第7話 虹を待つ彼女

ホットサンドに齧り付きながら窓にぶつかっては流れていく雨粒を眺めている早智の横顔は至極穏やかだ。


その向かいでピザトーストを食べながら、杉浦はそのことにホッとする。


早智が体調を崩してから、こうして彼女の表情を伺うことが増えた。


何かあれば気づいてやりたいという気持ちと、真っ先に気づくのは自分であるべきだという使命感が胸を占拠している。


マスターはいつも店にやって来る常連客たちの話し相手をしていて、いつものようにこっちのテーブルにはやって来ない。


早智との関係が変化した事を彼には伝えてはいないが、前より気を遣われているように感じるので、恐らく気づいたのだろう。


今更顔馴染みの喫茶店の店主に、付き合うことになりましたと報告するのも照れ臭いからちょうどよかった。


早智の気持ちはいざ知らず、こちらとしてはこの先ずっと長い付き合いになるだろうと踏んでいるので、セットが板について貰わなくては困る。


下ろした視線の先で、彼女の爪が綺麗に彩られていることにいま気付いた。


淡いベージュとシルバーで塗られた爪。


結婚式のために手入れをしたのだろう。


素の早智のほうが身近な杉浦としては、こうしてめかしこんでマニキュアを塗る早智はどうもしっくりこない。


「それ自分でしたん?」


「ふん・・・ん。うん、そやでー。お式の前の晩にな」


「不器用なくせに頑張ったやん」


学生時代の彼女を思い出してみても、化粧ポーチを持ち歩いている女子高生たちとは別のグループに属していた。


彼女が自席で鏡に向かっている所なんて見たことがなかった。


家庭科の課題はいつも仲の良いクラスメイトに手伝って貰っていたし、調理実習においては食べる係だった気もする。


「やろ?ネイルサロンてめっちゃ高いからなぁ。ヘタでも自分でしたほうが安上がりやねん。あ、写真見てよ」


早智がホットサンドを飲み込んでからカメラを起動させてこちらに向けて来た。


液晶画面に映し出された純白の花嫁は、この上なく幸せそうだ。


「へー綺麗な花嫁さんやな」


「昔の面影あんまないよねー。ばっちりお化粧してもろてたし」


「俺なんか名前と顔がぼんやり分かる程度やで、街で会ったら絶対分からんわ」


「まあそやろね」


新郎新婦を囲んで、数人の女性陣が笑顔を向けている。


「その右端の子、知ってるやろ?」


早智が黒のシンプルなドレスに身を包んだ栗色の髪の人物を指さした。


誰やねん・・・


残念ながら全く記憶にない。


大学に入って就職して知り合いは増えて行く一方で、限りのあるメモリは必然的に昔の記憶を追い出していく。


クラスで仲良くしていたメンバーならまだしも、同じクラスだっただけの生徒なんて覚えているわけもなかった。


「分からん」


「高校で同じクラスやったやん」


「何年経ったと思てるねん」


「委員長の山村さん」


その名前に杉浦はぎょっとなってもう一度液晶画面を覗き込んだ。


「あのメガネの才媛!?」


「そやでー」


生真面目で頑なな雰囲気のとっつきにくい委員長は、切れ長の目が印象的な美人へと変貌を遂げていた。


高校を卒業した後の彼女の人生に何があったのだろうと色々想像が膨らんだ。


「変われば変わるもんやな・・・」


「やろ?うちも、お式で声掛けられるまで全然気付かへんかったもん」


そう言って、半分残ったホットサンドをこちらに寄せると、早めに届けて貰ったコーヒーにたっぷりのミルクを入れて口に運んだ。


もうご馳走様らしい。


杉浦は残りのホットサンドを引き受けながら、もう一度記憶の中の山村と、写真に写っている美人を見比べる。


「昔の印象全然ないやん」


「去年結婚したって言うてたわ。旦那さんは歯医者さんやてー。いまは優雅な専業主婦らしいわ」


「へー・・・まあ、らしい気はするな」


「虫歯なったらおいでてゆーてたわー。うちが杉やんとちょくちょく会うとることゆーたら、ビックリしとったで。あんたがまだ独身なんが信じられんて」


「・・・なんでやねん」


「委員長的には、あんたは早く結婚するイメージがあったみたい。うちが邪魔してんちゃうかーて笑てたわ」


「俺らのこと言わへんかったん」


まあ、なんとなくそんな気はしていた。


「え?あー・・・うん。ほら、次会うかどうかも分からんしさぁ・・・あんまペラペラ言いふらすんもあれやし・・・付き合い始めたばっかりやしさ」


いつまで続くか分からんし、という心の声が聞こえた気がした。


早智があの告白に了承の返事を返したのは、杉浦のことが好きだからではない。


雰囲気に流されたのが半分以上だろう。


そしてこの関係にこだわりを持っていないことも、分かっていた。


早智は、杉浦が自分を心配して保護者意識の延長で付き合おうと提案したと思っている。


そしてそれも半分は合っていた。


もちろん、残り半分は恋愛感情からだけれど。



「はい、コーヒーね」


タイミングを見計らって食後のコーヒーを持って来たマスターが微妙な笑顔を向けてくる。


「ありがとう」


気づかわしげな眼差しは、こちらの複雑な気持ちを見抜いているからだ。


焦らない、無理な進展は望まない。


そう思った矢先の早智の一言で早速気持ちがブレて来るから困る。


今一番してはいけないことは、彼女を振り回して混乱させることなのに。


「マスターも見て、結婚式の写真」


トレーをテーブルに載せて液晶画面を覗き込むマスターの目が優しく和んだ。


「ワンピース着ていったんだねぇ。良く似合ってる、可愛いなぁ」


この人の凄いところは、こうやって臆面も無く女性を褒めるところだ。


若い頃はモテたやろなぁ・・・


晴が生きていたらさぞかしモテモテの二代目店主になっていただろう。


あ、でもその昔聞いた奥さんへのプロポーズは全然カッコ良くなかったな・・・


「ほんまー?嬉しい!」


はしゃいだ早智がニコニコと両手をマスターの前に差し出した。


これも褒めてということらしい。


「見て、うちの精一杯の頑張り」


小さなクローバーがあしらわれた爪を見てマスターが微笑む。


「器用だなぁ。何時間くらいかかった?」


「んー1時間くらい?爪小さいし、指短いから嫌やねん。もっとネイルしがいのある綺麗な手ぇが良かったわ」


「うちの奥さんも爪の形が嫌だって言ってたけど、逆にそれが可愛かったけどなあ。あ、だから指輪しないの?」


その一言で気づいた。


早智はアクセサリーを付けるタイプではないけれど、この数年間で指輪をしているところを見たことは一度も無い。


彼氏がいても、いなくても。


その昔、男からもらった指輪は首からぶら下がっとったしなぁ・・・


「そーやねん。余計指が短か見える気ぃして」


「シンプルなものなら大丈夫だよ。僕も昔色んな店を探し歩いて大変だった。結婚指輪は一生モノだから、一番指が綺麗に見えるのが良いって。普段は頓着しない人がこうと決めたらめちゃくちゃ頑固でね・・・5、6軒回って決めたなあ」


懐かしそうに、左手に嵌ったままの鈍い銀色の指輪を撫でるマスターの目元が寂しそうに緩む。


「覚えとく。な?」


からかい半分、さっきの意趣返し半分で早智に視線を向ければ。


「・・・なんでうちに同意を求めんのん?」


案の定真っ赤になった彼女がずり落ちそうになる体を必死に堪えて尋ねて来た。


あながちその気がないわけでもないようで安心する。


「同意求める相手他におらへんやろ」


「・・・」


一応彼氏彼女の間柄なのに、ほかの誰に同意を求めろと言うのか。


二人のやり取りにマスターは小さく噴き出してトレーを手にカウンターに戻っていく。


「ごゆっくり」


眉間に皺を寄せていた彼女がコーヒーに手を伸ばした。


ばつが悪そうに視線を揺らして、窓の外に顔を向ける。


「あ・・・!」


「ん?」


「虹やー!!」


いつの間にか雨は止み、遠くの空に鮮やかな虹が掛かっていた。


「傘持ってこんでよかったなぁ」


杉浦の言葉に彼女がほんまそうやわと頷く。


「良し、晴れて来たから遠回りして帰ろー。こないだとはまた違う道通ってみよ」


最近住宅が増えて、整地が進んだこの辺りはいろんな抜け道が出来ていた。


散歩がてら新しい道を見つけるたびに通ってみるのが二人の散歩の日課になっていた。


あれほど決まった道しか選ばなかった早智が、いまでは散歩の達人のようになっている。


その変化もまた嬉しい。


「そやなー」


嬉しそうに虹を眺める早智の表情は少しも気負わずリラックスしきっている。


つくづく惚れたが負けってこーゆーことよな。


なんやかんや言っても無条件で許してしまうし、多少の無理も許容してまう。


それが全部自己満足だとしても。


こうやってありきたりな毎日を一緒に過ごせることに幸せを感じられるのは相手が早智だからだ。


そのあたりの話は追々、とひとまず自分の中で答えを出した。

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