第三章「神の再臨」

34,プロローグ






 ――東京都港区を襲った怪事件より僅か数時間後、埼玉県加須市にあるテーマパークでも恐ろしい事件が発生していたそうです。


 ――被害者は事件発生時にテーマパーク内にいた全職員、来園者のほぼ全て……重軽傷を負った怪我人は数百人にも及んだそうです。いやぁ……これは、なんと言いますか。


 ――上手く言えないのも分かりますよ。これは戦後最大のテロ事件ですよ。東京での事件のこともあり同時多発的に行われた、非常に計画性の高い犯行なのではないでしょうか。


 ――現場からの中継があります。田辺さん、どうぞ。


 ――はい。わたしは今、凄惨なテロに見舞われたテーマパークに来ております。ご覧ください、普段なら来園者で賑わっていただろうテーマパークが、まるで瓦礫の山みたいになっています。


 ――被害者の方に話を聞くと、昨日テーマパークを襲った凶悪犯達は二つのグループに別れているようであり、片方は一般の方々を見境なく銃火器のようなもので襲い、もう一方のグループは自分達を守ろうとしてくれていたとのことです。このことから一つは警察か自衛隊のグループなのではないかと言われていますが、警察や自衛隊は関与を否定しています。


 ――他には何かありませんか?


 ――それが、東京での目撃証言と同様、悪魔のような生き物を見た、神父やシスターが自分達を守ろうとしてくれていたという話があるばかりで……。


 ――東京での一件もそうですが、やはり二つの事件にはなんらかの関連性がありそうですね。田辺さん、ありがとうございました。




 部屋の片隅にあるディスプレイがニュース動画を映している。世界的な動画共有サイトの動画だ。自動再生がオンになっているらしく、関連のある動画が次々と流れていっていた。

 整理整頓がきちんとなされている部屋だ。その中をうろうろと歩き回り、落ち着かない様子でスマホをチェックしているのは一人の青年である。

 夜が明けた。眠れない夜だった。明るい髪色に染色している青年は、夜通し友人達のグループと忙しなく遣り取りをしていたのだ。


「……クソっ」


 悪態を吐いて、スマホをベッドの上に放り捨てる。昨日の昼、あの・・非現実的な事件に巻き込まれてはぐれてしまって以来、どれだけ連絡をしても親友からの反応がない。

 目撃証言もなかった。いても立ってもいられず、夕方から深夜に掛けて外を走り回ったりもしたが、結果は空振りを繰り返すばかり。外ではパトカーや救急車、消防車などのサイレンが止まることなく鳴り響いていて、軽いノイローゼになりそうである。自衛隊まで出張って来ているらしく、事の重大さを嫌でも思い知らされて……しかし、気落ちしている場合ではない。

 青年は田舎から上京してきた身だ。だが親友は生まれも育ちも東京で、親友の家族とすら連絡がつかないとなると心配で堪らないのである。あまつさえ友人達のグループから入手した情報によるとだ、親友の暮らしているマンションは倒壊しているらしい。もしかすると親友の家族達は今頃……。


「どうすりゃいいんだよ、マジでさぁ……!」


 青年の名は四月一日五郎丸わたぬき・ごろうまる。珍しい名字と、珍しい名前だ。ゴロっちと気安く呼んでくれた親友とは、大学に入ってからの短い付き合いとはいえ妙にウマが合っていた。

 ソイツは無神経で、空気が読めず、自己中心的な奴ではあったが、五郎丸に真っ先に話し掛けてくれて、友達になって、大学で孤立しないように自分の属するグループに入れてくれた。もしも親友がいなかったら、楽しい大学生活なんて遅れていなかったかもしれない。

 そのことに恩義を感じているのかと言われたら首を傾げる。しかし五郎丸は確かに親友に対して友情を感じていた。だから無事でいてくれと、五郎丸は心の奥底から痛切に願うのである。


「っ!?」


 スマホに着信がきた。慌てて手に取って画面を見るも、親友からではない。付き合いの浅い友人の一人からだ。期待が外れて気落ちするも、なんらかの有力な情報をくれるかもしれないと思い通話に応じる。


「もしもしっ」

『ん、おっ! ゴローくん? おはよう! 朝早くにゴメンな!』

「いやいいよ。それよりなんだけどさ――」

『安室っちのこと? あー、グループチャットに流れてんのは見たから事情は知ってるけどさ、ゴメンけど安室っちのことは知らねーんだわ。そんなことより・・・・・・・、アレってマジなん?』


 そんなこと? 今、コイツはそんなことと言ったのか?

 愕然とする五郎丸の様子に気づかないのか、通話している相手は興奮気味に訊ねてくる。


『ゴローくんって事件の時に居合わせたんでしょ? ってことは見たんだよな? 悪魔と天使・・・・・! おまけに戦う神父とかさぁ! それってマジなんかな。マジならアニメじゃんか!』

「………」

『ゴローくん? おーい、どした?』


 無言で、通話を切る。腹の底から湧いて出る嫌悪感に突き動かされ、今の相手をブロックした。

 そんなこと。そんなこと……? ふざけているのか。断じて『そんなこと』なんかじゃない。港区がどれだけ悲惨なことになっていると思っている。巻き込まれた人がどんな思いをしたか想像も出来ないのか。わなわなと全身が震えて、五郎丸は壁に拳を叩きつけた。


「ッハァ、ハァ、ハァ……」


 息を荒げ、肩で息をしてしまうほどの怒りを覚えた。もし目の前にさっきの奴がいたら、ブチ切れてぶん殴るだけじゃ済ませられなかったかもれない。

 昨日の事件は、既に日本中を騒がせている。それに巻き込まれた自分と親友は、あの混乱の最中に離れ離れになっていた。我を忘れて逃げ惑ってしまったからだ。五郎丸が我に返ったのは、家賃の安いアパートに帰って来てからで、以来ずっと親友の行方を探している。

 その事を知っていて、なぜあんな軽薄に訊ねてくる? どんな神経をしてるんだ?

 ああ、確かに見た。訳の分からない化け物と、そんな化け物と戦う人達を。だがそれがどうした。現実的じゃないとかアニメみたいだとか、そういうことよりも先に、まずは巻き込まれた人の保護状況の把握が先決だろう。見知った相手が事件に巻き込まれたと知っているなら断じて他人事じゃないはずだ。こういう時に笑っているような奴なんか、もう友達でもなんでもない。

 

「……今度はなんだっ」


 再び着信。ただし、今度は通話ではなくメッセージだ。

 五郎丸はスマホを見る。しかしそのメッセージは差出人不明のものだった。


「……ああ?」


 普通なら目を通すこともせず、削除していただろう。しかし得体の知れないファイルを見て、なぜか五郎丸は無性に気になってしまった。

 無題。タイトルも何もなく、内容が不明なもの。動画が中にあるらしく、五郎丸は暫しの間、凍りついたように画面を凝視してしまっていた。


「――――」


 ネットリテラシーに基づいて考えるなら、すぐに削除してしまうべきだ。そう思うのに五郎丸の指はそのファイルを無意識に開いていて、中の動画を再生してしまっていた。

 我に返った五郎丸は慌てて動画を消し、ファイルごと削除しようとしたが、それよりも先に動画に映る女性を見て再び固まってしまう。


「え……あの時・・・の、お姉さん?」


 呆然と呟く。その動画には昨日の昼、五郎丸が親友とナンパした人が映っていたのだ。









  †  †  †  †  †  †  †  †









『――10月25日、午後1時前。この日付を聞いて思い当たる事件がある方ですね?』


『本動画を視聴なさっているのは、あの東京都港区を襲った事件の被害者であるはず……ああ、あらかじめ断りを入れておきますと、被害者の方以外には本動画を視聴することはできません。動画共有サイトやSNSなどにアップロードすることもです。そしてこの動画は一度再生された後、データごと消去されるようになっています』


『どうやってと疑問を懐かれるかもしれませんが、今はお答えする気はありません。そんなことよりもまず、とても大事なことをお伝えしなければならないからです』


『昨日の事件現場で皆様は目撃なさったでしょうか? 東京の空を埋め尽くした悪魔の軍勢を。そしてそれを迎え撃つ人々の姿を。もし目撃していなかったとしても、現実としてあの街に刻まれた被害状況は既知であることを前提に、これから話をさせていただきます』


『まずはじめに、私は人間ではありません・・・・・・・・・。証拠は、この翼と頭上の環を見せれば充分でしょう。私は天使の身だというわけです』


『お疑いになる気持ちは分かります。私自身、皆さんの立場なら馬鹿げていると思うでしょう。しかし疑われては話が前に進みませんので、一つ皆さんに願います・・・・疑うな・・・と』


『……信じてくれましたね? では話を進めます』


『あの事件の真相が気になる方。今、日本がどのような状況に置かれているか知りたい方。あの悪魔はなんなのか、悪魔から人々を守ろうとしたのは誰なのか、疑問は山のようにあるでしょう』


『私はそれら全てに答える用意があります。ただし、無償で、無資格で答える気はありません』


『我々は今、共に働く仲間を求めているのです。弊社に就職し、共に働く気概を持つこと。これのみを応募資格として、面接にやって来てくださった方のみに真実を明かしましょう』


『給与や待遇等は面接時に改めて説明します。この場で全てを丁寧に伝えようにも、下手に動画を長引かせるわけにはいかない事情がありますので、その点に関しては申し訳なく思います』


『ああ……ささやかながらも、面接に応募してくださった方には特典もつけましょう』


『程度によりますが、私に可能な範囲で願いを叶えてご覧に入れる』


『私は天使です。人の願いを叶える程度、造作もありません。信じて・・・ください』


『信じましたね?』


『では本動画はここまでとさせていただきます。面接日時、面接を行う住所は皆様の頭の中に浮かぶようにしました。明日には忘れてしまうでしょうから、今日中に奮ってご応募ください』









  †  †  †  †  †  †  †  †









 東京都渋谷区にある三階建のアパート、その軒先まで来た五郎丸は息を呑んだ。


 指定された場所、指定された時間10時である。シニヤス荘という安っぽいアパートの前に、些か不釣り合いに見える背格好の人達がいたのだ。


 腰の両サイドにトンファーを提げた、スーツ姿の長身の人。フルフェイスのヘルメットを被っているため顔は分からないが、ボディラインを見る限りだと女性だと判じられる。

 その人の隣にいるのは、同様にスーツを着込んでいる背広の人。人語の限りを尽くしても語り尽くせない美貌の人だ。水気を帯びているかのように艶めいた黒髪を、何気のないハーフアップの形に纏め、そこに立っているだけなのに巨大な塔のような存在感があった。

 前者はともかく、後者の人には見覚えがある。五郎丸が昨日の昼に、身の程知らずにもナンパをした相手なのだ。彼女は五郎丸の顔を見ると意外そうに目を瞬き、次いで苦笑した。


「――三人目はあなたでしたか」

「え?」


 三人目? そう言われて辺りを見ると、私服姿の人が五郎丸の他に二人いるのが見て取れた。この異常な存在感の美女のせいで気づかなかったらしい。

 一人は童顔の女だ。高校生になったばかりにも見えるが、五郎丸はなんとなくその女が同い年ぐらいだろうなと察した。服の着こなしから年代を推察したのである。無意識に。

 そしてもう一人は、眼鏡を掛けた暗い雰囲気の少女である。

 こちらは明確に年下であり、都内の高校の制服に身を包んでいた。眉の上で切り揃えた前髪と、首筋を撫でる程度にカットされた黒髪、そして黒縁の分厚い眼鏡が特徴的だ。

 二人の女性は小柄で、華奢だった。五郎丸が隣に立つと一層目立つほどに。


「……他には来そうにもありませんね」

「不届きです。エヒム様からの呼び掛けに応じないとは万死に値します」


 腕時計を一瞥して美貌の人が呟くと、ヘルメットの人が苛立ち気味に吐き捨てた。ヘルメットの人は不機嫌そうだったが、それには構わず美貌の人が一歩前に出て、五郎丸達を見渡す。


「……時間ですね」


 たった三人かぁ、と露骨に残念がりながらも、すぐに頭を振って気を持ち直したその人は言う。


「早朝に発信した私の誘いに応じ、このような場所までご足労いただきありがとうございます。私に言いたいこと、聞きたいことなどもあるでしょう。しかし質疑応答をする前に自己紹介をさせてください。――私はエヒム、こちらは部下のエーリカ・シモンズです」

「ご紹介に与ったエーリカ・シモンズです。今後長い付き合いになることを期待します。以上」


 エーリカはヘルメットを取って素顔を晒し、軽く目礼をするとまたヘルメットを被った。

 とんでもない美人さんだ。無骨なヘルメットのせいで全く華がないが、ハリウッドの女優級である。

 戸惑いを隠せない。何が始まるというのだろう。五郎丸は何か、異様に大きな流れの上に身を晒してしまっている気がしてきたが、ヘルメット越しに強烈な視線の圧に貫かれ、なんとなく求められているものを察して吃りながら名を名乗った。


「お、オレは……四月一日五郎丸、です。しがつついたち、って書いてワタヌキって読みます。歳は20歳で、大学生です……」


 名乗ると、ヘルメットの人――エーリカの視線の圧が横にスライドした。

 ビクリとした女が五郎丸に倣い名乗る。


「わ、わたしは、熱海景……19歳、大学生です……」

「あの時の市民でしたね。良い名前です、励みなさい」

「は、はい……? ありがとう……ございます……?」


 エーリカはアタミ・ケイと名乗った女を知っていたのか、満足げに腕を組んで頷いていた。景は困惑しながら礼を言うが、励めとは何に対して言っているのだろうか。

 五郎丸と景が名乗ると、その流れで自分の番だと察したらしい少女がモゴモゴと口を開いた。


「ぁ……ウチは、春夏冬栗落花アキナシ・ツユリで、す……17歳……」


 全員が名乗るとエヒムがにこやかにえくぼを作る。栗落花の声の小ささを咎めようとでもしたのか、前に出ようとしたエーリカをさりげなく制しながら。


「四月一日五郎丸くんに、熱海景さん、春夏冬栗落花さんですね。ようこそ、我々【曼荼羅】はあなた方を歓迎します」


 エヒムが微笑んでいる。彼女が有する美は、人類に表現できる域を遥かに逸脱していて、見た者の心を根こそぎ奪い取る魅力に溢れていた。

 まさしく魔性。呆然とエヒムの美貌に見入った五郎丸は、自分がとんでもなく早まったのではないかと本能的な部分で悟ってしまう。何か、途方もないことに巻き込まれるのだと。


 ――五郎丸の勘は正鵠を射ていた。


 この時三人の人間は全く想像だにしていなかったが、彼らは今後【曼荼羅】という組織の中核を成していくことになる。道半ばで斃れ、死ぬことさえなければという但し書き付きで。


 自身を取り巻く環境や状況を、知れば知るほど痛感していくことだろう。たとえエヒムが許そうと、状況を理解してしまった自分自身が途中下車を許さないだろう、と。

 一方通行の片道切符を掴んでしまったのだと気づくのには、今暫くの時間が必要とされる。無知なままでいられる楽な道が閉ざされたのだ。そしてそれを恨むことは誰にも出来ない。


 四月一日五郎丸は、世界の裏側へとその脚を踏み出してしまったのだから。







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