Ⅲ 思わぬ罪(1)

「──ドン・パウロス、よくぞ参った! さあ、疲れた身体をゆるりと休めるがよい」


 短槍一本を除いては、遠路、身一つで逃避行を続けてきた俺を、柔和な顔をしたその御仁は温かく受け入れてくれた。


 弟デラマンにまんまと陥れられ、殺人犯の汚名を着せられて故郷を逃げ出した俺は、知遇を得るプティーヌ領の領主ドン・エンリケオ・デ・プティーヌを頼って、彼の許に身を寄せた。


 家は継いでいねえものの、すでに騎士には叙任され、いくつかの戦へ参陣していた俺は、その戦場でエンリケオ卿と出逢った。自在に敵を狩る俺の短槍の腕に惚れ込み、懇意にしてくれたのである。


「…モグモグ……申し訳ねえ、ドン・エンリケオ…ゴクン……ほんと、恩にきりやすぜ……」


 もともとガタイは良い方だったが、耀く銀髪に威厳ある口髭を蓄えたこのオッサンは、いつも以上に大きく見える……こんなお尋ね者にも関わらず、温けえ寝床と食い物を提供してくれた大恩人に、俺はすべてを正直に告白した。


 異母弟とはいえ、兄弟を殺すなんざ許されざる大罪だ。俺は侮蔑の目で見られて追い出されるか…いや、最悪、役人や親父に突き出されても仕方ねえと覚悟を決めた。


「だいたい事情はわかった。それは大変だったの……もう大丈夫じゃ。これからはここを我が家と思うがよい」


 だが、意外やエンリケオ卿は理解を示してくれた。いや、理解を示すどこか、このまま俺をしばらく匿い、ほとぼりが冷めたら親父に取りなしてくれるとさえ言ってくれたのだ。


 きっと同じような地方貴族の一人として、〝家督争い〟が倫理観だの道徳心だの、そんな綺麗事で早々簡単に割り切れるもんじゃねえことをよくわかっていたんだろう。


 これだけでももう頭の上がらねえくれえなんだが……。


「そうじゃ! これも天のお導き。いっそのことほんとの家族になってしまわぬか?」


 なんと、さらにエンリケオ卿は愛娘まなむすめのアンディアーネを俺の許嫁にするとまで言い出したのだ。この、脛に傷を持つ咎人とがびとの俺のである。


「いや、さすがにそりゃあ……娘さんだって嫌がるでしょう……」


 無論、その申し出は丁重にお断りしようとしたんだが。


「パウロスさまのご武勇はいつも父から聞かされておりました。想像していた通りの勇ましいお方ですのね。わたくしからもどうぞよろしくお願いいたします」


「ええぇ〜……」


 当然嫌がると思った当のご本人までが、この縁談に乗り気なのだ。


 父親に似ず小柄だが器量良しだし、もっといい相手はいっぱいいるだろうに……大恩人とその娘に言われたんじゃあ断るわけにもいかねえ。


 根性の捻じ曲がった俺にゃあとても似合わねえ、純情で気立のいいお嬢さんだが、やむなく俺はこの話を受けることにした。


 にしても、赤の他人の…しかも罪人の俺に対して二人とも良くしてくれ過ぎだ。さすがの俺もこれまでの褒められたもんじゃねえ生き方を改め、この新たな地で人生をやり直すことを心に決めた。


 だが、世の中、因果は巡るってもんだ……。


 そうして俺がドン・エンリケオの義理の息子となることを快く思わねえヤツがいた……エンリケオの実の息子で、アンディアーネの兄のイーロンだ。


 イーロン・デ・プティーヌは、快活で明るい朗らかな妹アンディアーネとは違い、死んだ魚のような眼に血の気のねえ顔色をした根暗な男だった。その蒼白い面とは対照的に、常に痩身を黒づくめの衣服で包んでいやがる。


 そんなだから豪快で義勇を尊ぶドン・イーロンとは反りが合わず、幼少期より不仲だったイーロンは、父親が自分を差し置き、娘婿の俺に家督を譲ることを恐れたってわけだ。


 そう……俺やデラマンが、異母弟ボッコスに抱いた不安と同じように。


 そして、事件は起きた……。


 プッティーヌ領に巨大なイノシンが出て、農作物の被害が甚大となったため、領主エンリケオ自らが先頭に立って大規模なイノシン狩りをすることになったのだが……。


「──でけえ図体のわりになかなか見つからねえな……ん? ありゃあ……」


 居候の身の俺もその狩りに借り出され、独り森ん中を探し回っていたんだが、しばらくすると、少し離れた場所に巨大な山のような影を見つけた。


「間違いねえ。あれが噂のイノシンだな……」


 目を凝らしてみると、案の定、灰色の毛に覆われた牛ほどのデカさもある巨大なイノシンだ。


「ヘン。悪ぃが獲物はいただいたぜ! おりゃあああーっ!」


 幸運にも今回一番の獲物を見つけたと思った俺は、他の者に横取りされる前にと、すぐさま手にした短槍を思いっきり投げつけた。


「ギャアァーッ…!」


 その槍は狙いを外さずイノシンの胴を貫き、巨猪は断末魔の叫び声を森の中に響かせる。


「よし! やったぜ……」


 得意の投槍で獲物を仕留め、俺は上機嫌で倒れたイノシンの巨体に近づいて行ったのだが。


「にしても、どんだけでけえイノシンだよ……ん? な、なんじゃこりゃあぁっ!」


 それは、でけえイノシンじゃなかった……それは、どういうわけか槍に貫かれたドン・エンリケオだ。


 エンリケオの背中には俺の短槍が無惨に突き刺さり、その穂先は腹まで突き抜けると彼は苦悶の表情を浮かべている。


「ドン・エンリケオっ!?」


 俺は慌てて駆け寄り、短槍を引き抜いて彼の巨体を抱きかかえる。


「だ、ダメだ。血が止まんねえ……」


 腹の傷を手で強く抑えるが、残酷にも真っ赤な鮮血が止めどなく溢れ出してくる。


「……コホッ……パ、パウロス……ナ、ナゼ……ゴハァッ……」


「エンリケオっ! ……クソっ! ダメか……」


 傷は深く、エンリケオは最期に口から大量の血を吐き出すと、そのまま呆気なく息を引き取っちまう。


「いったい、なにがどうなっていやがる……」


 突然、目の前に現れた大恩人の変わり果てた姿に、俺はわけがわからず呆然と立ち尽くす。


 確かに俺はイノシンを仕留めたはずなのに、いつの間にやらそのイノシンはドン・エンリケオに変わっていた……なにが起きたのかさっぱりわからねえ……。


 この時点でもうすでに最悪の状況なのだが、事態はさらに悪い方向へと向かっていっちまう。


「ご、ご領主さま! ……ひ、ひ、人殺しいぃぃぃ〜っ!」


 悲鳴を聞いてやって来た人足の農夫が、俺達の姿を見て騒ぎ出したんだ。


 血塗れのドン・エンリケオの遺体を抱く俺と、傍らに置かれる血の付いた短槍……どう見ても俺が殺ったようにしか映らねえ。


 ……いや、やったのは確かに俺なのかもしれねえが、これは故意じゃなくて事故だ。


「お、おい! 違うんだ! 誤解だ! 俺は殺そうとなんか…」


 慌てて俺は農夫を引き止めようとするが時すでに遅し。騒ぎに気づいて続々と狩りに参加していた者達が集まってきている。


「父上!? ……おのれ、ドン・パウロス。恩を仇で返すとはまさにこのこと。妹を誘惑して婚姻を結び、父を亡き者にしてこのプッティーヌ領をかすめ取ろうという腹積りか!?」


 ついにはやはり狩りに来ていたイーロンまでが駆けつけ、俺を細く長い指で指差すと簒奪者呼ばわりまでしてきやがる。


「チッ……またかよ……」


 エンリケオの遺体を抱く俺を囲み、白い眼を向ける無数の臣下や領民達の姿に、俺の脳裏にはあの日の既視感デジャヴュが過ぎる……これじゃあ、ボッコス殺しの罪をすべて擦りつけられた時と同じだ……。


「すまねえ、ドン・エンリケオ……このまま放ってくのはなんとも心苦しいが、ここはお暇させてもらうぜ……」


「……あ! 待て! 逃すなっ!」


 こうなっちゃあ、どう言い訳しようと誰も聞く耳持っちゃくれねえ……俺はエンリケオの遺体を地面に横たえると、全速力でその場から逃げ出した──。

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