではスミカという名前の女性でしたけど」


 どこか寂しそうに俯く愛奈に、律は優しい手付きで彼女の頭を撫でた。


「君の幼馴染みは、本当に君のことを愛していたんだね」


「愛してる……ですか。私にはただの依存にしか思えません。だって、本当に愛して

いるのなら、その人の幸せを願えるはずでしょう? 私は二度命を狙われた。それが愛ゆえのものなら、愛なんていらない」


 愛奈がそう震えた声で話す。二度も殺されかけた愛奈にとって、愛とは恐怖の対象になり得ないのだろう。


「でもさ、彼――彼女といった方がいいのかな。君の幼馴染みにとっては、自分と一緒にいることが君の幸せなんだよ。恋は盲目とは言い得て妙でね、恋に深く堕ちれば堕ちるほど不思議と相手の気持ちを考えられなくなるらしい。まあ、そうならない人がいるのも事実だけど」


 律はそう言うと、「僕とか?」とお茶目に笑う。愛奈はそれを見て、つられたように笑った。その様子に律は胸をなでおろす。少しは心に余裕ができたようだ。


 愛奈はやや顔を俯かせると、将太について話始めた。


「将太はマツヤグループの長男です。幼馴染の私に合わせてあんなオンボロアパートで住んでいたけど、本当はそんなところに住むような人じゃない。今思うと、二人とも前世を思い出さなければもっと違う未来があったのかもしれないですね」


 まるで前世の記憶を持って生まれてしまったことを後悔しているかのような言葉に、律は真剣な声で言う。


「君が前世を思い出さなかったら、助けられなかった命があることを忘れてはダメだよ。君が僕に相談してくれたおかげで、何人もの命を救えたんだ」


 愛奈が顔を上げる。


「私がこの世界で前世の記憶を持って生まれてきたことに、意味はあったんでしょうか?」


 潤んだ瞳の愛奈に、律は優しく笑いかけた。


「もちろん。名探偵に助手は必要不可欠だしね」


 愛奈の目から涙がこぼれる。それは次第に大粒となり、愛奈は嗚咽を洩らし始めた。

 律は優しく愛奈を抱きしめ、背中を優しくトントンと叩く。


「私っ……前世の記憶なんてなければいいと思っていたんです」

「うん」


「前世の記憶がなければ……殺された記憶なんてなければ、もっと幸せに生きられたんじゃないかって」

「うん。でも君は逃げずに戦った。失われるはずの命をいくつも救ったんだ」


「それは律さんがいたから……」

「いや。君がいたからだよ。君がいなければいくら僕でも事件を未然に防げたりしない。自信を持ちなよ」


 愛奈が顔を上げ、律を見つめる。律は優しく笑って返した。


「律さん……」


 愛奈は再び涙腺を崩壊させ、泣きじゃくる。律は笑い、彼女が泣き止むまで背中を優しく叩いていた。



***



 それから数分後。


「お騒がせしました」


 ようやく落ち着いた愛奈が恥ずかしそうに頬を掻く。


「泣きたいときは誰にだってある。別に恥ずかしがることはない」


 律の言葉に、愛奈は頬を緩めた。


「やっぱり、律さんって優しいですね」


「今更気づいた?」


 律はそう口角を上げる。褒められてお礼を言うほど、律は素直な性格ではない。

 律は話題を変えるべく、「そう言えば――」と口を開いた。


「気になっていたんだけど、僕が主人公の小説はこの事件で完結なのかい?」


 首を傾げた律に、愛奈は頷く。


「第一巻はそうです。確か続編が出ていた気がするけど……ごめんなさい。それを読む前に、私殺されました。私が知っているのは背表紙に書いてあるあらすじだけ……」


 落ち込んだように項垂れる愛奈。律は再び彼女の頭を撫でる。


「なるほど。でも大丈夫。僕は探偵だ。君からの些細な情報さえあれば、事件が起こる前に解決できるかもしれない」


「え、それって――」


 愛奈が驚いたように目を見開かせる。律は視線を愛奈から逸らすと、照れくさそうに頬を掻いた。


「これからも、僕の助手としてここに来てほしいっていうことだよ」


「で、でも、私が提供できる情報はもうほとんどありませんよ?」


「それでも、構わないよ。僕は君に、これからも側にいてほしいだけなんだから」


 そう言う律の耳はやや赤く染まっている。――嘘では言える言葉セリフも、本音で言うのは気恥ずかしいものだ。


「そういうことなら、よろこんで! 私も、もっと律さんの側にいたいです」


 自分の手に愛奈の手が重なり、律は視線を愛奈に戻した。律の手を握り、嬉しそうに笑っている愛奈。律は目尻を下げるといたずらっぽく口角を上げた。


「好きな小説の好きな探偵だから?」


 からかうような言い方に、愛奈は手を離すと両手を横に振る。


「そ、それだけじゃないですよ! この世界で生きている律さんに、惹かれたんです!」

「あはは。それは照れるなぁ」

「ぜ、全然照れていなさそう!」


 突っ込む愛奈に、律は楽しそうに笑う。このからかいがいのある助手は、一緒にいて飽きることがない。


 ――プルルルル――


 突然、事務所の電話が鳴った。どこか緊張したような面持ちの愛奈に、安心するよう笑みを向けると、律は電話を取る。


「はい、江戸川探偵事務所、丸野です。――はい。――はい」


 律は一瞬愛奈に視線を向けると、柔らかく微笑んだ。愛奈は意味が分からないのだろう、小さく首を傾げている。


「ああ。それはよかった。――はい。――岡崎にも伝えます。――はい。――失礼致します」


 律は電話を切ると、愛奈に電話の内容を告げた。


「松谷将太、一命を取り留めたって」


 愛奈の頬の緊張が解け、安堵したように胸に手を当てる。


「よかった……」


「殺されかけたっていうのに、君は相手の無事を願っていたんだね」


 意外そうに言う律に、愛奈は寂しそうな表情を浮かべる。


「……色々あっても、大事な幼馴染みであることに代わりはありませんから。依存させた責任は、私にあるでしょうし」


 ――彼女の言いたいことも分かるが……。


 律は真剣な顔で愛奈を見つめた。優しい彼女がこれ以上傷つけられないためにも、言っておかなければいけないことがある。


「それでも、君と彼が今までと同じような関係でいられないのは事実だよ。彼のためにも、君は距離を置いた方がいい」


 愛奈は分かっていたのか、小さく微笑むと頷いた。


「分かっていますよ。私がいなくても、彼は生きていかないといけない。同じ過ちを繰り返さないように、私は彼を許すつもりはありませんから」


 そう微笑む愛奈は、強くそして儚く見えた。律は表情を和らげて、「その意気だ」と彼女の頭を乱雑に撫でる。


「ちょっと、髪の毛ぼさぼさになっちゃう!」

「はは、ぼさぼさになったらまた直せばいいのさ」

「もう、髪の毛のセットって、結構時間かかるんですからね!?」


 必死になって髪の毛を整えている姿に、律は楽しそうに笑う。その胸の内で、ようやく愛奈を救えた実感がわいてきた。


 ――殺される運命さだめだった彼女。


 その運命を変えられたことに、安堵感を覚える。あの時、一歩到着が遅ければ、今ここで笑えなかっただろう。


 ――この優しい助手を、守れてよかった。


 そう愛奈を見つめる視線は、自然と優しいものになっていた。

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小説の中の探偵 ――彼の助手は転生者 猫屋 寝子 @kotoraneko

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