第39話 白い霧の中で

 

 火には水。

 ミナモが、やや精神的に不安定な火属性男、モエルに積極的に近づいたのは能力の相性からの観点があったのかもしれない。

 好意からではなく、つまり、危機感や使命感。

 この迷惑な男が何かをしでかした際にはボクが水で止めるしかない、いや最適だ、との意識からだ。

 むろん完全にそれを目論んで近づいたわけではない―――はずだ。そもそも、二人は―――ミキも含めて三人だったか―――その出会いは偶然の産物だったはずである。



 ―――――――—————————————————————————————————

 


DIIIIIIディイィィ———!」


 土厳塁根。

 重機が山を切り拓いているかのような印象をモエルに与えた、土厳塁根。

 その巨体の前で、青色が弾けた。


「あれ……」


 ミナモは戸惑う。思わず溜め息のように、零れる声。

 ボク、水を使ったか―――?

 そう思うような、飛沫が見えた。

 驚きはしたがそんなことはしていない。


 戦闘になっても、この大型魔獣、危険ではあっても、正式な討伐指令を受けていない―――鐚一文びたいちもんも稼げないとあらば、動かないのがミナモだ。

 

 ―――そもそも、ボクはそれほど強くないしね。

 ミナモは自分をそう評価している。そして強さというものを疑っている。不安定なものであると知っている。


 自分よりも強力で才能ある『水使い』を見たことはある。

 そしてそんなレアリティの高い強者よりも、自分の方が稼いでいるという事実があった。

 単に金ばかり気にしている女だから、というのもあるけれど。

 ———でも世の中って、そういうものなのかもね。溜め息の出るような光景が多いよ。

 強い人間と裕福な人間は別人だ。

 人々から信頼される人間もまた、別。

 そう思う商人、世渡りのミナモである。

 ボクが手を下すまでもない。

 巨大魔獣ここまで街に近い森林を闊歩しているならば、王都も警戒しているか、討伐隊を送ることもあるだろう。

 今までそういう風に回ってきた状況———日常風景とすら言える。

 本来は、それを待つのみでよい。



 今、その土厳塁根が叫ぶ、叫んでいる。

 大きく、地鳴りを発生させるかのような声。

 巨大植物魔獣が両腕を上げて暴れた、暴れている。

 ミナモはちらり、モエルを見る。彼にも何が何だかわかっていない様子だ。


「ミ、ミナモ……何かあったのか? 俺が何かした方がいいのか?」


 軽くパニックの様子の男、だがミナモにとっても似たようなものだった。

 ミナモは巨大魔獣の専門家ではない―――だから、知らない何かが起こっているのか、と考えられはする。

 魔獣が縄張りで行うこと、習性の一種だろうか。

 十分距離を取ったので安全なはずだが……!



 土厳塁根の前に、人がいる。髪の長い者が前に、いや足元に。

 おそらく女だ―――ミキじゃない。

 それはミナモにもわかった。

 

「ああッ―――?」


 気付けば口を開けていた。

 あのお、下がってくださいと、ミナモは声を掛けようとした。

 土厳塁根どげらいねが腕を振り下ろせば全身を強く打つどころじゃアない。

 なんていうことだ、リーチにしっかり入っている。

 声が最後まで出なかった。

 だめだ、いくらなんでも遅すぎる、もう駄目だあの人———。ボクは目をつぶることが最適解だ―――と思った。

 先ほど弾けた水色の飛沫のことなど、何も関係ないように思えた。



 女の左腕から青白いものが滑り落ちた。

 杖のような線を宙に描いている。


 魔獣の巨大な眼が女をとらえた。目の大きさが、それだけで人の身体くらいのサイズである。

 そうしてそのまま、腕で女を掃おうとしたが、青白い閃光が、丸太のような腕とぶつかった。


DIIIIIIYディイイイイイ————!


 けたたましい叫び声をあげたのは魔獣の方だった。

 地鳴りを起こしつつ、土厳塁根は一回転。

 その衝撃ときたら、こんなもの、家が転んだかという騒ぎじゃないか―――モエルは衝撃を物理的に感じる―――霧がかなり吹き飛ばされた。

 だがここで、ミナモが能力を発揮し続けていることを視認する。

 霧は少しずつだが、増えているのだ。

 照らされ、木の実のような全容が明らかになる。


「木の実……どんぐり?」


 どうも、先ほどより周囲の木々が倒され、樹上が開けた空間になっているようだった。

 真っ暗な夜空が開けている―――。


 その時だ、そのは宙に舞い――飛んだ。

 ジャンプした、いや、上昇気流か?

 それにしたっておかしな軌道であった。

 人間技ではない。

 それは超絶の技巧を見た時よりももっと―――ワイヤー・アクション的なものを感じさせた。

 そして、持っていた青い炎で一閃した。

 炎。

 明るさと煌めきで、それが炎であるということは、モエルにははっきりわかった。

 同じとは思えなかったが―――自分とは、違うと思ったが。



 魔獣の頭部の上は草むらのような形状。枯草の集まりだった。

 そこを中心に、激しい炎が舞い踊った。

 今度は真っ赤な炎がついた。

 頭部に張り付くように―――!


D……!」


 巨大な団栗のごとき土厳塁根は、両手で宙を掻き、苦しんだのちに、地面に倒れる。

 瞳から光が失われていた。



 モエルは何も声に出せなかったが、状況は徐々に理解できた。

 あの魔獣は動かなくなった―――討伐された。

 頭部が燃えやすい弱点だったようだ。

 火属性が効くという話に、間違いはなかったようだ。

 もっとも、モエルの位置からでは、なかなかアレを狙えなかっただろうけれど。

 逆に身体の部分は、なかなか炎が通らない―――それどころか弾かれたありさまである。

 小型の魔獣の時は、まったく気にしなかったままに、戦ってきたけれど……!


 

 モエルは女の名前を知っていた。

 しかし疑問が……強烈な、疑問を覚える。


熱子あつこ……か?」


 女は一瞬止まった後、振り返った。

 アジア系にしては目鼻立ちがくっきりしているその顔で、しばし眉をひそめている。不機嫌さもくっきりと表情に出る。

 しかし、何も見えないらしい。

 距離がある、霧もある。

 

 ミナモはまったくの初対面だった―――だが、それでも日本人だということはわかったようだ。

 能力者―――!


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