04,何事も諦めが肝心






 ピンポーン。場の空気にそぐわない、インターホンの呑気な呼出音。


 なんとも締まりのない電子音がリビングに響くと、俺はぎくりと体を強張らせてしまった。


 日常的な音響なのに、非日常的な事態の只中にいると、打って変わって不気味に感じるのはなぜなのか。インターホンの音が耳に残って、いつまでも頭の中で反響している。

 まるでホラー映画だ。嵐の前の静けさというのか、恐怖展開の直前にある、水を打ったような一瞬の沈黙が肌に痛い。糸を張ったみたいな緊張感に、俺は呼吸を忘れてしまいそうになった。

 本当にホラー映画だったならどれだけいいか。幾ら恐ろしくともホラー映画はフィクション、作り話に過ぎない。見慣れていると展開を予測し、来たなと覚悟を決めて身構えることができる。

 しかしいざそれが現実のものとして現れたなら、どう覚悟を決めろというのだろう。


(だ、誰だ……? いや、ふ、普通に考えたら……大遅刻してる俺に腹ぁ立てた上司ハゲが、運のない奴に起こしに来させた、ってことになるはずなんだが)


 その場合、俺を起こしに来るのは誰だ? 同僚や先輩なら如才なく躱しているだろうし、まだ要領の良さを身に着けてない新人の後輩あたりが貧乏くじを引いた可能性は高いだろう。

 可哀想な話である。申し訳なくて堪らない。もしそうだったらきちんと侘びて埋め合わせをしてやらないといけなかった。


 ――まさか漫画みたいに、『敵』とか『味方』みたいな役割の人物が訪ねて来るとは思えない。


 いや思いたくないといった方が正確だ。そんなのどう対応したらいいか全然分からないのだ。もしも玄関先に居るのが『敵』なら逃げるしかないし、『味方』なら従うしかないのだろうが、現実はラノベみたいに甘いわけがない。こちらの想像もしていないような措置を取られてしまえば、俺には成す術がないだろう。まさにまな板の上の鯉になるわけである。

 逆に会社の人間でも困る。『俺』の体である花房藤太は抜け殻だし、起きる様子はない。しかもあからさまに不審な子供オレがいるとなったら、どう説明すればいいか見当もつかなかった。


 ――どちらに転んでも不都合だ。俺はどうしたらいいんだ…?


 そうやって悩んでグズグズしていると馬鹿を見る。仕事だとそうだ。玄関先にいる人物が、大人しく応答を待ってくれるような相手だという保証もない。そんなことは分かっていた……分かっていたが、じゃあどうしたらいいのかなんてすぐには思いつかなかった。

 感覚が矢鱈と冴えている、優れた動体視力が玄関扉のドアノブが回り出したのを視認した。直後、危機感を覚えた俺の脳が、人間には有り得ない速度で具体的な思考を叩き出す。


(ドアノブを回した? インターホンを一回鳴らしただけで? せめてもう一回ぐらい鳴らせよ。いやそうじゃなくてこれってもしかしてヤバい? 会社の奴ならもう一回鳴らすか、ドアをノックして俺の名前を呼ぶなりするはずだろ。ってかなんだよ、部屋の外に五人・・いるのがなんとなく分かっちゃうんだけど。これなに? 俺の五感に人感センサーでも積まれてる? 明らかに会社の奴らじゃないんだが。逃げた方がいいか? ……逃げる? ここ四階だぞ、どこにどうやって逃げるんだ。ヤバいこれ詰んでる、逃げ場なんかないぞオイ。逃げ場がないなら……出迎えるしかない?)


 明瞭過ぎる思考の形に違和感はない。そんなものに注目する余裕はなく、なぜか外に五人いると察知してしまった今、どう対応するかに思考のリソースを回す。そして回した結果、どうしようもないという結論しか出ずに諦念を懐いた。無理じゃん、と。

 もはや覚悟を決めて対処するしかない。覚悟を決めるとか格好良く言っても全然決まってないが、現実に回り出したドアノブが急に止まる訳がなかった。焦り過ぎて自分の格好が気になってきてしまい、テンパってアホみたいな台詞が口から飛び出してしまう。


「ま、待った! 俺まだ裸――」


 言い切る前にドアが開く。きゃあエッチ! なんて戯けた態度を取ったらウケるかな、なんてことを頭の片隅で思う。ウケるわけないわ、今の俺って子供の姿だし気まずくなるだけだろ。

 現実逃避できたのはそこまでだった。

 ドアを開いて玄関に一歩踏み込んで来たのは、完全無欠の赤の他人だったのである。――最初に頭を過ぎったのは、デカッ、という驚嘆。招かれざる客はひたすらにデカかった。


 見ただけで圧倒される背丈は、数値として表すと二メートル近い。加えて体格ガタイもよかった。専門的に肉体を鍛えているのが一目で分かる重厚な胸板と太い首、広い肩幅が肉体に搭載している筋肉量の凄まじさを視覚的に教えてくれる。ゆったりとした服装をしているというのに、もう全身筋肉祭りでワッショイしており、失礼ながら脳味噌まで筋肉で出来ていそうであった。


 厳つい顔の彫りは深く、肌は白い。脱色しているわけではないのなら、色素の抜け落ちた白い髪は若白髪だろうか。積年の労苦を想わせる髪を短く切り上げている様は、もう神父様みたいな格好をしていても軍人にしか見えない。目つきの悪い三白眼を今はこれでもかと見開いているが、彼に睨まれてしまうと俺みたいな一般人はみっともなく脚を震えさせてしまうだろう。


「ぁ、あー……その、部屋ぁ間違ってますよ? ははは……」


 あからさまに外人だ。日本語が通じるか怪しいが、俺は日本人だぞ! と謎のホームグラウンド感を出して強気に話しかけてみる。

 ……別に謎じゃないな、まんまホームグラウンドだ。ここは俺ん家だぞ。他人は出て行けと言外に告げたつもりだが、迫力感満載の偉丈夫が青い瞳でこちらをジッと見詰めてくると、堪らず気圧されて日本人特有の愛想笑いで誤魔化そうとしてしまう。いかん、グローバルな社会だと日本人の愛想笑いは気味悪がられてるんだ、なに笑ってんだコイツと思われる!


 相変わらず頭の隅っこで軽薄な部分の俺が喚いている。


 極度の緊張下に置かれた時、俺は心のどこかでふざけてしまう癖があった。そのお蔭で取引相手との大事な商談の時でも、ある程度は心的余裕を確保していられたわけだが、おバカな俺君も今回ばかりは萎縮している気がする。いつもよりキレがないのだ。おいおいどうしたよ俺、もっと馬鹿になれ。インテリより馬鹿の方が好かれることもあるんだからな。


「……いいえ、間違ってなどおりません、天使様」


 お、耳に心地よいバリトンボイスじゃん。すっげぇ良い声だ妬ましい。

 慇懃な様子で応じてくれた巨漢は、流暢な日本語で返してくれる。まあね、流石に日本にいるんだから日本語で話すのが礼儀だよね、特にお客様はそちら側なんだから。

 ――いい加減、自分でも馬鹿な部分の俺が鬱陶しくなってきた。インテリな部分を前面に強く押し出して、浅くなりつつあった呼吸を意識的に整える。

 今、コイツはなんて言った?

 間違ってないって言ったのか。しかも、俺を見て天使様だと? どう考えても間違ってるぞ。確かに今の俺は天使みたいな……ああ待て、天使? 天使って言ったのかコイツは。


「………」


 くそ、嫌なことを思い出した。もしかして俺をこんなことにした奴の身内なのかよコイツは。


(だとしたらどうしたらいいんだ?)


 咄嗟になんて応えたら良いのか迷い、沈黙を挟んでしまうと、巨漢が土足のまま上がり込んでズンズンと歩み寄ってくる。その様に後退るも、男の目に敵意はなかった。

 上着を脱いでタンクトップ姿になった男は、まさしく筋肉の悪魔である。上腕二頭筋をこれみよがしに見せびらかしながら、男は裸の俺にデカい上着を被せてきた。その行動は紳士的だ。

 いや、すぐさま片膝をついた様は紳士というより従僕といった方が正しいかもしれない。大柄な男の上着を着せられ、裸マントみたいな格好にさせられた俺に、男は至極丁寧に語りかけてくる。


「突然の非礼、お詫び致します。ですが御身の玉体をいたずらに衆目に晒すわけにもいきますまい。粗末で恐縮ですが、どうかそのお召し物で辛抱してくださると幸いに存じます」

「ぁ、ああ……えっと、ありがとうございます……?」

「礼など不要です。私は当然のことをしたまでなのですから」


 いやに丁寧過ぎる。今の俺みたいなガキが裸でいたら、落ち着いて話もできないという気持ちは分かる。分かるのだが、こうも露骨に傅かれると居たたまれなさで鼻血が出そうになる。

 率直に言うと怖い。誰か男の人呼んでぇー! と言いたくなった。

 そんな俺の心境などまるっきし無視して、玄関の方から更にお客様が踏み込んできた。揃いも揃って土足だが、それを指摘して怒る気になれない。俺としたことが完全に気圧されているらしい。

 若い美人のシスターさんと、目の前の巨漢ほどではないが長身の男たちが三人。全員が教会の人が着ているようなカソックや修道服で身を包んでいる。先頭を駆け足で進んできたシスターさんが英語で何事かを言いかけ、瞬時に巨漢からの叱責が飛んだ。


『隊長! フィフキエル様は――』

『黙れシモンズ。天使様の御前だ、無闇に騒ぐ無様さを晒すな』

「………」


 俺の英語力はそこそこだが、ネイティブな発音もなんとか聞き取れた。シスターさんは巨漢を隊長と呼んだのだ。シスターさんの名前はシモンズで、フィフキエルというのは……誰だ? もしかすると状況的に見て、俺をこんなにしたあのクソ女天使のことか。

 というか神父様を隊長呼ばわりしたよコイツ。堅気カタギじゃないじゃん。ヤバいよ。どうやら現実は小説より奇なりというのはマジらしい。すぐに危害を加えてくる様子はないが、お約束的な展開で『味方』枠がエントリーしてきたようだ。でもなんだろう、どうにも嫌な感覚をシスターさんやその後ろにいる神父様達から感じる。目の前に跪く巨漢からは何も感じないのにだ。

 シモンズがこっちを見る。驚いた様子だ。慌てて彼女が跪くと、他の神父達もそれに倣った。


『こ、これは天使様……このようなところでいったい何を……?』

「こっちの台詞だよ馬鹿野郎。ここは俺ん家だぞ」


 英語で問われ、日本語で返す。こちらはなんとか意味を理解できたというのに、シモンズの方は日本語を理解できなかったようだ。眉を落として困った顔をしている。他の神父達も困惑した表情で顔を見合わせていた。それを見て、メチャクチャ調子の良い頭の中で思う。


(顔色、身振り……演技には見えない。日本語が分かるのはゴスペル・・・・だけか)


 だったらコイツらの上役っぽいゴスペル以外は基本無視して、ゴスペル越しにコミュニケーションを取った方が良いな。英語を聞き取る方はなんとかできるが、話す方にはあまり自信がないし。

 そう、思って。はたと我に返る。


(……え? ゴスペル・・・・……? 誰だそれ。……もしかしてこのデカい人? だとしたらなんで俺、この人の名前なんか知ってるんだ?)


 猛烈な違和感に全身の毛穴が開いたかのような怖気を覚えた。気味が悪い。気持ちが悪い。自分が自分じゃないようで、ああ、そういえば今の俺は別人だったなと思い出す。

 堪らなく不愉快だ。この不快感はなんだ? くそっ、気分が悪い。本当になんだってんだ。頼むからもう、この意味不明な状況から解放してくれ。俺に何が起こったのか誰か説明してくれよ。

 無性にムシャクシャして仕方ない。足元がグラついているみたいで、自分が今何をしようとしているのかすら曖昧だ。本当に、これからどうなるんだ?


 俺のその不安と苛立ち、疑問を感じ取ったのか、ゴスペルが俺の様子をうかがいながら口を開く。


「天使様。――いいや、貴様はこの部屋の住人だな?」

「………! あ、ああ、分かるんですかっ?」

「私の目は特別でな。貴様の正体は勿論、何があったのかにも察しはつく」


 最初は丁寧な口調だったのに、急に言葉を崩してきた。だがそんなことは気にならない。ゴスペルの問い掛けに食いつくと、彼は穏やかな語調で続けた。


「ひとまず私に合わせろ。この者らにこの国の言葉は分からん。如何にも大事な話をしているという顔を見せておけば誤魔化せる」

「……分かりました」

「先に問うぞ。貴様はなんだ? 人間か? それとも――」

「人間だよっ。それ以外の何に見えるってんだっ」

天使・・に見えるな。ただし、黒髪黒目という天使らしからぬ姿だが」


 急に気が立ってきた。自分でも情緒不安定かと馬鹿にしたくなるが、不随意に荒くなる自分の心を制御できない。こんなこと、大人になってからは初めてだ。

 ゴスペルは至って平静に、優しげにすら聞こえる声で言う。俺が天使に見えると。そんなアホな話があるか、俺には気味の悪い白い羽根なんか生えてないんだぞ。

 ――そう思う一方で、実は納得もしていた。

 やっぱり? と。幾ら混乱していても、状況を見たらそうとしか思えない。何より俺は一度、不思議な現象を目撃していた。砕け散っていたガラスドアが一人でに直るのを見ているのだ。あれが俺の意思によるものなら、確かに俺は人間じゃない。


 ゴスペルは安心したように、しかし戸惑っているようにも、考え込んでいるようにも見える雰囲気で一瞬沈黙した。


「……だが、そうか。私はおろか、他の誰が見ても天使にしか見えない貴様は……『自己が人間である』と認識しているわけだな。クク……これは、面白いことになったな……」

「何ブツブツ言ってるんですか、まどろっこしいなぁ……! ゴスペルさん、説明してください、俺はどうなったんですか? それに、これからどうなるんです? 元に戻れるんですかっ?」

「私の名前を知っているのか? ……いや、なるほど。どうやら貴様は、フィフキエルの全てを継承しているようだな。ならば私の名を知っていても不思議ではない。おい、貴様の名は?」

「無視すんなッ! 訊いてんのは俺だろうが!?」


 辛抱ならずに怒鳴りつけると、ゴスペルは驚いたようだ。低姿勢で居たから舐められたのか? ふざけやがって、訳も分からん内に適当に流されるばかりが日本人だと思うなよ!

 俺の怒鳴り声で部屋全体が振動する、意味不明なことに謎の強風が俺を中心に吹き荒ぶ。シモンズ達とゴスペルの髪や服が靡くが、そんなことも気にならないほど頭に血が上りかけて。


「フッ……フゥ……」


 自分で自分に急ブレーキを掛ける。

 なんだ、なんで俺はこんなに怒ってる? 確かに苛ついてはいたが、俺は初対面の人に怒鳴りつけるような単細胞じゃないはずだ。落ち着け俺、クールになれ。みっともないから冷静になれよ。

 そう自身に言い聞かせて、必死に荒れ狂う激情を抑え込む。知らない内に癇癪持ちにでもなってしまったのか、なかなか冷静になれずにいる。それでも深呼吸を繰り返し、なんとか息を整えた。


「……すみません、急に怒鳴ったりして」


 とりあえず謝罪する。すると、ゴスペルは苦笑した。


「構わない。こちらも無神経だった、私からも謝ろう。すまなかった。……互いに謝ったのだ、これで水に流すということでいいか?」

「……はい。日本語、お達者ですね」

「はは。こう見えて、私は日系人だ。母から日本語は習っている。お蔭様で堅苦しい話し方しかできないがな」


 突然怒鳴りつけられたのに、ゴスペルは嫌な顔一つしない。良い人……のようだ。歳の頃は俺と同じぐらいだろうか? 出会い方が違えばいい友人になれたかもしれない。


「それより貴様の名前をまだ聞いて……いや、いいか。おい、貴様はこれからフィフキエルと名乗れ・・・・・・・・・・

「……はい?」


 突然の通告に、理解が追いつかない。なんで? と、純粋にそう思った。


「事情は後で全て説明する。訊かれたことには全て答えるし、意図して隠し事をしたりもしない。訊かれなかったから言わなかった、などという詭弁も用いない。だから頼む、今だけはこちらを優先して、私の話に合わせてくれ。時間がない・・・・・

「……時間が?」

「こちらの迎えが来ている。断言してもいいが、私以外に貴様の正体が露見すると、間違いなく殺されるぞ」

「………」


 遠くから『バラバラバラ』というヘリのプロペラ音がする。この辺りではまず聞くことのない音だ。

 迎えというのはこれのことか? それに、殺されるだって? 何を馬鹿な、とは言えなかった。

 なぜなら俺は、ゴスペル以外の人たちからは強烈に嫌な感覚を覚えている。ゴスペルの言葉が嘘じゃないと感じてしまっている。頭では疑っても、別のところでは納得してしまっていた。

 だから、不承不承ふしょうぶしょうながらも頷いた。どのみち、俺一人だと手に負えない状況なのだ。頼れる人がいるなら頼るべきだろう。


「……分かりました。ただ、この体なんですけど」

「この部屋の住人だな。分かっている、こちらから手を回しておこう。それでいいな?」

「はい。頼みますよ、ほんと……」


 そう言うと、ゴスペルはシモンズ達の方に振り返り、英語で何事かを話し始める。それを聞き取ろうという気にはならない。なんでもいいから早く、全部説明してくれとしか思わないのだ。

 俺は倒れたままの花房藤太を見る。三十年間連れ添った、大事な自分の肉体だ。このままにはしておけないが、今は仕方ない。ゴスペルを信じて任せるしかないだろう。


「では――フィフキエル様・・・・・・・、こちらへ」


 恭しく手を差し出してくるゴスペルの手を取る。歩き出した彼に合わせ、俺は名残を惜しむように一度だけ振り返った。

 上京してから数年の後、引っ越した先の我が家。五年以上を過ごしたこの部屋とお別れになる。

 どうしてか、唐突に離れ難くなった。もう二度と、ここに帰ってこれない気がするのだ。


『ふぃ、フィフキエル様、どうかなさいましたか?』


 シモンズが顔色をうかがってくる。それに、俺はのろのろと首を左右に振って――今度こそ、この部屋を後にした。

 失礼、と断りを入れてゴスペルが俺を肩に乗せる。

 そして四階の高さから飛び降りて、一気に地上まで降り立った。

 だというのに、俺は全く恐ろしいと感じない。なぜだろうと、また一つ疑問が増えた。


 輸送ヘリがマンションのエントランスの先に到着している。


 人通りはあった。なのに、誰も俺達の方を見ない。ヘリの存在にも気づいた様子がない。プロペラで強い風が吹いているのに、だ。


(あー……こりゃ、考えるだけ無駄だなぁ)


 本当に諦める。サブカルの知識を参照するなら、誰にも気づかれないマジカルなパワーが働いてるんだろうな、ぐらいにしか思えなかった。


 開かれたヘリのハッチの向こう側に、ゴスペルの肩に乗せられたまま向かっていく。

 その直前、会社で見知った後輩が、エントランスに入っていくのに気づいた。


(……来るの遅いんだよ、山田くん)


 我ながら理不尽な悪態を、心の中で呟く。

 これで『俺』は病院送りだ。

 元に戻れたらいいなぁと思う反面、無理なんだろうなぁとも思う。

 直感的に、今の俺は不可逆の状態なのだと感じていたのかもしれない。


(ま、こうなりゃなるようにしかならんわな)


 もう、ホントに、ホントの本当に、一旦全部諦めよう。

 諦めたものについて考えるのは、事情を理解してからでいいだろう。

 






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