【怖い商店街の話】 呉服屋

真山おーすけ

呉服屋

いつも行く商店街の中に、一軒の呉服屋がありました。


今は息子の紫呉さんが代を引き継いでやっておられるのですが、その前まで百合子さんという紫呉さんのお母さんが中心となって営んでいました。


旦那さんは着物作りの職人さんで、お店とはまた別の作業場で仕事をしていたそうです。


百合子さんは、いつも素敵な着物を召して接客されていました。立ち姿も美しく、落ち着きがあって、親切で優しい人でした。着付けがわからない人には優しく教えてあげたり、その人にあった色や刺繍の着物を選んでくれたりしました。どうしても着物で出掛けなくてはならない時に、家までわざわざ着付けをしに来てくれることもありました。値段も、旦那さんに直談判をして安くしてくれたりもしました。


ですから、常連の女性が数多くおられました。私もその一人でした。


百合子さんは、着物のデザインもしていました。花をモチーフにしたものが多く、配色も素敵で人気があったそうです。


そんな百合子さんが病で倒れてからは、紫呉さんがお店を切り盛りしているようでした。まだまだ百合子さんの接客には遠く及びませんが、紫呉さんもとても親切でした。


ほどなくして、百合子さんは亡くなってしまいました。


それから数か月経ったある日、呉服屋のショーウインドウに白い絹に蓮の刺繍が入った素敵な着物が飾られていました。


よく見ると、川のような薄っすらと水色の模様も描かれていました。


着物は百合子さんがデザインした最後の着物でした。


デザインを気に入った旦那さんが完成させて、紫呉さんの提案でお店のショーウインドウに飾ったそうです。


呉服店の前を通るたび、私も蓮の着物を見て素敵だなぁと思うのでした。


ある時、ママ友の祥子さんが呉服屋の紫呉さんと何やら話し込んだ後、紫呉さんが蓮の着物をハンガーから下ろして丁寧に大きな紙袋に入れていました。そして、祥子さんが会計を済ませると、その袋を持って店から出てきました。


「祥子さん。あの蓮のお着物を購入されたの?」


思わず、私は祥子さんに声をかけました。


「前々から気になっていて。奮発して買ってしまったわ」


祥子さんも着物が好きでした。娘さんの学校行事には決まって着物姿で来ていました。


「確かに素敵ですよね。百合子さんがデザインしたらしいわよ」


「ええ。だから買わせていただいたのよ。紫呉さんも売ることを最後まで迷っていたけれど、熱意が伝わってよかったわ」


祥子さんは嬉しそうに微笑み、軽くお辞儀をして帰って行かれました。


私は祥子さんを少し羨みながら、空っぽのショーウインドウを見て、少し寂しい気持ちになったのでした。


それからというもの、祥子さんはどこにいても、蓮の着物姿で歩いていました。それほどまでに気に入っているのだなぁと。百合子さんも喜ぶだろうな、と私は思っていました。


その証拠に、蓮の着物を召した祥子さんを見かけると、時々祥子さんが百合子さんに見える時があるぐらいでした。


ある時、私が商店街で買い物をしていると、人混みの中で蓮の刺繍をした着物がちらりと見えたので、祥子さんだと思った私はその影を追いかけました。


「祥子さん!」


目の前に見えた祥子さんに声をかけながら肩を叩こうとした時、振り返ったその姿は百合子さんでした。私が驚いていると、百合子さんは微笑みながら私をじっと見つめていました。


「ゆ、百合子さ……ん?」


そう口に出した瞬間、「何を言ってるの?」と目の前にいた祥子さんが怪訝な顔で私の事を見ていました。


「変なこと言わないで」


祥子さんはとても不機嫌そうにそう言いました。それもそうでしょう。憧れていたとはいえ、亡くなっている人と見間違えるだなんて。


「ごめんなさい」と私は謝りました。祥子さんは許してくれて、そのまま商店街から帰って行きました。きっと百合子さんに見間違えたのは、祥子さんが痩せたからだと思います。


それから二日ほど経って、また商店街で蓮の着物姿の祥子さんを見かけました。話しかけると、祥子さんはまた少し痩せたようで、目の下には隈が出来ていました。私が声をかけると、祥子さんは少し迷った後で、


「少し話を聞いてもらえるかしら」


と言うので、二人で近くの喫茶店に入りました。


コーヒーを頼んでいる間、私はどうされたのかと祥子さんに尋ねました。


祥子さんは言おうかどうしようかと迷っているようでしたが、少しずつ話し始めました。


蓮の着物を着るようになってから、夢に百合子さんが現れるようになったというのです。


最初に現れたのは、蓮の着物を購入した日の夜。夢の中で、祥子さんがリビングで洗濯物を畳んでいると、呼び鈴に気づいて玄関に向かったそうです。ドアを開けると、そこに百合子さんが立っていたというのです。


その時は、百合子さんがデザインした着物を買ったので、それで出てきたのかな程度にしか思っていなかったそうです。


けれど、蓮の着物を着るたび、決まって百合子さんが夢に現れるというのです。洋服や他の着物を着た日には、百合子さんは出てこないといいます。


「何か、伝えたいことでもあるのかしら」


私がそう言うと、祥子さんは「わからない」と首を横に振りました。


夢に出てくる百合子さんは、立ち尽くしてただただ私の事を見ているだけ。


何もしては来ないし、何も言ってこない。


家の中に入ってくることはなく、現れるのは開いた玄関の外、庭先、窓の外だというのです。


「それなら、あまり気にしないで平気じゃないかしら」


私がそう言うと、祥子さんは少し間を置いたあとで口を開きました。


「でもね、だんだん百合子さんの姿が変わっていくの。なんだかとてもみすぼらしいというか、すごく痩せていって、顔は青白くて頬もこけてしまって、髪もボサボサで、肌には赤い湿疹のようなものが見えるの。昨日見た夢では、百合子さんは白装束を着ていてね、胸元から裾まで吐血したような赤いシミがついていたの。何もしては来ないのだけれど、私はそんな百合子さんが怖くなって目が覚めてしまうの」


そう話す祥子さんは、僅かに体が震えていた。


私は「蓮の着物を着ないようにしてみたらどうかしら」と伝えました。


祥子さんもそのつもりでいるというのに、気が付くと帯を結んでいるそうなのです。


無意識に。


そのまま外を歩き回ったり、買い物に出かけたりするそうで、家に着いてフッと気が付くと、足元が泥だらけだったり、買った覚えのないものを手にしているそうです。


それならばと、私は勿体ないけれど蓮の着物を呉服屋に返すのはどうかと提案しました。


祥子さんはしばらく考え込んでから、そうしますと小さく頷いていました。


翌日、私は祥子さんに付き添い、呉服店に行きました。祥子さんが紫呉さんに事情を話しますと、紫呉さんは真剣に話を聞いてくださり、蓮の着物も半額で引き取ってもらえることになりました。


近年着物がなかなか売れなくなってしまった中で、紫呉さんとしては購入したいというお客様にはなるべくお譲りしようと考えているそうなのですが、蓮の着物に関してはかなり葛藤があったそうです。


それは、百合子さんの最後にデザインした着物という理由だけではなかったそうです。


実は、あの着物は病を患った百合子さんが、自分の死に衣装にと蓮の刺繍と三途の川をイメージしたものだったそうです。病が進行していくにつれ、百合子さんはどんどん痩せていき、ほとんど寝たきりで髪は梳かせず、薬の副作用で肌は湿疹で血が滲み、まるで別人になっていきました。


それでも、百合子さんは机に向かって納得いくデザインを描いていたのですが、完成した直後に吐血してそのまま亡くなったそうです。


蓮の着物は完成されず、願いは叶わぬままに百合子さんは荼毘に付されました。


紫呉さんは、「母がご迷惑をかけてしまい、申し訳ありません」と祥子さんに向かって深く頭を下げていました。


あの蓮の着物には、百合子さんの着ることの出来なかった未練さが、知らぬ間に染料のように染み込んでしまったのかもしれません。


祥子さんは蓮の着物を手放してから顔色も良くなり、夢に百合子さんが出てくることはなくなったそうです。


あの蓮の着物ですが、呉服店のショーウインドウに再び飾られるようになりました。


時々、店の中で蓮の着物を指差しながら、紫呉さんと年配の方が交渉している姿を見かけます。その後にショーウインドウから蓮の着物が姿を消していることから、その方が買っていかれたのだと想像ができます。


けれど、しばらく経つとまたショーウインドウに戻って来るのです。


それが、もう何度も繰り返されているようでした。


紫呉さんは、そのたびに半額で買い取っているようです。

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