不思議の国焼き菓子店

冲田

第1話

『わたしを お食べ』


 この文句を、丁寧ていねいに丁寧に、アイシングでクッキーに描くという作業を、もう 何十回と繰り返している。

 手も疲れたし腰も痛いし、そろそろ集中力も切れてきた。

 僕は手を腰に、それから上体をそらせて うーんと伸びをする。

 その様子を運悪く店主の菓子職人に見つかって、ギロリとにらまれた。


「おいアーサー! 見習い風情ふぜいなまけるんじゃないよ」


 店主は男顔負けのうでぷしで迫力のある女性で、僕は思わず肩をすくめた。


「一息ついただけですよ。もう、クッキーは終わりました」

「じゃあオーブンからスコーンを出して、出来上がったものは店頭に並べて……

 やることはたんまり残ってるんだからね」

「じゃあ僕、お店の前、掃除してきます!」


 逃げるように厨房を後にして、開店前の店内を通って外に出る。


 ほうきを手に見上げた看板には「焼菓子店」と飾り文字が踊っていた。

 これは文学的表現ではない。実際に陽気に踊るようにペンキの文字が動いているのだ。

 読みにくいったらありゃしない。

 入り口前で寝そべっているたくさんの落ち葉を、箒ではく。

 そもそも落ち葉掃除というのは、風が吹くたびにまた元通りに散らかって なかなかに終わりのない作業だというのに、ここの落ち葉たちは風に吹かれずとも とことこと自分の足で店前まで歩いてくる。

 この場所がどうにもお気に入りらしい。


 箒で落ち葉とたわむれていると、お客さんがやってきた。

 チョッキを着て懐中かいちゅう時計どけいを手にした白うさぎだ。


「おはよう、おはよう。ちょいと急いでいてね。今すぐマフィンを売ってはくれないだろうか。女王様のお茶会に遅れちまう」

「おはようございます、白うさぎさん。申し訳ないけれど、まだ開店前なんです」

「今すぐ売ってくれなきゃ、遅れちまうんだよ」

「僕の裁量では、なんとも どうでしょう」

「では配達を頼みますよ。私はちゃんとこうして出向いて頼みましたからね。さあ いそがなくちゃ」

 さらりと配達という仕事を増やしたうさぎは、せわしげに懐中時計をのぞきこみながら、走り去っていった。


 うさぎにその自覚はまったくないのだろうが、僕がココにいるのはあのうさぎのせいだ。

 うっかり好奇心に負けて、世にも珍しいチョッキを着た白うさぎを追いかけてしまったばっかりに、不思議の国に続くうさぎ穴に落ちてしまった。


「それは自分の所為せいだと思わんかね?」

 足元の落ち葉が言う。


 僕はさっさとそいつを落ち葉の山に追いやった。


「うるさいなぁ。見透みすかしたようなこと言わないでよ」



 うさぎ穴に落ちてこの国に来てから どれだけの時がたったのか、正直わからない。

 一年くらいは いる気がするかな。


 窓ガラスに映る自分は少年の見てくれをしていて、エプロン姿の菓子職人見習い。

 実は大人になるほどの年月がすぎているのに ピーターパンのようにいつまでも子供でいるのだと言われても、不思議ではない。

 何しろ、“自分”を保つのがこんなに難しいところもないのだ。


 だからお菓子作りというのは、とても落ち着くものだった。お菓子の作り方はどこに行っても変わらないからだ。

 この不思議の国で こんなに“まとも”な仕事はきっと他にはない。材料は……“まとも”じゃないけど。



 僕は店の中に戻ると、厨房に向かって言った。

「マフィンの配達注文 入りました。女王様のお茶会だそうです」

「ああ、じゃあ急ぎだね。出来上がってる分、全部今すぐ持ってけ」

「はぁあああい」


 僕は渋々と、陳列棚ちんれつだなに山と積み上がっていたマフィンをバスケットに“全部”放り入れた。

 店内には他に、カップケーキやマドレーヌにショートブレッド、トフィーやファッジにプディング、さっきまで僕が文字を描いていたクッキーも もちろん並んでいる。

 そして、どれもこれもというわけではないけれど、一欠片ひとかけの不思議を持っているものが多い。


「あと、ついでに帽子屋ぼうしやのお茶会にもね」

「そうだろうと思いましたよ」


 同じバスケットにパンとスコーンとバターやジャムも突っ込んで、僕は配達に出た。本当は、厨房でお菓子作りをしているほうが好きなんだけれど。


 菓子店からある程度離れたところで、エプロンのポケットの中から『わたしを お食べ』と書かれたクッキーを取り出してパクリと一口。

 さっきまで僕が作ってたやつをいくつか、失敬しっけいしておいたんだ。

 僕の身体はみるみると大きくなって、巨人のような背丈になる。もちろん、一歩を大きくして簡単に遠くに行くためだ。ただ、足を置く場所にはちょっと気をつけなければならない。


 女王様のお茶会会場であるバラ園に 文字通り一足ひとあしびに到着して、また別のクッキーを口に入れる。程よい大きさになったところで会場に入ると、ペラペラのトランプカードに手足がはえたような姿をした兵士──トランプ兵たちが 大きなテーブルをセットしたり会場のかざけをしていた。

 いったい、どれだけのお客が呼ばれるのか、かなり大掛おおがかりな会場だ。

 白うさぎのことは追い抜かしてしまったようで、見当たらなかった。


「焼菓子店です。白うさぎさんからご注文いただいたマフィンをお持ちしました」

「どうもどうも、ご苦労様です。これで私も首がつながったというものです」

 トランプ兵がそう言って、マフィンの山を受け取った。また別のトランプ兵はそれをさっそく、テーブルにピラミッドのように整然と積んでいく。


 さあ、次は帽子屋だ。

 その帽子屋は、準備中であることなどお構いなしにテーブルのはじのほうを陣どって、すでにお茶会をはじめていた。


 招待客なのか勝手に場所を借りているのかは知らないが、同じ場所にいてくれたのは僕にとっては好都合だ。


「こんにちは、焼菓子店です」

「やあやあ、可愛い わしのおいや。今日はまさか誕生日じゃあるまいね?」

「僕はあなたの甥っ子でもなければ、誕生日でもありませんよ」

「そうだったかな?」

「パンとスコーンをお持ちしました」


 帽子屋との問答は疲れるだけと知っているので、さっさと本題に入る。


「甥っ子ではないとなぜ断言できるね? 確かなことは何もないと言うのに」

「バターとジャムはこちらに置いておきますね」


「ジャム! それを待っていたんだよ! 紅茶にたっぷり入れないと」

 三月うさぎが割り込んで、ひったくるように僕からジャムびんを受け取ると、茶葉の入った缶の中にドバドバとジャムを入れた。


 それは違うんじゃないかと、いちいち物申すのは不毛なことだと、それも僕はすでに学んだ。口に入れる物をわせているだけ まだマシだ。

 帽子屋と三月うさぎのさわがしいおしゃべりをやり過ごして、また急ぎ、菓子店に戻る。


 不思議の国でのお使いは、当たり前とは程遠い。

 でも、それを楽しく思ってしまうから、僕はきっと いつまでもここの住人でいるんだろう。



 不思議の国のお茶の時間を彩る焼き菓子店。

 これは 僕、見習い菓子職人アーサーの不思議のおはなし。

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不思議の国焼き菓子店 冲田 @okida

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