第14話 アリエリカの介護

紆余曲折ありながらも自らの心情を吐露し相互の理解を得ることが出来たジョカリーヌとアリエリカ。

そして互いに一つになることで氷解したある出来事が頭を持ち上げてきたのです。


「あの、キリエさん―――」

「あ…は、はい。」

「ひょっとして―――あの時…あなたのお店でわたくしが品物を落としてしまった時あなたの態度が急変してしまったのは…」

「(…)はい、その通りでございます。 私の身体の一部から作り出されたは、人間達の免疫力を高める事と他の魔物から人間達を護るという効力があるのです。」

「まぁ…そうなんですか。 それと、何ですって?あなたの…?」

「はい、それともう一つ…七万年前より最高顧問閣下から施された『輪廻転生』の秘術により、大体この時代にジョカリーヌ様の魂を宿せる方がお生まれになる…その事の見極めを行うために私の『鱗』が使用とされたのです。」

「ええっ?う、鱗?でも、あなたは―――」


{ はは、これキリエ意地悪していないで見せてあげなさい。}


「ハハッ―――かしこまりました。」


「ええっ?えええ??」

{いいかい、アリエリカ…驚かずによく見ておくんだよ。}


アリエリカはあの時、キリエのお店で売り物である商品を不意に落としてしまったとしてもとがめられなかったことや、今の説明の中でも最も興味を引いた『キリエの身体の一部=鱗』の意味を、この時この場所で知る事となったのです。


なぜならば―――


キリエの影から突如として這い出たある存在―――青緑色の体色をした竜にその身をほぞまで同化させた者、『竜眷属ハイランダー』がそこにいたのだから。


「(は…あ、あ…)キ、キリエさん?これは一体…」

{驚いたかい、アリエリカ。}

「は…はい、でも…こんな方でもジョカリーヌ様の臣下だった―――ということは…」

{はは―――それはちょっと違うね、『だった』じゃなくてこの子は今でも私の臣下なんだよ。}

「えっ?!そうなんですか?」

{うん…ああそうそう、実はこの子達も…}


「はぁ~~い、アタシもですみゅ!」

「あたちもですみぅ。」


「そう…あなた達も。 あ…キリエさん。」

「申し訳ございません。 どうやら今のこの私の姿を見て驚かれたようですね。 ですがこうでもしない限りは人間達の中にいる…今はアリエリカ様と言う存在を知る事が出来なかったもので。」

「そうだったのですか…それにしても姿形が違うだけで驚いてしまって、こちらこそ申し訳ありません。」

「いえ…アリエリカ様が気になさる事ではありませんよ。 それでは、これからはこの私めがアリエリカ様と言う存在をお護りいたしますので、よろしくお願いいたします。」

「はい、それではこちらこそ―――」


そして、ここで改めて臣下の礼をとり、アリエリカの新たな護衛役第一号となった者…それがキリエだったのです。


        * * * * * * * * * *


それから三人は都であるウェオブリに戻り…


「あの…キリエさん、またその…お婆さんの姿にならなくても…」

「いえいえ、これでよいのですよ、アリエリカ様…。 私もこんな姿になって判ったのですが、若い姿より、こういった年寄りの姿の方が、相手の方から油断してくれる事が多くて、都合がいいときがありますので…。」

「そうでしたか―――あ、セキ様…。」


「これはどうも、ところでそのご老体と一緒ということは――――」

「はい、ただ広い遺跡の中で迷っちまいましてねぇ。 おまけに小さいこの子達ともはぐれちまって…イヤイヤ、この人が着てくれたお蔭で助かりましたよ。 もっともその所為で、この人のお邪魔をしてしまうことになるだなんて…年は無駄に喰うもんじゃあないですねぇ。」

「はあ…そうですな。 ところでアリエリカ殿、お時間がございましたら少々よろしいですかな?」

「え?あ、はい。 それではこの子達をお部屋に連れて行っておきますので…」

「そうですか、分かりました。 それではここでしばらく待つことにいたしましょう。」


この時、またしてもキリエは老婆の姿になり、スピリッツの二人…コみゅと乃亜までも幼さなの形態になっていたのです。

しかしそれこそは『擬態』というものであり、敢えて“年寄り”などの姿を模するというのも他からの目を逸らせる―――いうなれば警戒されないような…そういうものだったのです。

そしてしばらくすると官僚の一人であるセキに会い、諸事情を話しておいて理解を得たあと、どうやらこの良臣はアリエリカに何用かあったようですが―――…


「どうも、お待たせをいたしました。」

「では、参りましょうか。」

「はい。 それで…あの、どちらへ?」

「それは、まぁ…道すがらお話しする事として―――ところでアリエリカ殿はあの古代遺跡ドルメンへ行かれてどのようなことを感じなさいましたか?」

「はぁ…そうですね、いにしえの歴史が垣間見れて…学術資料的にもこれから遺していくべき―――と、そう思います。」


どうやらこの良臣は何かの目的のためにアリエリカを案内するようです。

しかし―――目的地は明確には答えず、その代わりとしてその目的地に到着するまでに、今回アリエリカが訪れた古代遺跡ドルメンの感想を聞いてきたのです。

すると…なぜか今、その総てを知りえていながらアリエリカは敢えて核心から離れた事を申し述べていたのでしょうか。


        * * * * * * * * * *


その理由は―――今より数分前にアリエリカとキリエ、そしてコみゅと乃亜達が自分達が泊まっている宿の部屋にて…


「あの、アリエリカ様―――呉々も申しておきますが…」

「はぁ、なんでしょう?」


「(な、『なんでしょう?』じゃ…)」

「大丈夫かなァ…」

「しんぱい…とてもしんぱいでち」


{つまりだね、多分これからあのセキという人物から色々な事を聞かれたりするだろうけれど、肝心なところはぼかすように…と言う事なんだよ。}

「えっ?どうしてなのです?」

{おいおい、しっかりしてくれよ?私達が存在しえていた七万年前の事を、どうして君が知っておく事が出来るんだい?}

「それは―――先程『皇城シャクラディア』で…」

{そこだよ。 今の人達は―――と言うより、アリエリカもあそこが且つて私達が居住していた『城』だった…と知るまでは普通に『古代遺跡ドルメン』としか認識していなかっただろう?}

「はい…。」

{それに、現在ではあそこの存在意義が二分されていてね…『昔、何かの儀式を執り行っていた神殿』だとか…あるいは、『交易の盛んだった商業都市の一部』だとしか認識はされていなかったんだ。 だけども誰一人として『城郭』とか『城塞』と認識する者はいなかった…そこへ君が『いにしえの皇城に行って参りました』なんて言って御覧?その途端に手付かずだったところまでも盗掘などで荒らされていく可能性が出てくるんだ。}

「そう…だったのですか。」

「それに―――私達の事も気を付けていただかないと…」

「そうでしたね、そう言えばコみゅちゃんは一度夜ノ街で―――」

「(…)はい。」


{さてと―――そうと分かったのなら、早速行くとしよう。 待ち人を待たせ過ぎるのは礼儀に反する事だから…ね。}


       * * * * * * * * * *


現代を生くる者が太古の昔である7万年前の事をつまびらかに出来るのは怪しい―――そう、セキに対しても実に空々しいまでの応答をしたのには事前に言われていた事だったのです。


ですが―――


「(ふ、ぅ…)そうですか――――いや…実に残念な事だ。」


「は?({ぅん?})」


「あなた様だけは…また違った見解をお持ちだ―――そう信じていましたのに。」

「な、なんでしょう…それは、どう言った意味合いで申していらしているので?({もしや―――この人物…})」

「はは―――いや、なんでもありませんよ。 いけませんなぁ、年を摂るとどうも独り言が多くなって適わない。」

「({やはり――! すまないアリエリカ…至急この私に代わってくれ!})(え…あ、は、はい。)」



「(………)お待ちいただきたい、セキ殿―――」

「………。」

「ひょっとするとセキ殿は、あそこがいにしえの城塞なのでは――――と、お思いなのでは?」

「ハッハッハッハ―――まさか…そう、聞こえましたなら、誤解を与えた事をお詫び申し上げる。」

「いえ…ここで余さず語っていただきましょう―――そなた…よもやジョカリーヌなる者の『信奉者』なのでは?」

「(む、ぅ)…。」

「それに―――ここ数百年に一人の割合で『その方の魂』を奉ずる者が輩出していたようだが…そう言えば、ここ最近では14年前にお一人…」

「フ――――フフフ。 どうやら、いらざる事を申して誤解を招いたようですな…どうかそこのところは、さらりと聞き流して―――」

「そのようなわけにはいかない―――さぁ…その心情の内を吐露していただこう。」


「(ふぅ…)そうか…バレてしまったのではいた仕方がない。 然様、私はウェオブリにある遺された文献によって、その方のやり様にいたく関心を抱いた者。 そしてあなた様の申すように、百年に一人現れるか―――現れないか―――の逸材を追い求めし者なのでございますよ。 私も―――この国に務めてはや50と有余年、“西方の雄”ラー・ジャにその方が現れり―――と知った時には職務を投げてでも飛んで行きたかったものだが―――」

「その願いは叶わず…ですか。」

「はい…。 その方の訃報がなされた時には実に残念なものでありました…。」

「それでは―――セキ殿は、今一度が現れはしないものか、と?」

「(フ…)それは無理というものでしょう―――云われの通りならまたこれから百年は最低待たないと…それに、その時にはもう私の命も尽きているでしょうしな。」

「(フフ)いえ―――もう現れている…・もしれませんよ。」

「はあ?今、なんとおっしゃって――――」

「それより、先を急ぐとしましょう…」


それは、端から見ると少し奇妙な会話でした。

それと言うのもあの古代遺跡ドルメンを『いにしえの帝国の城』と説く者は誰一人としておらず―――とはいえ今のセキを見てのようにそうではないことが分かったのです、―――と言う事は…そう、その考え方が余りに突飛に過ぎているためにそれだと説く者は相手にされなかった…つまりはされていた状態だったのです。

けれども今のセキのように根強い『信奉者』は、やはりあのドルメンがそうではないか―――そうであって欲しい―――と願ってまないところのようであり、今回あそこを訪ねたアリエリカに敢えてその質問を投げかけてみたのです。


それが…初めはかわしておこうとしたものの、ジョカリーヌ本人がお相手をすることにより、まずはこの人物なら安心―――と思ったのか、ほんの少しを吐露しておいたのです。

その事を多少はいぶかしんだものだったのですが、その時セキは敢えて深くを追求せずこの問題を先送りにしようと考えたのです。

そしてこの官僚の一人がアリエリカ殿を伴って連れて来た処というのが…


「ここでございます。」

「ここは―――集中治療院サナトリウム?ここに誰が―――(はっ!)も、もしかするとショウ王様の身に何か?」

「は? いえ、陛下におかれてはお年を召されているだけであって、実に健康体であられますよ。」

「それでは一体どなたが?」

「(…)実は、あのお方のご子息なのです。」

「ご…ご嫡息が?!」

「そうです――――ヒョウぎみ、入りますぞ。」


そこはウェオブリ郊外にある、閑静なたたずまいの建物―――それこそが『集中治療院サナトリウム』だったのです。

そう―――こここそは、主に重病人が入院をし回復をするために治療を受ける処、それであるがためにアリエリカは思わず高齢のショウ王が急な病に倒れ、ここに担ぎ込まれたのでは―――などと思ってしまったのです。

しかし実は…ここに入院をしているのはショウ王ではなく、彼の息子―――嫡流である『ヒョウ=アレキサンダー』だったのです。 その彼がいるという病室に入ってみれば…アリエリカよりもまだ若い―――そんな彼が、鼻や口から透明な管を通され、しかも咽喉や胃の辺りから穴を開けられ、また同じように透明の管を通されていた者が――――そう…端から見ても『なかば強制的に生かされている者』がそこにはいたのです。

その様相を見てしまい、思わず目を覆ってしまうアリエリカ――――


「ヒョウぎみ、お判かりですかな?」

「(ヒョウ=アレキサンダー;23歳;男性;病床に就いているこの男性こそがフ国の次代を担う者)

…………………。」

「この方は、本日あなた様をお見舞いにこられた名をアリエリカ―――と、申される方です。」

「アリエリカ=ガラドリエル―――と申す者でございます、どうかご希望をお棄てになりませぬよう…。」


何かしら、会話をなそうにもそれはまるで陸に上がった魚のように口をパクパクさせているだけのものであり、しかも時たまに咽喉の管から空気が洩れているような音が聞こえるとあっては思わず顔をそむけたくもなろうというもの…。 しかしその事を知っているセキはこの国を継げる者が現在、このような状態にあることを知ってもらいたいがためにアリエリカを訪れさせたのであり、何も同情などを求めようとはしていなかったのです…が――――


「セキ様…ちょっと―――」

「はい…。」

「どうしてこの国の太子様がこのようなことに?原因としてはなんなのでしょうか――――」

「それが…判らないのです。 目下の処医師団総がかりで看てはおるのですが…その原因の追究までは。」

「そんな―――」

「まぁ確かにヒョウぎみにおかれましては元々がお体の弱い方でしたが…それが今では以前にも増して弱くなっておいでになる、こんな時に『公主様』がお側におられたならば―――」

「え?『公主』?(一体誰の事?)」

「はい…歳の頃は―――そうですな、アリエリカ殿と同じくらい、お顔立ちもよくて芯のしっかりした方でいらっしゃる…『ヴェルノア公国』の『公主様』でいらっしゃいますよ。 あの方は歳の差もそう変わりはないヒョウぎみの事を気にかけて下された…年に一度はこの集中治療院サナトリウムに足を運び、今のアリエリカ殿のように励ましのお言葉を投げかけられて下されたのです…。 が―――ここ数年でヴェルノアの方を出奔されたとか、されなかったとか…好くないお噂を耳にするに及んで、ここにも来るのがぱったりと途絶えてしまわれたのです。」

「そんな方が…いらっしゃったのですか。」


“彼”―――フ国太子の生命を蝕んでいるナゾの病魔…そしてナゼこんな容態になるのかも定かになっていない今―――それと時を同じくして知るその存在『ヴェルノアの公主』に、フ国太子が孤独ひとりではない事にアリエリカは安堵を覚えたのです。

そして再び病室に入ったアリエリカは―――


「(それにしても…なんてお可哀想な、こんな時わたくしはどうしたら―――)

{なに、手立てがないわけではない。 『全快』…とまでは行かないけれど、現状より快方に向かえばそれでいいのだろう?}

(出来る事であれば、全快させていただきたいのですけれど…)

{おいおい、カンベンしてくれないかな、私は名医ではないのだよ?}

(ああそうでした、でも―――このような重態からくなる方法があるのですか?)

{あるさ、でもそれは何も『投薬』だとか『手術』などというものではないんだ。}

{えっ? でも…それをせずして快方に向かわせる手段など……)

{それが、あるんだよ。 持ってきているだろう?キリエからもらったを…}

(あっ!もしかして『鱗』?!}

{そう…さきにキリエからの説明を受けたようにアレには人間達自身の『自己治癒力』『免疫力』を高める作用があるんだ、それにね『下妖』程度なら討ち払える事も可能だしね。}

(これに…そのような効果が―――)

{では、それを枕の下に入れて御覧}

(こう―――ですか?……あの、何もならないようなのですけど。)

{何も付けてすぐに―――と言うわけではないよ、そう言った効能モノは徐々に顕れるものさ。}」


自分の内に入っているジョカリーヌは、一つの手段として以前にキリエから貰った『青緑色の鱗』付きの装飾品をこの重病人の枕の下に入れてはどうか、と提案してきたのです。

ではナゼそのような事をさせようとした背景には、そのアイテムには秘められた力が存在していた事に他ならなかったからで、けれどもそれはすぐに効果の現れるものではなく、徐々に効き目が出てくるたぐいのものであると諭したのです。


そこで根気強く待って見ることにしたアリエリカは今日のところは一旦引き上げる事とし、また日を改めてくる事としたのです。

そして明けて翌日―――ウェオブリ城から集中治療院サナトリウムに向かおうとしたところ…一人の麗人に呼び止められたのです。


「これ―――待ちやれ。」

「は、はい。 あの…どちら様でしょう?」

「妾は―――この国の『王后』リジュ=アレキサンドリアなるぞ。 ナゼにそなたのような田舎娘がこのような処をうろついておるのか。」

「わ―――わたくしは…この国に招かれた者でして、アリエリカ=ガラドリエルと申す者です。 お后様とはお気付きもせず、ご無礼を…」


「(リジュ=アレキサンドリア;32歳;女性;この国の王であるショウの正室…つまりは『王后』)

(フ・ン―――)全く…あの人もイクもやっておることがわからぬ。 このような肥やし臭い小娘を宮中に招きおるとは風紀の乱れにも関わるわ。」

「も、申し訳ございません――― 何分にも、まだここでの日も浅く、仕来しきたりも存じ上げませんもので…」

「フン! どうやらいっぱしの口だけは利くようじゃな、やはり兄上の言っておった通りじゃったわ…」

「(え?『兄上』?)」


一見しても絢爛豪奢な着物に身を包み、黄金造りの冠に装飾品のぎょくや指輪などは目も眩まんばかりと言ったところか…そのの麗人こそ、『フ国正室リジュ』だったのです。

だが、しかし―――その口からいて出た言葉は、美しい容姿からでは想像もつかないような全く裏腹なものだったのです。 それでもアリエリカは丁寧に返答をし、何とかその場を取り繕っていた様子――――と、その時…


「これは―――お后であらされるではありませんか。」

「なんじゃセキではないか、成る程なそう言う事であったか―――うぬとその飼い主が結託してこの薄汚い小娘をこの燦然さんぜんと輝ける城に招きいれようとしておるのは。」

「お后様―――お言葉が過ぎますぞ。」

「なんと?うぬは、うぬが主である王の后である妾に意見しておるのか?!うぬもまた、随分と偉くなったものよの。」

「お言葉を返すようですが―――私はあなた様に『意見』を申し上げているのではありません。 されど『言葉の乱れは心の乱れ』とも申します、ゆえに他人をおとしめるような言動はいかがなものか―――と、申したまで、それにアリエリカ殿の事に関しましても、決定権はこの国を統べる王が握る事…我等官がとやかく言う筋合いではございませぬ。」

「(………)まあよいわ。 そう言えば―――昨日あすこへ行ってみたのじゃが…何者か粗相をしたのかえ?」

「なんですと?昨日? またどちらの方へ…」

集中治療院サナトリウムに決まっておろう、あすこにはこの国をお継ぎになられるお方がおられるからな、無下にも放っておくわけにも参らぬじゃろう。 そこで思い立ってお見舞いに行ったのじゃがな…どうも病室内が肥桶を返したように臭いのよ、これはどうしたことか―――と思い、そこな小娘とすれ違ってみれば…どうしてか同じような匂いが漂ってこようとはな。」

「お言葉ではございますが…お后様、昨日恐らくあなた様の前にお見舞い申し上げたのはこの臣でございますれば―――」

「なんじゃと?じゃがうぬはあのような酷い匂いをしておるのではなかろう。」

「恐らく…それは不肖の私めが、ヒョウぎみ尿瓶しびんを取り扱っていた際に誤って落としてしまった所為でございましょう。」

「えっ―――でもセキ様、それは違……」

「それとも―――お后におかれてはヒョウぎみの、しものモノがお嫌いである―――と、言うことですかな?」

「(むぅぅ…)まぁよいわ…今日のところはそう言う事にしておいてつかわす。 じゃがな、妾はそこの小娘を認めたわけではないからな!」


そうこの時、偶然か否かアリエリカの助け舟として現れた存在こそ、この国の良臣の一人であるセキだったのです。 そして彼はアリエリカに対しこれまでにない言いおとしめを行っていた王后リジュに対し苦言を呈したのです。


こうしてていのよい形でリジュをあしらったあとアリエリカに対しても―――


「申し訳ございません―――お恥ずかしきは今の方がこの国のお后様なのでございます。」

「いえ…それにしても、どうしてセキ様はあのような事を? 昨日はわたくしもあの場所へ行きましたものを…」

「あのお方は―――ご自分より優れている者がお嫌いなのです。 今では取り分け若さも美貌も兼ね備えているあなた―――と言う存在が…それはとよく似ていることでありますよ。」


この時アリエリカの脳裏には咄嗟とっさにその存在が、自分とショウ王が謁見する前に笑いの渦に貶めんとしていた存在…ボウ=グラシャスであることを直感したのです。


        * * * * * * * * * *


「それはそうと少々疑問があるのですが…」

「はい、なんでしょう。」

「ヒョウ様はお后様のお子にしては年齢的にも不釣合いではないのか―――と。」

「ははは―――それはそうでしょう、リジュ様は後妻であられますので。」

「後妻?――――と、言う事は…」

「はい…さきの王后キョウカ様は既にお亡くなられておりますから。 つまりヒョウぎみはそのお方の遺された和子でございます。」

「そうだったのですか…」

「しかし―――『中華なる国の王が独り身であってはいかん』と、あの男が実の妹を『后』に推挙した事により、この国は変わってしまったように思えるのです。 己の利だけを求める『佞臣』ばかりが中央に集まり、良臣は隅に追いやられて肩身の狭い思いをするばかり…そんな憂悶の日々を送っていたところにアリエリカ殿のようなお方に来ていただいて感謝をしている次第なのでございますよ。」

「まぁそんな…わたくしもそう潔癖すぎる人間ではございません、何から何まで褒めちぎられますと実に面映ゆくあります。」

「いえいえ―――私は、当然の事を申し上げたまでの事…何の偽りなどございましょうか。」


こうして紆余曲折がありながらも本日の予定である集中治療院サナトリウムに向かったアリエリカ、昨日設置しておいたモノの効果の顕れを観るためにヒョウの病室に入ったところ―――昨日までは虫の息の様だった彼の病状、それが一転してたどたどしいながらも他人と会話が出来るまでに回復していたのです。 そのことを知るに及び安堵の胸を撫で下ろすアリエリカ…


「(あぁ、良かった…)わたくしは、昨日も見えたアリエリカと申す者です。 若君様には一日でも早くご回復なされますよう……」


「……そうやって………私の事を心配してくれる………そうか、あなたは………………『公主』。」


「(公主!)いえ…でも、わたくしは………」


「…よかった………あなたが来てくれて………………以前は…よく来てくれて…励ましてくれていたのに………それが………………ここ最近では来てくれなかったから…見棄てられたのかと思った………」


「そんな…『見棄てる』などと、誰が身重のあなた様を放っておかれましょうか?」


けれどこの時、重病人は現在見えているアリエリカを、以前にはよく自分を看てくれていたヴェルノアの公主と取り違えていたのです。 そしてアリエリカも『自分はその人自身ではない』と否定はしてみるものの、その励ましの言葉が彼にしてみればかの公主と重ね合わさってしまっていたのです。


それから病室をあとにしたアリエリカは…


「(わたくしは『公主』という方ではありませんのに…でも、どうして――――)

{それは恐らく、あの者の目が見えていないからだろう。}

(ジョカリーヌ様、でも、だとすると…)

{さて―――ね、熱に冒されて視神経が麻痺するというのはよく聞く話だけど、永らくそういう状態にあると『失明』と言うことにもなりかねない。 けれど、今のあの者の枕の下にはがある。}

(キリエさんの『鱗』。)

{うん。 まあ幸いに耳も聞こえるようにはなっているようだし、口もたどたどしいながらも利けるようにはなってきている、と言う事はじきに視力のほうも回復することだろう。}」


この時ジョカリーヌは、ヒョウがアリエリカと公主の存在を間違えた経緯に『彼の目が視えていない』ことを述べたのです。 けれどもまたすぐに『あるモノがあるから』と、アリエリカが気落ちしないように述べてもおいたのです。


それから―――アリエリカは日を置いて二・三度集中治療院サナトリウムに顔を覗かせるようになり、するとこの重病人の病状も次第に眼が視え互いに会話が出来るようになるまでに回復できた…これはそんなある日の出来事だったのです―――


いつもと同じようにアリエリカが集中治療院サナトリウムのヒョウの病室に赴いた時に――――


「失礼いたします―――」


「あれ?お姉ちゃん誰?」


「(えっ?)わ、わたくしは、今日もヒョウ様をお見舞いに来たアリエリカと申す者ですが…そういう坊やは?」


「これ、ホウ。 そのひとにご迷惑をかけるのではないよ。」

「はい、義兄にいさん。」

「(え…『お兄さん』?)こ、これはとんだご無礼を―――ヒョウ様のご親族の方でありましたとは。」

「いえ、これは私の義理の弟に当たる者ですよ…アリエリカさん。」

「義理の?…と言う事は。」


「(ホウ=アレキサンダー;5歳;男性;義兄ヒョウと18の歳の差がある義弟。)

ねぇ義兄にいさん、この人かあ様の言うように肥やし臭くなんかないよ?」

「こ、こら!ホウ! だめじゃないか、そんなことを言っては…ああ―――も、申し訳ない、お気を悪くされたか?」

「いえ…そんな事はございません…。」

「(あぁ…)コラ、ホウ、ちゃんとこの人に謝りなさい!」

「ぇえっ?どうして?」

「『どうして』じゃない!この人はね、死に掛けていた私をとってもよく看て下さった方なんだよ?そんな、ご恩のあるお人に対して…ダメじゃないか―――」

「え…でもぉ…かあ様が―――」

「いえ、よろしいのですよ…事実わたくしは片田舎の小国に生まれ、その民と共に土に親しんできた者ですから…。」

「そう…ですか―――でも、義弟の代わりに謝らせていただきたい、申し訳ないことを言いました。」

「(…)あっ、そうですわ、ちょっと花器の花と水をやり変えておきましょうね。」


この時、同じくして病室に見えていたのは年の頃はコみゅ・乃亜と同じくらいの男の子で、名を『ホウ=アレキサンダー』と言うようです。

実はこの坊や、病床に就いているヒョウとはその年の差が18も開きがある彼の義理の弟だったのです。

では…と言う事は―――そう、その母親とは想像にかたくなく、以前にアリエリカを散々罵倒した女性―――フ国王后リジュである事に疑う余地のないことだったのです。(しかもあの時リジュが言っていた事を蒸し返すようにその子供までが…とは、余程アリエリカの事が気に入らなかったと見えますね)

そして少なからずも場の雰囲気が悪くなったと感じたアリエリカは、花瓶に供えられていた花と水をやりかえる…そのことを口実に病室を出たのです。


でも―――よく考えて下さい…齢5歳の男の子が、義兄の見舞いをする…と言う事にしろ、たった一人で集中治療院サナトリウムに来たりするでしょうか?

そう…そこには当然―――――


そしてアリエリカが無事、花と水のやりかえを終えその花瓶を大事そうに抱え、ヒョウの病室に戻ろうと集中治療院サナトリウムの廊下を歩いていたところ―――


「これ―――待ちゃれ。 ナゼ…うぬのような肥溜め娘が、このような処におるのじゃ。」

「あっ…あの、わたくしは…」

「ええい黙らっしゃいッ!うぬのような小汚い娘に清潔さが第一のここを穢されては敵わぬ。 それに第一、この国の太子様がこれ以上身重になられたらどう責任を取るというのじゃ!それが判ったのなら…とっとと出ていかっしゃいっ!」


なんとタイミング悪くそこで鉢合わせになったのは王后リジュ、そしてここでリジュはアリエリカを見つけるなりそこから先…つまりはヒョウの病室に入らせないようにするようにアリエリカが持っていた花瓶を取り上げ去るように促したのです。

そして今まで以上に罵られたアリエリカは、こみ上げてくる泪をこらえながら集中治療院サナトリウムを後にしたのです。


こうしてアリエリカの手から花瓶を取り上げたリジュは、何喰わぬ顔でヒョウの病室に入り―――


「ヒョウ殿、お加減はいかがかえ?」

「お継母上ははうえ…その、花瓶は? それにアリエリカさんは?」

「心配なさりませぬよう…あなた様はこの国になくてはならぬ大事な身―――あのような小汚らしい小娘にうつつを抜かしてはなりませぬ。 それにあなた様にはもっとこう、身分それ相応の芳しい娘をこの妾の眼鏡に叶うた者だけをめとらせましょうぞ。」

「(え?)――――と言う事は…帰したのですか? あんな…あんな性根の優しい方を、帰したというのですか?!」


「それよりも若君には一日も早く好くなってもらわねば…ささ―――これにあるは妾が西国より取り寄せたお薬でございますぞ一服飲んでみて下され。」

「(薬―――)やだな、薬…それに、以前服用したら気が遠のいた事があって――――」


「若、なんて事をおっしゃるのです!あなた様は義理といえど母なるお方が苦心して手に入れて下さったモノを『毒』だとおっしゃられるのですか?!」

「い…いや―――何もそこまでは…判ったよ、お継母上ははうえどうも嫌疑をかけてすまない…あとで必ず飲みますから、そこに置いといてください。」

「おお―――そうか、では必ず服用して下されよ。」


これは病室での、ヒョウとリジュ…そしてこの集中治療院サナトリウムの看護婦のやり取り。 そしてここでもリジュはアリエリカの事を蔑むだけ蔑んでおいたのです、しかも…看護婦までもが『アリエリカには悪意を持ってフ国の王族に近付こうとする動きがある』と言うあたら根も葉もない噂話をしておいたのです。

そして、次にはリジュが持ってきたという薬―――これは紛れもなく西国はラージャから取り寄せたという薬だったのですが……


その一方、サナトリウムで酷い事を言われたアリエリカは…明らかに気落ちし、しょげていたのを察し、ジョカリーヌが慰めては見るものの余り効果は得られず―――と、そこへキリエ婆が姿を見せ暗い表情をしていたアリエリカに何があったのかを聞き出そうとしたところ、日頃…滅多と人前では泪を見せたことのない者の目からは、大粒の泪が――――今までにこらえにこらえていたモノが堰を切ったように溢れ出てしまったのです。

でもしかしこのままでは一体何の理由でアリエリカが泣いてしまったのか分からないので自分達が泊まっている宿に手引きをしたのです。 そしてアリエリカが落ち着いたところを見計らい泣いた理由を聞いてみれば…


「な―――なんですって?!ここの…王后に、そんなことを?!」

「はい―――」

「ひ…酷い奴ですみゅ!」

「しどいやちゅ…ゆゆさないみぅ!」


「う…ぬぬぬぅ―――ゆ、許せない。 我らの主になんという侮辱を――――よし、そっちがそのつもりなら!」


「待て、キリエ――――」

「(えっ?!)ジョカリーヌ様―――?」

「お前はこれから何をしでかそうとしている。」

「な…『何を』―――と、言われましても…」

「まさかかの王后に対し、よからぬ事をしようと考えているのではないだろうな。」

「うぅ…」

「図星…か、ヤレヤレ…いいかい?キリエ―――そう短慮を起こすのは分からないでもないが、もう少しアリエリカの事を考えてもらえないか?」

「ア…アリエリカ様の事を―――ですか?でも、そうは申されましても…今時分の私の行動原理にはこの方の事を第一に考えて――――」

「そうか、ならばこの際だからよく頭に入れておいて貰おう。」

「は、はい。」

「一介の客人に過ぎない者の従者が、一国の…それも大国の王の后に手を出したとあれば、その客人であるアリエリカ…ひいてはアリエリカを紹介してくれたアルディアナとかいう人物も立場上悪くなってしまうのではないだろうか? それに身分が対等であったとしても、一国の家臣が他国の貴人を害してしまったならその結末は火を見るより明らかな事だろう。 だから…アリエリカが我慢しているのだからお前が短慮を起こすべきではないんだ。」

「申し訳次第もございません。 私はもう少しで取り返しのつかない過ちを犯すところでした、どうかお赦しを―――」

「いえ―――よいのですよ、キリエさん…わたくしは、その心情を吐露できる方々がいるだけまだましかもしれません。 この世の中にはそれすらも出来ずに迷う方が多くいらっしゃる事ですから。」


自分が仕えている主を侮蔑された事に激昂し、その相手に対し何かしらの手立てを思い立ったキリエ――――しかし、これから好からぬ事を考えている者を戒めたのはジョカリーヌだったのです。 そしてその行動は分かるものの正義ではない―――と諭し、何とかキリエを思いとどまらせたのです。


          ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


それからまたしばらくして、その宿の泊まり部屋に今度はこの人物が…


「失礼いたします。 アリエリカ殿……どうやらなんともないようですね、よかった―――」

「どうかしたのですか?」

「いえ、少しアリエリカ殿に対し余りよくないお噂を耳に入れましたので…それで、お気を悪くされていないものか―――と思い直接に私がお伺いに来たのです。」

「ほぅ―――で、その『お噂』とは、一体どんなものなのです…かな?」

「お婆さん―――それが、アリエリカ殿が簒奪さんだつを目論んで宮中を出入りしている――――などと根も葉もないような事を…」

「な、なんですとっ―――!そのような事を吹き込む輩が~」

「あの―――キリエさん…」

「分かって、おりますよ。 して、何者がそのような噂話を?」

「それが…私もあそこの女官の一人から聞きだした次第なので…」

「と―――なると、王后?」

「恐らく―――は…ですが、確証がない限りでは。」

「恥を掻いて、逆に揚げ足を取られかねない――――と。」

「はい。そこで提案なのですが、私は一時的にここを離れこの事を夜ノ街のアルディアナ様の下に持ち帰ってみようと思うのです。」

「そうですか…分かりました。 幸いにこちらにはキリエさんも、コみゅ・乃亜ちゃんもいることですし、わたくしもここしばらくは宮城には参らぬことといたしましょう。」

「は―――ではすぐにでも出立いたしますので…お婆さん、あとの事お頼み申し上げます。」

「はいはい、お任せ下さいよ…。」


その人物とは、アリエリカのお目付け役でもあったシオンだったのです。

でもその彼女は入室するや否やアリエリカを確かめるように見―――無事な事を知って安堵したようです。

しかしナゼ彼女がこんな事を? その理由が、シオンの耳にもアリエリカを誹謗中傷する噂が入り、そのことで心配になったシオンが急ぎアリエリカの下に参じてみれば…何事もなく杞憂に過ぎたものだ―――と、言う事のようだったのです。

でも、このままではいけないと思ったのかシオンはあることを提示してみたのです。

それは―――自分の直接の上司でもあるギルドの現頭領―――アルディアナに事の顛末を話しておくと言う事…その上で何らかの解決策を講じようともしたようです。


        * * * * * * * * * *


こうして急ぎ夜ノ街へと帰るシオン…と、そのあとで―――


「(…)あの、アリエリカ様―――実はあれからよく考えたのですが、私も一時的に夜ノ街に帰還してみようかと、思っているのです。」

「え? で―――でも…」

「よろしいでしょうか、私も此度の一件で肌身に感じたことなのですが、これは思ったよりも長引きそうなことになりはしないか…とも思えるのです。」


「成る程、お前もそう感じたか。」

「(ジョカリーヌ様!)はい。 そこで僅かながらの期間あなた様のお側を離れなくてはならなくなるのですが…」


「はいっ―――あとはアタシにお任せ下さいっ。」

「おなちく、あたちも、おねぇちゃまといっちょに、まかちぇてくだちゃいっ。」


「(えっ?コみゅちゃん?乃亜ちゃん? これは…どう言う事なのです?)

うん?はは―――つまりね、キリエはこれから必要となるモノを取りに帰ろうと言う事なんだよ。 それに、この子達二人も私の治世から仕えてきている重要な役人ではあるし、ね。

(まぁ…そうだったの?それに、なんです? 必要な…?)

うん…これからは何かと物入りになってくる事だろう。 それを見込んでの資金となるものや換金出来得るものなどをね、それから―――」

「はい、これからは私の一存でも動けるように自分の『認識グノーシス』を取りに戻ろうと言う事なのです。」

「(ぐ…ぐのー…しす?)

だが、しかし…一度それを得るとその姿老婆ではいられなくなるはずだが?」

「それはそれで一向に構わないと思います。 それに…この姿では逆に何かと制限がついて回ることでしょうから。」

「確かに―――な、それに『年老いた者の代わりだ』と述べておけばすむことでもあるしな。 よし―――分かった、そのことは許可しよう…だけどなるべく早く帰ってきておくれ。」


なんと、この時キリエまでもが夜ノ街に戻ると言い出したのです。

でもそれは何も職務放棄云々―――と言った意味ではなく、自身の『認識グノーシス』を取りに戻るためと、これから必要になるであろう『資金』や『換金でき得るモノ』をいくらか持ち出してこようというのです。


しかし―――これは何かしらの偶然なのか…果てまたは既に仕組まれた策謀だったのか。

この、三者三様の身に置かれた“宿しゅく”はこれから激しく流転していくのです。




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XANADO 天宮丹生都 @nirvana_2020

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