現代的白雪姫

三浦淡路守

前編

 現代の「X」という王国に一人のアルベルトがいました。アルベルトの名前は「アルベルト」と言いました。女王グリムビルド一世が大変長生きでしたので、アルベルトは七〇歳になっていました。グリムビルド一世は若いころに夫であった先々代の国王レオン三世から王位を引き継いで四〇年以上もX国に君臨していました。

 X国はA語とB語を話す人が混在する国で、言語による対立がもとで内閣が発足できないことも度々あるような国でした。そこでX国は立憲君主制でしたが政局が混乱する度に国王が調停に乗り出す必要がありました。

 グリムビルド一世は政局が混乱する度にそれを巧みに収拾し、棚上げになっていた連邦制の導入などの難しい問題を国民に呼びかけて、世論の支持を取り付けた上で実現させるなど、卓越した政治手腕を持っていました。

 その気さくな人柄も相まって国民の人気は高く、国民からは「国家の母」と呼ばれていました。一方で、時に立憲君主制の矩を超えるようなグリムビルド一世のやり方を嫌う政治家たちからは、「悪の女王」と陰口を叩かれていました。

 そんなグリムビルド一世の後継者たるアルベルトはというと、ただ無難に公務をこなすだけの実に平凡な人物と見られていました。社交的で類まれな美貌を備えていたグリムビルド一世とちがい、アルベルトは背は高くありましたが瘦型の、どちらかといえば貧相な体型でした。また性格も温和でしたが内気で、グリムビルド一世のように気軽に首都の街を歩いて、気さくに国民に声をかけて回るというようなこともなかったので、国民からは不人気というほどではありませんでしたが、人気があるわけでもありませんでした。いえ、国民も政治家もアルベルトのことなど大して気にも留めていなかったというべきかもしれません。

 グリムビルド一世は九〇歳を超えてもなお頑健で、人々は彼女がいつか死ぬことを忘れているかのようでした。アルベルトにしても、彼は唯一の趣味の古書と古銭と切手の蒐集さえできればそれで幸せという人でしたから、そんな状況を嘆く風もなく、王宮の中で時々公務をこなしながら、静かに暮らしているのでした。

 ところが一〇〇歳を超えてもずっと在位していそうな勢いだったグリムビルド一世が先日九九歳で突如崩御してしまったのです。当然王位は王太子たるアルベルトが継承することになりました。「アルベルト二世」として即位した新国王を、政治家や国民たちは少なくとも表面上は歓迎しました。しかし内心では、「あの平凡な王太子様では・・・」と不安を抱いていました。なぜならば、X国には先に説明したように難しい事情があり、この国の国王はただ玉座に座っていればいい存在ではなかったからです。

 数少ない例外の一つとして、アルベルトの即位を心から喜んだのは宮中に仕える侍従や女官、使用人たちでした。先代のグリムビルド一世は表向き温和で気さくに振舞っていましたが、実は気難しく、気性の激しいところがあり、機嫌が悪いと側近くに仕える人々に八つ当たりしたりしていました。また下級の使用人たちについては、長年仕えている者でも名前さえ覚えないのでした(もちろん、グリムビルド一世のこうした一面は側近たちが注意深く隠していたので、少なくとも彼女の生前このことが明るみになることはありませんでした)。

 一方でアルベルトは大変温和な性格で、いつでも、だれに対しても変わらず穏やかに接しました。また宮中に勤める人々すべての顔と名前はもちろん、本人と家族の誕生日まで正確に記憶し、細々とプレゼントを贈るような優しいところがありました。さらにあまり知られてはいませんでしたが、アルベルトにはX国の法律をほぼ完璧に諳んじるという、法律家顔負けの特技もありました。このような分けで、宮中勤めの人々はグリムビルド一世よりむしろアルベルトを好いており、彼の即位を心から喜んだのでした。

 さて、そんな新国王・アルベルト二世の治世はつつがなく始まり、幸い難しい事件も起こりませんでしたので、平穏無事に過ぎていきました。そして今日、先代女王の服喪期間も開け、王宮で新国王即位の即位式が盛大に開催されることになったのでした。

 何百人も入れそうな王宮の大広間にその夜は国内の政治家、財界人や外国の大使たち(やその配偶者)が集って、即位式後の晩餐会が開かれていました。シックな礼服を着用した男性陣に、華やかなドレスに身を包んだ女性たちが、祝宴の場に華を添えます。

 その中の招待客の一人に一人の女性医師がいました。彼女の名はマルガレータ。X国の中にいくつもの分院を持つ一大医療グループ「スノー・ホワイト・ホスピタル」の経営者で、経済誌などにも何度も取り上げられた著名な医師でした。マルガレータは首都の中産階級の労働者の家に生まれましたが、子どもの頃に父が他界。そこから苦学して奨学金を得て医師になり、大病院での勤務や紛争地での医療ボランティアなどを経験した後独立し、一代で医療グループを築き上げたのでした。ちなみに五〇歳になる今まで仕事一筋だったこともあり、ずっと独身でした。

 マルガレータは招待客の一人として今夜のパーティーに出席していました。 落ち着いた青色のドレスを着て、ショートカットの黒髪と、静かな知性の光を湛えている灰色の瞳を持った彼女は、だれもが振り返るほどの華やかさはないとしても、人の間に埋没しないだけの存在感がありました。

 有名人とあって、ついさっきまで大勢の人に話しかけられていたマルガレータは、疲れを感じて外のバルコニーに出て夜風にあたっていました。彼女はぼんやりとバルコニーの手すりにもたれかかっていたので、すぐ隣に正装の痩せた老紳士がいたことに気づいていませんでした。マルガレータがそれに気づいたのは、その老紳士がめまいを起こしてその場にしゃがみ込んだときでした。

 マルガレータは医師として適切に行動しました。即座に老紳士に声をかけ、側にあったベンチに寝かせて、胸元を楽にし、ベルトをゆるめました。それだけのことをして人を呼びに行きました。

 アルベルトは駆け付けた侍医たちによって、(なるべく目立たぬように)医務室に運ばれ、適切な処置を受けました(マルガレータも医師として、この一部始終にもちろん立ち合いました)。診察の結果、疲労と緊張からくる突発性の眩暈であると診断されましたが、大事をとってその日は休むことになりました。

 アルベルトは自分を介抱してくれた美しい女性が、この国でもっとも著名な医師の一人であったことを知って驚いた様子でしたが、ベッドに横になったままマルガレータの手を握り言いました。

 「あなたのおかげで大事に至らずに済みました。よろしければ御礼に晩餐に招待したいのですが」

 マルガレータとしては医師として当然のことをしたに過ぎなかったのですが、仮にも国王の招待を断るのもどうかと思いましたので、受けることにしました。その時、アルベルトの目に、いつも穏やかなこの人にしては珍しい、(強いて言うなら、彼が好きな古本や古銭を眺めるときにも似た)まっすぐな熱っぽい光があったことに周りにいた人はもちろん、マルガレータも気づきませんでした。

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