第51話 たくさんの小さな亀裂

「術式を教えるつもりはありません。リシャさんは戻ってください」

「私はこの領域の神子だ。他領の者を聖域に置きざりにするわけにはいかぬ。これは私の責務であり、私は神子であることに誇りを持っている」

「魔女様が解放されてからこそが神子の役割を発揮すべき時でしょう?」

「ボニ。お前はやはりわかっていてここにおるのだな? 魔女様を解放すれば魔力も一緒に溢れ出ることを」

 そんなことはボニの悲壮な顔を見ればわかる。

 先ほどは避難を優先して急いだが、改めて考えれば当然のことだ。山を噴火させるほどの魔力の中にいれば、人などひとたまりもない。けれどもそう告げれば、ボニの顔はますます歪んだ。

「……魔力回路の破損は僕のせいです。僕がデュラはんの近くで魔力回路に接続したからだ」

「どういうことだ?」

「デュラはんが『スピリッツ・アイ』を使うだけならデュラはんの魔力が空中に吸い出されて頭痛がするくらいですんだのに。僕が魔力回路に接続していたから多分魔力回路にデュラはんの魔力が干渉して回路が破損したんだ、と思います」


 魔力の干渉?

 魔力回路というのは魔女様が領域の魔力を管理をされるために作られたものなのだろう?

 その理屈はなんだかおかしい。

「アブソルトは強大な魔法を行使するために魔力回路から力を引き出していたのだろう? 魔法を使うたびに魔力回路が破損していたのではたまったものではないではないか」

ーいいえ、逆なのです。アブソルト様は魔法を使えませんでした。だからこの術式というものを作られて、ご自身が、というより誰もが魔法を使用できるようにされたのです。


 誰もが魔法を?

 そんな馬鹿な。この領域外でも魔法が使えるものは一握りと聞く。デュラのように魔力を感知できないものの方が多い。魔力を感知できる僅かな者が大気から得られる魔力を行使する魔法使いになるという。

 アブソルトは魔法も使えぬのに魔力を扱うというのか? そんなことができるはずないだろう。

 それにアブソルトはこの地の魔力を枯渇させた大悪人と小さな頃からずっと、聞いている。

 けれどもよくよくボニの言を咀嚼すれば、確かにこの領域の者は魔法など使えなくても機甲が扱える……。今まで常識と思っていたこの機甲というシステムはすべてアブソルトの恩恵……だったとでもいうのか。


「リシャールさん。アブソルトがいた時代にはカレルギアは他の領域と同じく大気中に魔力が満ちていました。もし魔法が使えるなら、その大気中の魔力を使えばいい。わざわざ魔力回路に接続する必要なんてありません」

「ではなぜアブソルトは魔力回路に接続を? 無尽蔵の魔力を手に入れて強大な魔法を行使するためではなかったのか?」

ーリシャール様、その、アブソルト様に聞いたことがあるのですが、敬愛する対象の元に馳せ参じるのは『追っかけ』という一般的な行為なのだそうです。アブソルト様は当初、ここまでこられても特に何かをされるでもなく、尊いとおっしゃられながらそのあたりをウロウロされるだけでした。


 ただその辺にいるだけ?

 むむむ、この領域でも魔女様に祈る者はままおるが、近くに侍るだけだったのか?

 何か腑におちぬが。

ーそしてこの地に穴が開いたとき、魔法を使える者はその魔力を吸い取られて皆倒れました。アブソルト様は魔法が使えないからこそ、その影響を受けず、各地の影響の大きいところに魔力回路から直接結界を張って回られたのです。ここのように。

「このアストルム山のようにか?」

「リシャールさん、この島にはこの聖域と同じように魔力を産出する場所が何箇所かあるのです」

「ではこの聖域のように、大量の魔力を封じ込められた危険な場所が他にまだあるとでも言うのか?」

「『灰色と熱い鉱石』の領域以外の場所は既に他の魔女様が解放されたか、アブシウム教会が教会を建てて魔力を利用・放出しています」

「ならば他の魔女様がこのアストルム山を、つまりラルフュール様を解放なされればよかったのではないか」

ーリシャール様。それはできないのです。魔女同士は不干渉を絶対としています。それは魔力の扱いが魔女によって異なるからです。無理に鑑賞すればこの『灰色と熱い鉱石』のためにこの世界が崩壊するような状況になりかねません。そうなった場合、世界の危機を招いた私は不適格として廃棄対象となるでしょう。

「は、廃棄⁉」

 魔女様というのは何なのだ。

 ラルフュール様についてもそのご来歴はわからぬが、遥かに長い昔からこの領域を守られていたと聞く。その物腰はあたかも人であるとしか思えぬ。だが世間では魔女様という者は人の思考の範疇に収まりえぬものともいわれる。


 いや、今はそれよりこの領域のことだ。

 ここは『灰色と熱い鉱石』の魔女、ラルフュール様の領域だ。先ほどまでの話が真実であるとしても。

「それならばこそ、この領域の神子がである私が対処するのが筋だろう。他の領域から訪れたお主ではなく。それにお主が原因かどうかはわからぬ」

ーそうです。原因は調べねばわかりません。

「でも。それに僕はこの術式を他の人に教えたくありません。これは汎用術式です。魔女様の聖域に来ることができれば誰でも使えてしまう」

「誰でもここに来られるわけではない。ここに来るには……」

「どうやって来られたのかはわかりませんが、リシャールさんはここまで来られているでしょう? おそらくアストルム山の神殿以外の場所から」

 それは……そうだが。

 私はその術式とやらを使うつもりもないし誰かに話すつもりもない。しかしおそらくボニは納得しないであろう。堂々巡りだ。一体どうしたら。

 そう思っているとなんだか妙な感触がした。不意に空気が揺れるような感触があった。


ーアブソルト様の魔力回路が破壊されています。

「魔力回路を壊す? 誰がそんなこと……そんなことができるのは……デュラはん?」

「何故だ? 何故デュラが回路を壊す」

「いえ、デュラはんならおかしい。そもそもデュラはんが魔力回路を破壊するには魔力回路が近くにあるか、回路と繋がって回路に直接干渉できる場所じゃなければ破壊されることはない……はずです」

ー破壊されたのは確かに地面に近いところにある回路です。なぜそのようなことが。

 しばらくしてまた空気が揺れた。そして今度は体を締め付けるようにこの聖域に充満していた魔力がほんの少しだけ薄まったような妙な感覚がした。


[調査:アブソルト回路>破損]


「なんだこれ。おっしゃる通り、アブソルトの魔力回路の端部が3箇所破損しています」

ー何が起こっているのでしょうか?

 そうしている間にも、また新しい振動があった。

 なんだかおかしい。振動があるたびに、なんだか呼吸がしやすくなる。

「どういうこと? この山の外周に沿って順番に魔力回路が破壊されています。しかもアブソルトの回路だけが正確に」

「魔力回路を破損できるのはデュラだけではないのか?」

「デュラはんにしては破損のスピードが尋常じゃないんです」

 そして背後から新しい声が響いた。

「デュラはん様とイレヌルタ様にご協力頂きました」

「母上! 何故こちらに! 早くお戻り下さい! これ以上ここに留まればお体が保ちません!」

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