05,まともなのは俺だけか






 一切の穢れがない、清浄無垢なる空間。白いとか、黒いとか、赤いとか、そうした色彩の印象は些事として残らず、ただただ『目映い』という事実だけが強調される聖なる領域。

 安置された白き円卓に十二の席を並べ、それぞれの席に十一の人型が座している。いずれもが眉目秀麗なる美男美女だが――全員がその背に、白く清らかな翼を有していた。


「まあ。フィフキエルったら、相変わらず頭の弱い子ね。また油断したのかしら?」


 頬に手を当て「いけないわ、いけないわ」と繰り返し唱える天上の美声。

 天使の特徴である完全な左右対称の美貌を、明らかな呆れの色に染めて言ったのは女天使だ。豊かな肢体とウェーブの掛かった長い金砂の髪が目立つ、席次三位の【下界保護官】の一人である。

 名はキミトエル。【捻じ伏せる慈悲】の号を、天上の御方に与えられた暴力の担い手。

 下界の清浄を保つ役割を有した者達の中でも、屈指の発言力を具えた女天使の背には、二対四枚の大きな羽根があった。彼女は席次十二位であるフィフキエルの実姉である。妹の犯した失態に心底から心配そうな顔をするのも、仲の良い妹を気遣っているからだ。


 反対に、露骨に鼻を鳴らしたのは隣席の席次四位、【晒し上げる意義】の号を持つエンエルだ。


「はン、【傲り高ぶる愚考フィフキエル】に相応しい失態だ。いっつもそうだ、我々の席に名を連ねる力がありながら、くだらない見栄や慢心で台無しにする。どうせ今回も下僕に力を分けていた・・・・・・・・・・んだろォ?」


 枯れ木のように細い手足と、やせ細った体。貧相な細面には縁のない眼鏡が掛けられ、眉に神経質そうな皺を刻んで同胞の失態にも容赦なく毒を吐く。

 キミトエルはそれに眉根を寄せるも反論はしない。彼の指摘が正しいと思っているからというのもあるが、エンエルの在り方もまた至尊の御方の望んだ通りのものだからである。

 地上にいる本物の・・・天使は彼ら十二体だけで、他の名も無き雑兵とは異なり序列の高低はない。それぞれが真の天使の誇りを持って、自らの規定された在り方と使命を遵守している。

 だからこそ辛辣なエンエルの言葉は棘だらけでも、語気そのものは弱い。最も年若く脇が甘い、実力以外の面で未熟なフィフキエルを心配する気持ちはあるのだ。


 故に、彼が睨むのは下等種族である人間だった。


「なァ、マザーラント」

『はい』


 白い円卓の中心に、一人の人間の姿が映し出されている。

 筋骨隆々たる偉丈夫。教団の幹部を数多く輩出している、古くからフィフキエルに仕えてきた一族の者だ。三十一歳という若さでフィフキエル直属の親衛隊を率いる立場であり、【下界保護官】の全員にその名と顔を記憶されているという、人間たちの中での有望株。

 そんな彼の姿は半透明だ。それもそのはず、円卓の真ん中に立つ彼の体は、遥か遠い極東の地にあるのだ。ここにあるのは虚像、エンエルにより映し出されたゴスペルのマモである。

 彼から『フィフキエルが負傷した』と知らされ、エンエルが睨みつけたというのに、ゴスペルには萎縮した様子がない。淡々と返事をしたゴスペルは、あくまで事務的に肯定した。


『エンエル様のご賢察の通り、フィフキエル様は我々に多くの加護を授けて下さり、また多くの力を割いて守護して下さっておりました』

「故に不意を打たれたとはいえ、人造の悪魔などという下賤なキメラに遅れを取った。だが弁えているのかァ、マザーラント。オマエをフィフキエルの阿呆に付けたのは、下らん見栄を張るアイツの周りを固める為だ。なーんでフィフキエルはここに顔も出さんほどの傷を負ったというのに、フィフキエルを守るべきオマエは無傷なんだァ? あぁ?」

『返す言葉もございません』

「返せよ言い訳をよォ!」


 ダンッ! と激した様子でエンエルが円卓に拳を打ち付ける。

 すると円卓の一部から声が上がった。


 列席している天使たちが反応したのではない。そのままの意味で、円卓そのものが苦悶したのだ。


 この空間にある天使以外の全ては、実のところ物質で形成されているわけではない。

 あらゆるものがマモで形作られている。

 死後も天使に奉仕することを特別に・・・許された、誉れある人間たちの魂だ。故によくよく目を凝らせば見えるだろう――全てに、びっしりと、人間の顔らしきものが薄く現れているのが。


 エンエルは苛立ちも露わに言い立てた。


「だから僕は反対したんだ! あんな僻地にフィフキエルがわざわざ足を運ぶなんてなァ! 『信徒を守るのは天使の義務』なんて薄っぺらいお題目を、見栄の為に守る薄ら馬鹿が。『天使僕らを身を呈してでも守るのが信徒の義務』の間違いだと何度言えば分かんだァ!」

『………』

「オマエもだ、マザーラント! どうせオマエのことだ、フィフキエルの決定に何も異を唱えないで、思考停止して従った挙げ句にフィフキエルの傍から離れたんだろォが! 馬鹿なのか!?」

『申し訳ございません』

「間抜け! 謝んなよオマエは悪くねェ。悪くねェがオマエが悪ィ! 帰ったら再教育してやる、ありがたく思えよォ、マザーラントよォ!」

『……はい』


 ふぅ、ふぅ、と呼気を乱すほど怒鳴りつけたエンエルに、ゴスペルは殊勝に頷いた。

 やっとエンエルが鎮まったのを見届けてから、フィフキエルの姉であるキミトエルが口を開く。

 どの角度から見ても、正面を向いているように見えるゴスペルの虚像を見詰め、彼女は言った。


「ねぇ、マザーラント。わたくしの可愛い妹の顔、見せてくれないかしら?」


 それはお願いという形の命令だった。人間如きが天使のお願いを断るわけがないし、断ってはならない。当たり前のことだ、当たり前だからこそ一切の悪意はなく、純粋に優しい。キミトエルとはそういう天使である。無論、ゴスペルが断るわけはなく――


『申し訳ございません。フィフキエル様は、皆様にお会いになりたくないそうです』


 ――断った。


「……え?」


 こてん、とキミトエルは小首を傾げる。

 なんと言われたのか理解できない、彼女の顔はそう言っていた。


「なんて言ったの? もう一度、はっきり、言ってもらえる?」

『フィフキエル様は皆様にお会いになりたくないそうです。それというのも、フィフキエル様は人造悪魔の卑劣な不意打ちを受け、重篤な状態であらせられます。具体的に申し上げると、力そのものは健在なれど、人造悪魔に姿を汚された挙げ句、玉体が幼いものに退化し、更にはお記憶も幾らか欠損しておられるご様子でした』

「――――」


 キミトエルが顔を強張らせる。使命の達成に失敗した上に、負傷したとは聞いた。しかし事態は想像していたよりも、ずっと深刻なのかもしれないと思い至ったのだ。

 動揺したのは彼女だけではない。他の天使たちも、驚いていた。

 フィフキエルの姉は、我に返ると強くお願いする。拒否は許さないと、語気を強めて。


「わたくしの妹の顔を見せてちょうだい。ね、マザーラント。良い子だから」

『しかし……いえ、フィフキエル様が承諾なさいました。フィフキエル様、どうぞこちらへ』

『………』


 とうのフィフキエルが良しとしたらしい。ゴスペルの虚像のすぐ隣に、小さな子供の姿が浮かび上がる。それを見て十一体の天使たちは目を見開いた。

 有り得ない。見たことがない。無論、聞いたことも。

 黒い髪と黒い目、更に幼い容姿。間違いなく・・・・・フィフキエルだと一目で判じられるが、その変貌ぶりは明らかに異常だ。唇を戦慄かせ、キミトエルは声を震えさせた。


「フィ、フィフキエル……?」

『………』

「なんてことなの……どうして、そんなことに……」

『……もういい? 見られたくない』


 震撼する様子に居たたまれなさを覚えたように、フィフキエルはそそくさとゴスペルから離れる。すると彼女の姿が消えてなくなった。キミトエルが発狂したように叫ぶ。


「待って! 待ちなさいフィフキエル! 帰ってきて! 今すぐに帰ってくるのよ! ダメよそんなみすぼらしい姿! すぐに天界に帰って再調整してもらわないと!」

『畏れながらフィフキエル様のお言葉を代弁させていただきます』


 ゴスペルは淡々としていた。あくまで自分の意思を持たない、人形のような従順さで。

 しかし、だからこそ明確な拒絶が示されている。


『フィフキエル様は自らの意思でご帰還を拒絶なさいました。我が主はこのままニホンに残り、頓挫した使命を今度こそ完遂なさるおつもりです。そしてご自身を貶めた元凶を見つけ出し、誅伐を下した後、自らの清浄なるお姿と記憶を取り戻すと仰せになられました』

「ダメよ!」

『フィフキエル様のご意思です。このようなみすぼらしい姿、一秒たりとも晒したくはないと、決意は固く断じて帰還しないと仰っておられる』

「で、でも……エンエル」

「あー……気持ちは分かる。気持ちはな。キミトエルのも、フィフキエルのもだ。僕ならそんな無様な姿、仲間に見せたくないしなァ。同じ立場ならオマエでもそう思うだろ、キミトエル」

「う……」


 言葉に詰まるキミトエルに、エンエルは嘆息する。バカ真面目なゴスペルの顔はもう見ていない。そんなものより彼にとっても予想外な、フィフキエルを襲った異変の方が気になる。

 人造悪魔といったか。力を無駄に分散していた上に、油断しきっていた馬鹿の自業自得とはいえ、貴き存在である天使をあんな姿に貶めるとは。【曙光】はどうやら、いよいよ赦されぬ大罪を犯したらしい。すぐにでも叩き潰してやりたいが、問題は天使を傷つけられるレベルにまで達した【曙光】の悪徳だ。このまま好きにさせてしまったなら、【下界保護官】の名折れである。


「マザーラント、もういい、オマエは失せろ」

『はい。それでは失礼します』

「あァ……」


 完全にゴスペルから興味を失くしたエンエルが、円卓の面々を見渡す。

 そうして仲間内で最も叡智に長けたエンエルは、重々しく告げた。


「オマエら。【曙光】の奴らが造ったっていう人造悪魔……どう思うよ?」


 愚問なり、ただちに浄化せよ。

 天使たちの意思は一つだ、彼らは事態の深刻さを受け止めている。

 故にこそ円卓の中心から虚像が消え、自意識が極東に回帰した信徒が嘲笑っているのに気づかない。

 だってそうだろう、人間が家畜のご機嫌取りなどしないように、天使もまた信徒の胸中になど関心はないのだから。









  †  †  †  †  †  †  †  †









「よし。これでひとまず時間は稼げる」


 謎の光の柱に呑まれ、瞑目していたゴスペルが目を開くと、俺は居心地悪さに身動ぎする。

 俺は今、どことも知れない教会にいた。本当にどこか分からない、ヘリでここまで移動した後、場所を把握する間もなく教会に押し込まれたからだ。


「……ゴスペルさん、本当にこれでいいんですよね?」


 訳が分からないなりに、ゴスペルの言う通りに動いただけだ。それで、あの見るからにヤバげな連中を誤魔化せるのだろうか。俺のそんな不安げな様子に巨漢は笑った。


「無論でございます、フィフキエル様。万事このゴスペルにお任せください、なんら不都合などありませぬ故」

「……あの、そう畏まらないでくれます? やり辛いったらないんですけど」

「今は勘弁を。些細な気の緩みから尻尾を出す羽目にもなりかねません、こういうのはまず形から入るべきかと愚考致します」

「そ、そっすか……」


 う、胡散臭ぇ。怪しさ評価がMAXレベルに感じるからやめてほしい。

 とは思うものの、いちいち改めさせるのも面倒だ。俺は気を取り直してゴスペルを見遣る。


「それで、説明してくれるんですよね? 全部」

「はい。人払いはしてあります、今の内に全ての疑問を晴らして頂けるように尽力しましょう」


 そう言ったゴスペルに、頷く。やっとだ、やっと聞けるのである。

 ヘリで移動すること一時間か二時間、もう我慢の限界だ。俺は乾いていた唇をぺろりと舐め、今までに頭の中で纏めていた疑問の数々を、順繰りに吐き出すことにした。


「じゃあ、最初に聞きたいのは――」


 意外に素早く、天使達がこちらに増援を送る判断を下していることを、この時の俺はまだ知らず。俺はただただ疑念の消化に勤しんだ。全ては現状を完全に理解すること、その為だけに。

 生まれたてのベイビーの知識欲は貪欲だ。俺は一刻も早く用を済ませ――ゴスペルというやべぇ奴・・・・から離れたくて仕方なかったのだ。








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