第23話 私はアントワープに三回旅行に行きました

 本庄海里はノートの切れ端を取り出して、伊智那に渡す。


『私はアントワープに三回旅行に行きました。愛知とアムステルダムに二回、あんずの里も二回訪れたことがあります。』


 意味はわかるが文意がわからない、そんな文章だ。

「なるほど暗号ですか」

「そんな大層なものじゃないよ。ちょっとしたなぞなぞ!」

 見る限りボールペンで書かれている。余白や配置に不自然な点はなく、レイアウトに仕掛けがあるとは思えない。

「質問、これを解くのに必須の知識はありますか。例えば、『あんずの里』を知っている必要は?」

「ないよ。ヒントになる知識はひとつあるけど、学校で習う範囲だし、なくても解ける」

(なるほど。地名自体に意味が有るわけではなさそうだ。この文だけで、一般の知識だけで解けるようだ)

「あ、伊智那ちゃんはお勉強できるタイプ?」

「私の五百倍くらい」

 目を回している母が代わりに答えた。

「すごいね! じゃあ全く問題ないけど、中学の勉強からあやしいともしかしたら難しいかも」

「僕は学校の勉強が嫌いですが」

(必須の知識は中学レベル、なくてもいいヒントは最高で高校レベルか。ふむ。ざっと気になる点をみると……)

「わかった?」

「まだだよ母さん。でも、先ず気になるのは四つの地名だね。アントワープ、愛知、アムステルダムの三つの大き目の地名と、あんずの里というマイナーなスポットがある。最後のは全国の中学生が知っている場所というわけじゃあ、ない。僕が思うに、これらが示すのは音だ」

 ごくりと喉を鳴らし、一拍遅れて問う。

「音?」

「そう。そこに注目すると、四つの地名すべてが『a』の音で始まることに気づく。……でもそれだけ。視点を変えよう。地名ほど目を引くものがもう一つある」

「字の汚さ?」

 どこかでしゅんと落ち込む音が聞こえた。

「違う。全然違うよ。数字だ。愛知もアムステルダムもあんずの里も二回訪れたらしいが、アントワープは三回だ。別に観光に行きましたよ、というツイートでもないわけだし、旅行という行為に意味はないとみている。むしろこれらの数字を入れるための動詞とみるべきじゃないかな」

 伊智那は自らのノートを取り出して、メモをした。


『アントワープ:三 ・ 愛知:二 ・ アムステルダム:二 ・ あんずの里:二』


(それぞれ繰り返すか? アントワープアントワープアント……違う。この文字数ではアナグラムも何もない。それぞれの地名ゆかりの数字……違う。場所に対する知識はいらないはず。そう、地名に意味がないなら、これらの地名はどうやって選別された? あんずの里が入る意味はなんだ。どうしてマイナーな場所が入り込む)

「ねえ伊智那、私、文字に意味があると思うの」

 三崎ふうきが目を輝かせながら肩をつんつんとつついた。

「文字?」

「そう。カタカナと、漢字と……」

「それだ」

(なるほどそうだ。あんずの里が入るのは、ひらがなの地名が欲しかったから、か)

「ん?」

 ラム肉をのみ込む間に思い出す。

「いや待てよ。音が重要だったはず。どうして漢字やカタカナがキーになる?」

 ひらがなだろうが漢字だろうが、音に変化はない。

(――だめだ。視点を変えよう。数字は何を表す? 音と数字と云えば、声調が思い出されるけどそれはないか……!)

「わかった文字数!」

 伊智那は本庄海里を一瞥したが、彼女は終始微笑みのまま表情を崩さない。

(どこだ。どこからどう取る……。愛知は二だが音を取るか、文字か? 後回し。でもそうだ。全て「a」から始まるのだし、語頭から取ろう)


『アント・愛(愛知)・アム・あん』


(これで、文字の種類に意味があるとすると……)


「なるほどそうか。――んふふふ。はは。愛知でなく、愛だね?」

 本庄海里がはじめて表情を崩す。

「本当に頭がいいんだね! 早すぎるよ!」

「え、何どういうことなの?」

「母さんの気づきは素晴らしかったんだ。カタカナひらがな、そして漢字で区別があるのは、表す音が違うからだ」

「それって、『ア』と『あ』が違う音ということ? 同じじゃないの」

「日本語ではね」

「英語!」

「そう。これは英語だ。愛は「aɪ」だったんだ。アントとアムの『ア』は同じ。アムが『am』なら『ア』の音は『æ』で、アントは『ænt』だ。『あん』は『ən』。単体で意味をなさない冠詞だから、これだけマイナーな地名というのも意味があったというわけか」

 つまり、という顔をする母に伊智那は続ける。

「ænt・aɪ・æm・ənを意味の通る語順に並び変えるとどうなる?」

「えっと、aɪ は『I』で、これが『am』、これが『an』、『ant』? I am an ant. 私は蟻です?」

 確かにそうとも取れる。ただ、ここでは違う。

「アメリカ人の一部は、æntと聞くともう一つ別の単語が浮かぶはず。日本人はアメリカ式の発音を学ぶし、母さんも知っているはずだ」

「ああ、なるほど。わかったわ。『aunt』なのね」

 三崎ふうきは本庄海里の顔を見て云う。

(I am an aunt.)

「私は叔母です」

 筒井海里がそこには居る。


「つまり、お兄さんに子供がいた、というわけだ」

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