1-2:夢の始まり 下

「そこはお任せください! だいぶ奮発しましたよ!!」

「お、おぉ!! た、例えばどんな能力だ? 最強の剣士になるとか、魔法使いになるとか、そんな感じか!?」

「そんなことよりもっとすごいです……期待してください」


 最強の剣士も魔法使いも超えるのか、それは異世界の美少女達にもててしまうかもしれない――俺はワクワクしながら、自らのチート能力の開示を待った。


「まず、現地の言葉が分かります」

「……は?」


 いや、現地の言葉が分かるって、そんなの当たり前では? 思わず脳内で返答してしまった。


「いえいえ、当たり前ではありません。アナタがこれから行く世界は、アナタの価値観でいうところの中世風の世界観……といえども、農耕が始まり文明を得て三千年、アナタの世界と全く違う言語が発達しています。三千年の歳月を積み重ねて出来た言語を一足飛びで体得できる、これは剣の達人がその生涯をかなーり長く見て百年として、その三十倍の価値があると思いませんか?」

「う、うーむ……?」

「それと同様に……なんと、読み書きが出来ます。この世界の識字率は八割を超えますが、それはお触れを理解するのに必要な簡単な表語文字の読み書きのみで、専門性の高い言葉、貴族や聖職者の使う表音文字となると、その識字率はなんと数パーセントにまで低下します。これが読めるのも凄いことですよね!?」

「お、おぅ……?」


 ここまでも割と気さくな女神だったが、与えた能力についての件になるとやたらと早口になった。


「あと、免疫です! アナタの体はそれはもう、良い感じにぐっちゃぐちゃだったので再構築しているのですが、この世界に合った遺伝子情報を持っていません。そのため、主要な疫病に対する免疫を持たせました!」

「良い感じにぐっちゃぐちゃのくだりも気にはなるが、ひとまず免疫がなかったらどうなる?」

「何に罹るかにもよりますが、端的に言えば三日は生きられない確率が九割九分九厘です。しかも苦しんで死にます」

「そ、それは必要だな……」


 女神のもう一回死ねるドン、みたいなポージングに、こちらとしては頷くしかなかった。残念ならが0.1%の欲しい糸を恒久的にひき続けられるほど運には自信はない。そもそも、もし運が良ければ、俺はこの場にいないだろう。


「あと、再構築の件ですね。こちらは特別なことはしていません。この世界は、アナタのいた世界の1Gと、誤差0.00001%の重力で成り立っています。下手に筋力とかいじると動きにくいと思いますので、どうせそのまま動けるならと、生前の肉体に近くしています。顔も……生前の、トラックに轢かれる前の、そのままです」


 女神は目を細め、じっ、とこちらを見つめている。生前の顔そのままをじろじろ見られるということは、割と容姿端麗だったのかもしれない。


「いいえ、普通ですよ。標準的です。あまりに普通だからなんというかこう、逆に珍しい的な?」

「あ、さいですか……」


 この女神、上げて落とすのが上手い。しかし、言葉が分かる、文字が読める、標準的な免疫がある、身体能力普通となると――。


「……ご不満で?」

「いや、いろいろと能力付与を頑張ってくれたのは重々承知として申し訳ないんだが、生きる上で最低限の能力を付与されているだけのように思えてな……?」

「普通に生きられる、それは実は贅沢なこと、いわばチートなのかもしれませんよ?」


 なんだか唐突に深い感じのことを言い始めた――いや、アレはごまかそうとしている雰囲気だ。その証拠に、女神のくせに目が泳いでいる。


「いえ、その、もちろんですね? 先ほど言ったこと以外の能力も付与してあげたかったのは山々なのですが……生きるのに必要最低限の能力を詰め込んだら、容量がいっぱいになってしまったといいますか?」

「え、何、俺はスペックの低いPCみたいな存在なの?」

「いえいえ、普通です」

「それならまだ、いっそ低いとかのほうがなんか覚醒しそうで良かったまであるぞ!?」

「ワガママですねー……あ、そうだ、一個、副作用的に常人とかけ離れてるところありますよ?」

「ほほぅ、詳しく」


 もしかすると、数多の美少女にモテなくとも、数人くらいの美少女にならモテる程度の何かはあるのかもしれない。沈んだ自身の心が、ちょっとだけ蘇るのを感じた。


「アナタは最初に異世界転生と言いましたが、まぁ概念的には間違っていませんので否定しませんでした。ただ、厳密にいえば、アナタの遺伝子情報を持つ肉の塊に、アナタの魂を無理やり定着させている、というのが正しいです。つまり、転生ではなく、歩く死体というほうがしっくりきますね」

「え、俺アンデッドなの?」


 モテるどころかえんがちょな存在なのかと思い、この短期間で自身の心がもう一度折れかける音が聞こえた。


「まぁ、神聖な力に弱いとかそういうのはないです。あと、腐ったりもしないのでえんがちょってほどでもないですね。ただ、副作用はここから……普通は肉体が一定以上損壊すれば、生命活動は停止します。しかし、アナタの場合、如何に肉体が損壊しても魂残るようになっています」

「……つまり?」

「めちゃくちゃしぶといです。普通なら絶命するようなケガをしても、回復魔法で肉体の損壊を修復すれば、復帰可能です……別に、アナタには戦ってほしいわけではないのですよ。

 だから、言語系統や免疫など、そちらを優先しました。ですから、肉体が損壊するような危険を冒す前提で蘇らせた訳ではありません。頑丈なのは、あくまでもこの世界にアナタを定着させるための副作用な訳です」

「あー……」

「……嫌になりました?」


 気が付けば、自分の視線が足元――水中みたいなところなので、目が足のほうに向いてただけ、が正しいか――に落ちていたらしい、見上げたら今度は女神がうつむいており、前髪でその表情は見えなくなっていた。ただ、声の調子から、あまり元気そうにも見えない。


 もちろん、こっちもこっちで色々と複雑だ。気が付けば記憶喪失、一度死んで、蘇らせられて、しかも歩く死体認定。知らない場所に放り込まれるというのに、読み書き会話が出来て変な病気にかからない、日常で困らない程度のスキルしかないわけだ。魔王がいるということは治安も良くない、モンスターとかもいるような世界だろうし、多少頑丈といえども、襲撃されたりしたらひとたまりもないだろう。


 というか、ここまでなんとなしに厳かな雰囲気に飲まれていたが、そもそもこれは夢なのではないか? 考えてみたら、あまりに突飛な状況、これを自分にとっての現実と考えるのも無理がある気がしてきた。


「……もちろん、ここは精神世界であり、夢みたいなものですが……話したことは、本当です。しかしこれが現実、と言っても、それを立証する手立ては私にはありません」


 そう言うと、女神は毅然とした顔でこちらを見つめてきた。


「アナタには、選択権があります。今、私が話した状況で、私の依頼を受けるか、断るか。脅しのようになって申し訳ありませんが、断った場合、ここで静かに再びついえることになります。もちろんその場合、痛みや苦しみは与えません」


 これがもし夢だとするなら、この問い自体がナンセンスだ。この問答に意味などなく、起きたら記憶も普通に戻っていて、何気ない日常に戻るだけ。ただちょっと不思議な夢を見た、というのが、知り合いとの間の話の種になる程度のこと。


 ただ――。


「……断って得があるとも思えないが、受けて何か得はあるのか?」


 なんとなく、この状況が異常であっても、この状況が自分にとっての全てな気がした。もちろん、記憶がないせいで、正常な判断が出来ていないだけかもしれない。夢の中だからボンヤリしているだけかもしれない。


 それでも、これが今の自分にとっての現実。それは、直感的に正しい気がしたのだ。


「……アナタ、やはりお人よしですね。蘇った先で、誰かに騙されないか心配です」

「うるせー、意外としっかりしてるよ、多分」

「それで、私から呼び出しておいて、依頼をこなして特別なにを与えられる訳でもありません……でも、アナタ自身が生前に追い求めていた夢……もしかしたらそれが、この世界で叶えることができるかもしれません」

「俺の夢?」


 記憶がないのだから、自分の夢が何であったのかも分からないの。なので、出来ればそれも教えてもらいたいのだが。


「大丈夫です、きっと自然と……失ってしまった夢を追い求めますよ。脳が覚えていなくても、きっと魂が覚えていますから」

「はは、それこそ、なんか都合よく俺を騙そうとしているんじゃないか?」


 精神世界にもかかわらず、首を鳴らすような動きをし――ちょっと気障かもしれないので、照れ隠しに体を動かしたかった――改めて、女神の黒く、しかしどこか希望に溢れる瞳に応える。


「……せっかく拾った命だ。もう一度、生きてみるよ」

「えぇ、ありがとうございます。きっと、そう言ってくれると思っていました」


 優しく微笑むと、女神はそっと体をよじって横になった。彼女が後方に手をかかげると、その手の先、自分の前に光の扉のようなものが現れた。


「あの光を通っていけば、アナタの体は現世へと蘇ります。もう一度、生きてみてください。そして、世界を見て回ってください」

「了解……そうだ、いつまで見て回るとか、何か報告するとかあるか?」

「いえ、それは大丈夫です。私はアナタをいつでも見守っていますし……アナタの思うように生きてほしいのです」

「分かった」


 頷き返すと、俺は光に向かって歩き始めた。彼女の横を過ぎ、光に入る前に、ふと肝心なことを忘れていることに気づいた。


「もう一個、女神様。アンタの名前、聞いてなかったな。その前に自分の名前を……俺は……その、なんて名乗ればいいんだ? 生前の名前くらい教えてくれよ」


 振り向かないまま、俺は足を止めて彼女の返答を待つ。きっと、俺の頭の悪い質問に、彼女は笑っていることだろう。


「アナタの本当の名前……私は知っていますが、あえて教えません。西洋風の異世界ですし、いっそ西洋風の名前の方が、通りが良いと思いますよ」

「とはいっても、俺がジョンとかいうのも変じゃないか?」

「いえいえ、この世界なら別におかしいことじゃありません……そうですね、アラン・スミスと名乗るのはいかがですか?」


 アラン・スミス――西洋風の名前を名乗るには抵抗があるが、まぁ郷に入りてはなんとやらともいうし――何より、なんとなくしっくりくる。記憶もないんだ、いっそ名前すら一新して、心機一転でいくのも良いかもしれない。どうせそのうち慣れるだろう。


「それじゃあ今日から俺はアラン……アラン・スミスだ。それで、アンタは?」

「はい、私はレム。この星の原初の一にして、海を司る女神です」

「そうか、レム。もう一度チャンスをくれてありがとう……それじゃ、好きに生きてくるよ」

「はい、アナタの行く道に、どうか幸多からんことを」


 その言葉を背に、光の門をくぐる。それと同時に、急激な落下感が体にかかり――いや、浮遊感か――高揚感なのか、体が浮くような感じが来たと思えば、急な眩暈――脳をハンマーでたたかれたような、鈍い頭痛が走る。


 そんな状況もお構いなしに、体は、魂は、勝手に前に進んでいく。まっさらな光を超えて、だんだんと暗がりへ、そしてまた浮遊感、段々と体が、上にいざなわれているのを感じる。黒から光を感じる青へ、そして段々とオレンジ色に包まれていき――。


 目が覚める。視界よりも早く、耳に潮騒の音が入ってくる。手を地面につけ――砂浜だ――上半身を起こす。どうやら波打ち際で目覚めたらしい、立ち上がり、靴を濡らす波から離れて辺りを見回すと、海の向こう側には水平線に沈むであろう西日が、空を薄紅色に照らしている。一方で、薄暗くなりはじめた東側の――多分、公転だとか自転とかは前世と変わらないのだろうから、という判断だが――空に、青白く輝く月が見えた。


「……ちょっと格好つけて来たのはいいものの、これ、どうりゃいいんだ?」


 この空と辺りの雄大な景色よろしくに、文字通り途方に暮れることとなった。

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