第3話 タルト・タタン

 雑貨屋ポラリスのレジカウンターに座って、ぼうっと外を眺めている。


 日傘をさした女性が通り過ぎる。


 まだ五月下旬なのに、外はもう夏みたいな気候だ。暑すぎて、通りを歩く人もまばらだった。


 ポロロン、ポロロン。


 ドアのチャイムが鳴って、店長の真梨子さんが早い昼休憩から帰ってきた。


「休憩ありがとう」


 言うなり溜息をついて、真梨子さんは両手を突き出す。手にはケーキ箱がぶら下がっている。


「今、ダイエット中?」


 ケーキ箱を二箱、レジカウンターの上へ置くと、真梨子さんは気怠げに前髪をかき上げた。


「天野が持っていけって、うるさくて」


 天野さんとは、ポラリスの三軒隣にあるケーキ屋さんで、働く男性店員のことだ。真梨子さんに好意を持っている。


「試作品みたいよ、天野の」


 真梨子さんはケーキ箱を開ける。途端、あざやかで甘い香りがわきあがってくる。


 試作品だなんて、本当かな。


 深く考えては、天野さんにもケーキにも申し訳ない。頭の隅に、天野さんの困ったような笑顔が浮かんだ。


 私は、誘われるがままケーキ箱を覗き込んだ。ケーキは六個あった。ショートケーキやチョコレートクリーム、ベリーが沢山のったタルトなど、どれを見てもうっとりしてしまう。


「好きなだけ、持って帰って」

「いいんですか?」


 と言ってみたものの、天野さんに申し訳ないような気がする。悩んでいると、


「すみれさんにも、って言ってたから、好きなだけ持って行って」


 真梨子さんは見透かしたように、付け加えた。


「では、三個いただきます」


 たぶん、と私は思う。


 たぶん、真梨子さんは天野さんの好意に気がついている。だからと言って、媚びるわけでもなく、避けているわけでもない、丁度いい距離を保っている。


「それだけでいいの?」


「はい。一人なので三個でも多いですよ」


 私は笑う。


 けれど、その丁度いい距離こそが、つらいのだ。恋する者にとっては。


 真梨子さんと入れ替わりで、昼休憩をとる。今日はポラリスの事務所で食べる。お弁当を持ってきたのだ。


 デザートに、天野さんのケーキを食べることにした。林檎のタルト。ショートケーキとチョコレートケーキは、家に持って帰ることにする。


 林檎のタルトは、大人の味がした。


 ほろ苦いキャラメルと林檎の爽やかな味。一緒に濃いミルクティーが飲みたくなる。


 甘いものを摂取して、まぶたにやさしい重みを感じる。少しの間だけ、目を閉じる。




 次に会う時は、言わないと。

 変わるんだ、今度こそ。

 



 ブー。





 まるでクイズ番組で流れるような、不正解の音が鳴り響いた。


 ぎょっとして、目を開く。


 机に置いたスマートフォンが震えたところだった。取り上げて、画面に映し出された名前に心が躍る。まどろみの中で誓った言葉も、その名前の前ではゆるゆるとしぼんでいってしまう。





 夕刻。ポラリスから帰宅しようとしたところを、天野さんに呼び止められた。


「ケーキ、どうだった?」


「おいしかったです」


 そうか、と笑った天野さんは私の目をじっと見た。正確には、目の奥を。その奥にある、私の記憶の中の、真梨子さんを探しているかのように。


「店長もおやつに、チーズケーキを食べていましたよ。ベリーがのったタルトを可愛いと言っていました」


「マジで!? やった!」


 天野さんは小躍りしそうなくらい、喜びに溢れていた。


「ベリーのタルトを選ぶと思ってたんだよ」


 嬉しそうに話すのを、横でうんうんと頷いて聞いた。


「林檎のタルトもおいしかったですよ」


 こっそり感想を付け加えると、

「ああ、タルト・タタン」と幾分か冷静になった天野さんが答えた。


「タルト・タタン?」


 あの林檎のタルトは、タルト・タタンというのか。


「そう。知らない? 失敗から生まれたお菓子なんだよ。フランスのタタンっていう名前の姉妹が……っと、いけね。親父がにらんでるわ」


 ありがとね、と天野さんは言ってお店に戻って行った。



 タルト・タタン。


 綺麗な目をした、タタン姉妹を想像する。手には真っ赤な林檎を持っている。絵本の中の一ページのようなシーンだ。



 タルトタタン



 ほろ苦い味と酸味がまざったあのタルトを、舌の上で思い出してみる。



 タタン、タタン



 失敗から生まれたのに、あんなに美味しいタルトになるなんて。



 タタン タタン タタン



 タタン姉妹も、恋をしていたのだろうか。

 間違えてしまうくらいの、夢中な恋を。


 


 ターコイズブルーのお皿に、ショートケーキをのせる。


 窓際に座り、夜になろうとしている海を眺めながら、ケーキを食べる。窓際に机はないから、手でお皿を持つ。


 真っ青なお皿の上にのった、三角のケーキは、船みたいだ。


 視線を横にずらすと、壁にノートの切れ端が貼ってある。


「坂の上の住人より」


 口に出してから、少し微笑む。勢いで苺を頬張った。ぷつぷつと胸の中で、嬉しさや期待が弾けていっぱいになる。


 海と空の間は、この時間になるとはっきりと境界がわかる。

 夜に食べた苺は、タルト・タタンの林檎より酸っぱかった。

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