覚悟

 どれくらい泣いたのか分からないが、気づけば外はすっかり暗くなっており、泣きすぎて目と喉が痛かった。

 私は紫音が帰ってくる前に洗面所の方に向かい、彼女に心配かけないために少しでも泣いて腫れた目を冷やしにいく。


「酷い顔…」


 顔を洗い鏡に映った自分を見てみると、まだ少しだけ瞼が腫れており、何とも酷い顔をしていた。

 私は冷凍庫の前まで来ると、保冷剤を出してタオルで包み瞼にあてる。


(紫音が帰ってくるまでに何とか少しでも元に戻さないと)


 それからしばらくたち、瞼もだいぶ元に戻ってきたころ、紫音が部屋に帰ってきた。


「ただいまー!」


「おかえり、紫音」


 彼女は雅と遊べて楽しかったのか、いつも以上に上機嫌で楽しそうな笑顔で帰ってきた。

 そんな紫音を見ていると、さっきみた光景を思い出してしまい、また胸がズキリと痛み泣いてしまいそうになる。


 それでも紫音に心配をかけたくなかった私は、平静を装っていつも通り接した。


(大丈夫。いつも通り笑えてるはず…)


 紫音が浮かれているせいなのか、それとも私が誤魔化せているからなのかは分からないが、幸いにも彼女に気づかれることはなかった。


 その後はいつものように紫音が作ってくれたご飯を食べ、私が使った皿を洗っていく。

 紫音はテレビを見ながらまったりとしており、何かを思い出したように声をかけてきた。


「あ!そうだ、白玖乃!」


「なに?」


「今日は一緒にお風呂入らない?」


 いつもなら喜んで返事をするところだが、今日はそんな気分じゃなかったので、やんわりと断る。


「ごめん。今日はやりたいことがあるから一緒には入らないかも。また今度入ろう」


「そっか。それなら仕方ないね。なら、最初に入ってくる」


 紫音はそういうと、少しだけ寂しそうな表情をしてお風呂へと向かって行った。

 紫音がいなくなった後、私は皿を洗っていた手を止めて俯く。


「なんであんな顔するの。もう紫音のことが分からないよ…」


 私のことは全然意識してくれないのに、何故あんなにも寂しそうな顔をするのか分からない。

 考えれば考えるほど頭の中はぐちゃぐちゃになっていき、まるで出口のない迷路を永遠に彷徨っているような気分だった。


 その後、しばらくすると紫音がお風呂から上がって来たので、私は彼女から逃げるようにお風呂に向かう。


 同じ部屋で暮らせることが昨日まではあんなに楽しくて幸せだったのに、今は彼女のそばにいることが辛くて仕方がない。


 お風呂から上がって紫音に会いたくなかった私は、いつもより長い時間お風呂に入る。


「白玖乃、大丈夫?」


 どれくらい時間が経ったのかは分からないが、視界がぼやけ、頭はくらくらして気持ち悪くなって来たころ、扉の向こうから紫音が心配そうな声で話しかけて来た。


「だい…じょうぶ。いま、あがる…から…」


 私は吐きそうになるのを我慢しながらそう答えると、浴槽から立ち上がりお風呂場を出ようとする。

 しかし、立とうとした瞬間、これまで経験したことのない立ち眩みがしてしまい、うまく立つことができずに倒れそうになる。


 私は倒れることを覚悟して、衝撃に備えて目を瞑る。

 しかし、私は頭をぶつけたり、強い衝撃が体を襲ったりすることはなく、柔らかい何かに抱き止められた。


「白玖乃!大丈夫?!」


「し…おん?」


 どうやら心配して中を見ようとしていた紫音が、私のことをちょうど抱き止めて助けてくれたようだ。


 私は酷い倦怠感と気持ち悪さで頭が回らず、それ以上喋ることはできなかった。

 しかし、何とか顔を上げて紫音のことを見てみると、彼女は今にも泣き出しそうな表情をしており、私のことを心の底から心配してくれているのがわかる。


 そんな紫音の表情を見ていると、心配をかけてしまった申し訳なさで胸がいっぱいになるが、今はまともに喋れそうになく、そのまま気絶するように意識を失った。





 目が覚めると、電気が消えて暗くなった部屋の中で、私はベットの上に横になっていた。


「確か私は…」


 お風呂でのぼせたところまでは覚えているが、その後のことは全く記憶になく、当然服を着てベットで寝た記憶もなかった。


 ただ、昨日と同じで額には冷却シートが貼られており、私に記憶がないということは、また紫音が助けてくれたということなのだろう。


 そこでふと、隣にいつも感じる紫音の気配がないことに気づいた私は、確かめるために横を向いてみるが、やはりそこに紫音の姿はなかった。


 どこに行ったんだろうと思い部屋の中を探そうとした時、右手が誰かに握られていることに気がついたのでそちらを向いてみる。


 するとそこには、私の右手を握ったまま床に座り、ベットに頭だけを預けて眠っている紫音がいた。


「紫音…」


 きっと彼女は、私のことを心配して疲れ果てるまで看病してくれたのだろう。

 二日続けてのぼせるようなバカな私だが、そんな私をまたこうして看病してくれたのは本当に嬉しかった。


 私は紫音を起こさないように気をつけながら体を横にし、空いている左手で彼女の頭をそっと撫でる。


「こんな態勢で寝たら休めないのに。ごめんね…」


 紫音に迷惑をかけてしまったことや心配させてしまったことはとても申し訳なかったが、それと同時にこうして看病してくれたことや気にかけてくれたことが嬉しかった。


「やっぱり好きだなぁ…」


 のぼせて思考がうまく回らないせいか、単純なことしか考えることができない。

 でも、そのおかげで紫音が好きだという自身の気持ちを改めて自覚することができ、私は覚悟を決めることができた。


「やっぱり告白しよう」


 例え振られて今の関係に戻れなくなったとしても、私が紫音のことを好きだという気持ちをちゃんと伝えたい。


「待ってて。必ずこの気持ちを伝えるから」


 私はそう言うと、紫音と繋いだ手に少しだけ力を込める。

 すると、彼女の手が返事をするかのように握り返された気がして焦ったが、紫音は寝息を立てたまま起きた気配が無かったので安堵した。


 その後しばらくの間、私は紫音を撫でながら彼女の寝顔を眺め、少しだけ幸福な気持ちに包まれながらまた眠りについた。





 翌朝。まだ少しだけ頭は痛かったが、目を覚ました私はベットの横を見てみる。

 しかし、そこにはすでに紫音はおらず、部屋を見渡すと朝食の準備をしてくれていた。


 私はベットから降りて彼女に近づいていき、驚かさないように優しく声をかける。


「おはよ」


「あ、おはよ白玖乃!体調は大丈夫?」


 紫音は私が声をかけると、不安そうな表情しながら振り返る。


「うん。だいぶ楽になったよ。紫音が看病してくれたおかげ」


「よかった。ほんとに心配したんだよ」


「ごめんね」


 私は心配かけてしまったことについて謝ると、彼女のことをギュッと抱きしめる。


「ねぇ、紫音」


「なに?」


「私の方に顔を寄せて少しだけ屈んで?」


「ん?こう?」


 紫音は不思議そうにしながらも、私がお願いした通りに行動してくれる。

 そして、彼女の整った顔が私に寄せられたのを確認すると、私はさらに顔を近づけて頬にキスをする。


 紫音は突然のことに驚いたのか、慌てて顔を離して頬を押させる。


「は、白玖乃?!」


 前回はこのあと恥ずかしくて逃げてしまったが、今回はさらに紫音のことを抱きしめて自分を逃げられないように縛り付ける。


「あのね、紫音。今すぐではないけど、いつか聞いてほしい話があるの。それまで待っててくれる?」


 告白する覚悟を決めたとは言っても、すぐに告白することはできないし、せっかくならちゃんとした雰囲気で気持ちを伝えたかった。


 でも、何もしないと弱い私はまた逃げ出す可能性もあるので、こうやって自分で逃げ道を塞ぐことにした。


「わかった、待ってるね」


 紫音はそう言うと、私の大好きな笑顔で笑いかけてくれた。


 これで逃げ道は無くなった。あとは機会をみて私の気持ちを彼女に伝えるだけだ。

 でも、その日まで何もしないというのも味気ないので、最後の足掻きとして、少しでも紫音が意識してくれることを願いながら、これからも私から抱きしめたりキスをしたりしていこうと思うのであった。






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