第9話 秘密

———っうっヒック…


いつかの逆で、今度は菫が長い時間子どものように泣き続けていた。

「…泣かないでよ、スミレちゃん。」

椅子に座ってうつむいたまま泣き続ける菫に、蓮司は下からのぞき込むようにしゃがんだ姿勢で声をかける。

「そんなにマジなやつだって思わなかった。ごめん…」

蓮司の言葉に菫は何も反応しない。


蓮司があばいたのは、菫の一番大きな秘密—というよりも、気づかないふりをしてフタをして胸の奥にしまっていた感情だった。


———はぁ…

なすすべのなさに蓮司は溜息をいた。

「スミレちゃん…」

「………さぃて…です…」

「ごめん」

“最低”というののしりの言葉でも、菫がやっと口を開いたことに蓮司はホッとした。

「もうさ、この際全部吐き出しちゃえば?明石さんのどこが好きで、どんだけ好きか。」

「………」

「スミレちゃんはそうやって泣いてるけど、別に悪いことじゃないじゃん。」

菫は首を横に振った。

「しゃちょ…は、けっこ…してるから…」

「恋愛ってそういうもんだよ。相手に好きな人がいようが、結婚してようが、気持ちはどうしようもない。」

蓮司はさとすように言った。

「………」

「俺しか聞いてないよ?」

「………」

「ね?」

蓮司は菫のを覗き込んだ。

「……しゃちょ…は…」

「うん?」

「やさしい…です」

「うん」

「…えがお…が、すてき、です…」

「うん」

「しゃちょぅ、は、人の…なかみだけ、見てくれてて…」

「うん」

「………」

「それから?」

「………あゆさんの、ことを、話して…る、ときが…ぃちばん…すてき…です…」

「…そっか。」

蓮司は菫の恋の不毛さに、困ったような苦笑いを浮かべた。

「明石さんと付き合いたい?」

蓮司の質問に、菫はまた首を横に振った。

「スミレちゃんはいい子だね。」

蓮司は優しく笑った。

「明石さんのことが好きだけど、アユさんのことも大好きなんだ?」

菫はうなずいた。

「だから誰にも言えないどころか…気づいてないふりで自分のことも誤魔化してたんだ。」

「………」

「苦しかったね。」


蓮司は菫が落ち着くまでしばらくそのまま見守っていた。


(…こんな気持ちで、これからどんな顔して社長に会えばいいんだろう…)

菫はだんだんと冷静になった。

「明石さんに会いたくないとか思ってるんでしょ?」

顔を上げてほうけたような表情かおをしている菫に蓮司が言った。

菫はムッとした。

「思うに決まってるじゃないですか。」

「お、元気出てきたね。良かった。」

蓮司が笑った。

「…自分が泣かせたくせに…。」

「スミレちゃんてさぁ…」

菫のそばに立っていた蓮司が顔を覗き込んだ。

「男に泣かされたこと、ないでしょ?」

「…!?」

「本当、わかりやすい。“初めて”貰っちゃった。ラッキー。」

蓮司はハハッと揶揄からかうように笑った。

(この“泣かされた”って全然そんなんじゃないでしょ…)

「…自分だって、この前わたしに泣かされたじゃないですか…」

「…俺は初めてじゃないし。」

「………」

「明石さんに会いにくいって思わない方法、教えてあげようか?」

「え?」

「明石さん以外の男と…

———ミャァ…

蓮司が言いかけた瞬間、何かが聞こえた。

「え?」

「あ!猫!」

蓮司の足元に小さな子猫がいた。どうやら、開けっ放しのドアから入ってきてしまったらしい。

「マジか…」


小さな子猫は何かを訴えるようにミャアミャア鳴いている。

「お腹、空いてるんじゃないですか?」

菫が言った。

「子猫の食いもん…?」

「なんかあったかなぁ…」と言いながら、蓮司は奥の部屋に探しに行った。

しばらくして、蓮司が戻ってきた。

「おやつの“ちゅ〜ぶ”残ってた。これなら子猫でもいけるでしょ。」

「早くあげてください!」

菫が急かすように言った。

蓮司がおやつを開けると、子猫はすぐに駆け寄った。

「か わ い い〜!」

しゃがんで見ている菫のテンションが上がる。その様子に蓮司も笑顔になった。

「笑った。」

蓮司が言った。

「…だって…かわいいじゃないですか…」

菫はバツが悪そうに言った。

「うん。かわいい。」

蓮司も言った。

「泣いてるのもかわいかったけど、やっぱ笑ってるほうがいいね。」

蓮司が優しく微笑んで言ったので、菫の心臓が小さく鳴った。

「猫の話です!」

菫の反応に、蓮司は笑った。

「スミレちゃんて猫好きなの?」

「はい。実家で飼ってるので。」

「へぇ。」

「この子、どうします?」

「んー、そうだなぁ…」

蓮司はしばらく考えた。

「この辺の迷い猫の情報少し調べてみて、何も出て来なかったら明日病院連れてくよ。」

蓮司は子猫を持ち上げて、顔を見た。

「よりによって、サクラと同じ色してんだよな…」

子猫は短毛ではあるが、蓮司の髪と同じ銀色だった。

———ミャア

「俺と暮らす?」

———ミャア

返事をするように鳴く子猫に、蓮司は「まいったな」という表情で笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る