作家の梅干 🍚

上月くるを

作家の梅干 🍚





 沢田研二さん主演映画に触発された橙子は水上勉さんの食べ物エッセイを読んだ。

『飢餓海峡』『雁の寺』『有明物語』などの小説は愛読書だったが、随筆は初めて。


 果たして、口減らしのため寺の小僧に出された少年期からの体験をもとに、父親のような和尚さんから学んだ精進料理の真髄が丁寧に語られた、滋味深い逸品だった。




      🧹




 そのなかに、土の恩恵を受ける食べ物で最も大切にしている梅干の話が出て来る。

 和尚さんの薫陶を得て大事に大事に漬けた梅干を惜しみ惜しみ食するエピソード。


 当時の禅寺の慣習で、和尚さんが亡くなって後継がないと妻や娘は即座に寺を追放されるのだが、作家が家族とも慕っていた娘さんが何十年も経ってから訪ねて来た。


 持参した壺には亡母が「届けてやりなさい」と言っていた古い梅干が入っていた。

 口に入れると最初は塩辛くてしだいに甘くなる梅干は、作家の郷愁と感懐を誘う。




      📞




 そのことを商業雑誌の巻頭随筆に書いたら、読者を名乗る青年から電話があった。

 「何十年も梅干が生きているわけがないでしょう。小説家はうそがうまいですね」


 どんなに説明しても電話の向こうに届かなかったのが残念で「再び梅干について」を同じ欄に書いたら、しばらくして同誌上で、思わぬところから援護射撃があった。



 ――都会に出まわる量産のニセ梅干とちがい、真物ほんものの梅と塩だけで漬けた梅干は何百年ももつ。自分の家には知人からいただいた嘉永三年作の梅干がある。食してみるとそれはもう梅干とは言えぬものながら依然として梅干で、中の核も生きていた。

 

  

 水上さんの無念を読んだ尾崎一雄さんが「梅干大長寿説」を実証してくれたのだ。

 作家の耳朶に冷笑を残した青年からの反応はなかったが、それだけで十分だった。


 


      📬




 同業者からの応援で十分と言いながらも、若干の口惜しさを残していることがあきらかな文章に共感する橙子の胸に、モノクロの古い記憶がむくむくと屹立して来た。


 地方紙や全国紙の地方版にコラムを連載していたころ、東京在住の読者から分厚い手紙が届いた。「させていただく」は日本語の文法に適っていないからやめなさい。


 当時その表現があちこちで問題になっていたことは承知だったが、それでもなお、お客さまにはそう書かずにはいられない商売人気質が、骨身にからみついていた。




      💃




 じつは橙子、その尾崎一雄さんからも、ご指摘のお手紙をいただいたことがある。

「あなたは『幕開け』と書いて来たが、芝居用語の『幕開き』です」はい~。🙇


 なお、水上勉さんの話には後日談があり、梅干をめぐる禅問答(?)を読んだ越後の老媼から「うちには源義経が漬けた梅干がある」という激励の手紙が来たそうだ。

 


 




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