後半

この異質を考えない私では無かった。

持ち主は周りには見当たらない。これは何ということか。

耳における補聴器。

目におけるコンタクト。

切っても切り離せない関係。もう体の一部という使用者の話を聞いたことがある。もちろん、ストレートに体の一部であるわけでは無いが、無い場合の困難は手足、感覚器官のいずれかを失うに等しいものであろう。

その杖が一本置き去りにされていた。


足の不自由な方がどうやってここから出たのだろう。

状況を理解するためにあたりを見回す。当時この場所での持ち主の動きを考える。杖は外陣の中でも外側に置いてある。壁伝いに移動することが出来るならば可能ではあるのか。


「気にするべきでは無いよ。」


兄は言った。不相応に。

強く何かを言い返そうかと思ったが、頭に響くのは体が拒む。別に兄の意見はこの際いいのだ。初めから兄と私とではこの調査への意識は違っている。

多少、こちらへの傾聴も願いたい。

口には出さず、耳にも入れなかった。


そもそもだ。

仮に杖氏はどうやって上殿したんだろう。外陣に登るためには十数センチメートルは足を上げなくてはならない。人がいたのか。隣に人がいたのだ。

人の存在が杖氏の横に映り込む。

であれば、どうなる。

外陣の中は一人で歩いて、上段の際だけ、人が持ち上げるというのがセオリーだろう。しかし、帰りの段階で何かしらが起こり、杖を置いていってしまった。

外陣で祈る彼はたまた彼女の姿を想起する。

それに、杖は体の一部であるのを忘れてはいけない。杖氏がそれを忘れるということは考えにくい、ならば他の人の促しがあったため忘れたのか。焦らなければいけない状況があったか。


杖をあらためて観察する。

外陣の外側にあるそれからはやはり、何かが思いつくことはない。

「もう行こう。これ以上はダメだ。」

ダメとは何なのだろうか。


人は須臾の間に変わるがわり、時もそれに従い少しだけ進んでいく。

「こーんなことってあるんだねー!」

突然、破裂するような女性の声が前方から聞こえる。耳を片方塞ぐようにしながら、横目を流して、その方を見る。


「足の治りはさすがだねー!尾の殿様様だわ!全く、遠い県外からこんな田舎まで来たけれど、こんなものが見れるなんて!まー、ねー!奥様。」

「ほんと、ほんと。杖が要らなくなる生活なんて二十年も無いけれど、ここで祈ればだいじょーぶなのかしら。あっほっほっほ!」

女たちは杖をふんふん振りながらその置かれた杖を前に談笑を続ける。


治る。という解釈は無かった。

もちろん、現実としてそれを受け入れるわけでは無いが、プラシーボ効果とか、ピクマリオン効果とか言いようによっては科学的に非科学を説明づけられるのでは無いか。

ふふ。

考えてから、鼻で笑った。無理がありすぎる。現実的に考えるんだ。考えるんだ。

でも、いや、しかし現実は見えていない。


はっと思考が停止した。

視覚が中心に物事を動かし、選択する。ゾワっとした。考えに使った熱量は体の芯まで広がり、先から無くなっていく。

ここは蛇願寺であった。

完全善行の宗教施設。素行調査。初めに立ち返っていく。


なぜこんな調査をすることになっているのか。

なぜ、来ているのだ。


もしかしてと思った。

依頼の根源を想像してしまった。

もし、本当にそんな神がかり的な力があったなら。私は脳の浅いところでスピードに乗って考える。


あり得てしまうのか。


私は怖くなっている。なっていた。

情けないと思う。

そもそも、物思いに耽ることになったのは、ヘビの赤い目に。

私は首を振り回し、外陣の内側、特に天井部を見上げた。

白蛇が所狭しと並べられ、一匹はトグロを巻き、二匹はもつれ合う。汗がびっしりと吹き出すのを感じた。抜けた熱の落差が芯の元まで冷やしていく。あの目に見られていたと思うと。こちらからも見る、赤い目が目につく、映える赤が目に刺さる。


「もう、行こう。」

声をかけられる。兄は対照的に落ち着いて見える。それに私の落ち着きは回帰することは無かったが、脳は反射で外陣のから降りることを選択した。


悪寒が走り去っていく、敏感になった肌を隙間風は叩き叩き歩いていく。回廊の木を止める木製の鎹のようなそれにも目がある、ハートの形の猪目ならぬ、ダイヤの形の蛇の目である。建物の柱が全て何がしかの関連を持ってその形をとっていると見える。木目の位置が蛇の目に、回廊の隙間が口に、黒ずみの流れが覆う鱗のようである。頭が揺れる。


兄は先ほどと比べるとやや歩くスピードが遅い。

何がそんなに足を止めさせているのか。覚束ない足で先々に私は足を進める。兄はそれでも前をのろりと歩く。


頭痛と、寒気と、不甲斐なさが頭を巡る。

調査なのだ、私はやり遂げる。これは気の振れであり、何ら無いのだ。

そう、自分に言い聞かせる。

心配なのは兄の方である。先の杖に何故兄はあれほどまでに興味を示さなかったのか。

不信感が募り始めている。


それを兄は裏切りはしなかった。

「祈っていこう。こと真剣に。彼らのように。」

いつの間にか頭の殿に着いていた。内装はそれまでの本殿とは大きく見分けはつかないと思う、はっきり言えないことは天井部分を見れないことにある。畳の間に上がり、そのすぐに崩れるように座り込む。正座というものが今できているかは定かでは無いが、少なくとも背筋をシャンと伸ばせていないことは確かである。気分の云々より、兄の行動のそれに心共々、背骨も折られた気分なのだ。


だがしかし、私は噛み締める。それがどれほど恐怖にのめり込みそうになる行動であろうとも先立たる彼らの行動に則って、真似て、心まで真似て、確かめてやろうと、それを暴いてやろうと思った。手の甲には爪が食い込み、血が噴き出る。背骨は軋み上がり、華麗な音を奏であげる。私は数十秒間何かに何かを捧げた後、立ち上がる。両の足に痺れが走る、視界に靄がかかる。そして私はあっと倒れた。 


目が覚める。

体はまだ鈍重に包まれているが、気分はそれほど曇りない。

ここはいつも見ている私の部屋の天井か。目を見開き探せど、蛇の足どころか、鱗の一枚もそこには見えない。

「目が覚めたかい?」

兄はノックもせずに入ってきた。その程度は身に染みて忘れずにするような人だったが、はて私はどうなったのだったか。


「一応、経緯を話すよ。」

私の顔を見て得心いったのか、兄は今日の蛇願寺におけるあれこれの全てを話した。

私が倒れた後、蛇願寺のスタッフによって、別棟救護所に運ばれた。幸い初期症状の発熱も次第に引き、状態を見て落ち着いたことを確認して、兄は私をおぶって帰ったらしい。

記憶が少しだけ戻り始め、手の裏表を返す返す見る。全く綺麗なものだ。傷なんて一つもなく、感覚は私の妄想だったらしい。


「こんな状態とは思いもよらなかった。何がどうしても帰るべきだった。」

近しい関係の中に頭を下げるという行為こそないが、真剣にそれは発せられる。


「もう調査は終わったよ。蛇願寺の善行、回復と祈り。その結果が神がかりでない事はもう分かったからね。」

私の調査活動というか、無我夢中の祈りは誰かに届いたのか、私の体調の悪化という形で蛇願寺の非神がかり性に対するアンチになったらしい。

私は今日の緊張から一気に解放されてか、ベットの上に力なく深く沈み込む。


「それで、いつから私で試そうと?」

兄は初めから、今回の調査を見失っていなかったのだろうことを考えると、私に歩を進ませ、祈りまでさせる理由というか、核心に近いものがあったと思われる。全て私の所感だが、スッキリした頭にアップされた考えを疑うことさえ面倒ではない。


「頭の殿に入る直前だよ。僕もよく人を見切れていない。」

すまないと重ねて謝る。


「本当のところを言えば、必要なかったんだ。尾の殿まで行った段階でね。」

尾の殿ですでに終わっていた。そこでの大きな出来事といえば、私は一つしか覚えていない。


「置き去りにされた杖ですか。あれは一体何だったんでしょう?」

置き去りにされた。その経緯。急がなければいけなかったとか、回復したとかあったか。まま考えたが、さすがに神がかりを掘り返すつもりはないだろうけれど。

「置き去りにされたというのが、まず間違いなんだよ。もちろん、神がかり的な超回復ということでもない。」

「置き去りにされたのではなく、忘れられたんだよ。」

だが、しかし忘れるというのは無いだろうと私は考えた。その時も今も。

「加えて、回復したのではなく、悪化したんだと言えば分かるかな?」


「だからこそ、あそこでそれを口に出すのは憚られた。不謹慎というものだろう。」

兄は尾の殿から早く立ち去ろうとしていた経緯を語る。

つまり、杖の持ち主、杖氏は尾の殿において体調が悪化し、倒れたという事らしい。救急隊員が駆けつけ、その側に置いてあった杖だけは見落としたという事だ。

「私が倒れたから思い立ったってことでは無いのですよね。」

改めて私は聞き返す。ではなぜ気がついたのかそれに接続するための質問である。

「救急車を誰かが呼ぼうとする動きが後にあったからそれが正しいとさらに確信したのだけれど、そうだね初めに思ってのは参道だね。」


参道の中心。神の通り道といって中央部は開けなければならないなんて思っていたが、蛇願寺の成り立ちを鑑みればそもそもここには神がいなかったではなかったか。つまり、参道の中心。それが少し緩かったのは神様ではなく、救急の患者が通った残りだという事だ。


私は話を聞き終え、さらにどっかりとベッドに沈む。天井をあらためて向き直り、そっと目を閉じる。

兄はそれ以上話しかけてこず、そのまま静かに部屋を後にした。

ドアの締まりを確認した後、意識は落ち着き、溶け込んでいった。


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