やっぱり幽霊は面倒くさい ~幽霊の見える公理智樹

Tempp @ぷかぷか

第1話 やっぱり幽霊は面倒くさい

「あの、道をお尋ねしたいのですが」

「……」

 公理智樹こうりともきは幽霊が見える。だからその呼びかけをずっとシカトしていた。けれども『見える』ことは敵にも既にバレてた。幽霊が見える人間は少ない。だから幽霊は一旦幽霊を見える人間を見つけると、執拗につきまとう。それが智樹の経験則だった。

 はぁ、と溜息をつき、諦めて振り返る。

 燦々と照り注ぐ太陽の浮かぶ青い空。キラキラとその光を反射する紺の海。その間に、その幽霊は半透明な所在なく浮かんでいた。改めて目を合わせると、その気の弱そうな中肉中背の幽霊は、悪霊には見えなかった。古風なシルクハットに燕尾服を身にまとい、四角い革鞄を持っている。礼装だろうか。智樹は暑そうだと思ったが、幽霊だから平気なのかなとも思った。思い返せば暑がる幽霊や寒がる幽霊は見たことがない。


 夏の終わり。

 真昼のハーバーポートで吹く風は未だとても暑い。智樹はいわゆるカリスマ美容師で、その夏の最後の映画のロケのスタイリストとしてこの神津湾に呼び出され、そして一仕事を終えたばかりだった。正直屋外の日差しは強く、糞暑い。自宅の辻切つじきを朝一に出て、1時間かけてここまでやってきて、そこからずっと立ちっぱなしだった。だからその辺のビアホールに駆け込んで一杯やろうと思っていた矢先のことだ。

 早く要件を終わらせよう。

「何ですか」

「時計塔に行きたいのですが道がわかりません」

「時計塔?」

 智樹は更に振り返る。この港湾エリアで時計塔といえば一つ。湾に面した西側の高台にある旧外国人居留区の時計塔だ。所謂いわゆる観光地。智樹の目にもその白い煉瓦造りの塔が映る。それを指し示す。

「あそこに見えるでしょう?」

「それが、見えないんです」

「はい? 眩しいから?」

 丁度陽はわずかに西に傾き、つまり太陽の方角とも一致した。智樹は幽霊だから太陽が苦手なのかもしれないと思い直し、そして日中に幽霊が出るのもおかしなことだと思い返す。つまり、そんなところに出るほどこの男は逼迫していて、ようは厄介事に巻き込まれたということだ。智樹はますます面倒な気分になった。

「私の周りはまさに一寸先は闇で、方角はすぐわからなくなります」

「闇? めっちゃ晴れてるけど」

「そうなのですか? けれども私には何も見えません。晴れているかどうかもわかりません。ああ! この世は真っ暗闇だぁ!」

「困ったな。俺、疲れてるんだけど」

 妙に芝居がかったその幽霊を振り返れば、その奥に入道雲がもくもくと伸び上がっているのが透けて見えた。

 智樹は目測で時計塔との距離を測る。直線方向に1キロ半ほど、垂直方向に300メートルほど。仮に幽霊が空を飛べても、目隠しで行ける距離ではないように思われた。少なくとも自分には無理だと自認した。

「断って良い?」

「ダメです! 助けて!」

 幽霊は大慌てで智樹にしがみつき、ビールジョッキが肌にぴとりとくっつた程度に友樹は涼しくなった。

「あの、妻からこの羅針盤を渡されまして。方角がわかれば辿り着けると思うのですが、壊れているようなのです」

 幽霊はゴソゴソと鞄から何かを取り出す。

 真鍮のお盆の内側に方位を示す記号が描かれ、取手がついている。智樹には幽霊に物を渡すという概念が理解できなかったが、ともあれ持っているのだから仕方がない。覗き込めばその針はフラフラと宙を泳いでいた。

 当然ながら智樹は羅針盤の修理の仕方など知らない。

「ごめん。俺、どうしていいかわかんないや。もう帰っても良い?」

「そんな、どうしましょう。先程その辺に歩いている方が、あの時計塔はもうすぐ無くなると話していたのを聞いたのです」

 幽霊はそう言って海の上に泣き崩れた。

 智樹もその話は聞いたことがある。

 明治初期に建築された白い時計塔はこのハーバーからでもとても目立ち、フォトスポットになっていた。けれども劣化が進み、表面の剥落が激しくて危険だから今は立入禁止になっていて、来月、つまりこの港の観光シーズンが一段落したころに壊すことになっていた。

「でもすぐに再建築されるようですよ」

 クリスマスに間に合うように。

「それじゃ駄目なのです。そこに妻が手紙を隠したそうなのです」

 幽霊に聞けば、奥さんから羅針盤が示す所にある手紙を読めと言われたそうだ。

「わけがわからない。その手紙は鉄でできてんの? それともマジックアイテムか何か?」

「それは私にもわかりません。だから取り憑かせて頂けませんか」

「は?」

 その返答は智樹にも予想外で、一瞬固まった。

「貴方様に取り憑いて時計塔まで行って頂ければ、一緒に行けると思うのです」

「やっぱりわけがわからない」


 智樹はドン引きした。けれども取り憑くというのは許可を取るものだろうかと考え、許可を取ろうとする分マシなのだろうかと思い直し、再び幽霊を見た。幽霊は縋り付くような目で智樹を見つめた。

「これまでいいと言ってくれた方はいないのです」

「そりゃそうだ」

 幽霊の効能、悪寒、発熱、風邪の初期症状、プライバシーの侵害。良い事がない。

 けれども中途半端に人がいい智樹には、幽霊はやっぱり困り果てているように見え、そして来月までにこの幽霊が見えて取り憑かせる人間が現れるとは……到底思えなかった。

 智樹は再び溜息をついた。幽霊というのは非常に執念深く、一度目があってしまったら成仏するまでついてくる。つまり結局、取り憑かれたのも同じことだ。

「仕方ないな。時計塔ついたら必ず離れろよ」

「わかりました。本当に、本当にありがとうございます……あの、取り憑くのってどうすればいいんでしょう」

「知るかよ」

 しばらく幽霊は智樹の回りをぷかぷかぐるぐる彷徨っていたけれども上手くいかないようで、仕方なく智樹が腰を下ろせばよいしょと漸く肩車出来た。肩周りがひんやりした。智樹はこれが最近流行ってるネッククーラーだろうかと思い、見えないならファッション的に悪くないんじゃないかと思いつつ、やっぱり何かおかしいと思いながらも時計塔まで向かえば、いつも閉まっている扉が開いていた。

「あれ? 閉まってるんじゃなかったっけ?」

 しゃがんで下ろした幽霊はペコリと頭を下げた。時計塔に入れば、幽霊と同じようにひやりと湿っている。日中は暑いけれども夜になればもう涼しい。この時計塔は閉めきられているから、夜の冷気が残っている。

「どこにあるんだ?」

「わかりません、どこでしょう」

「使えない」

 彷徨く幽霊を眺めても進展しそうにない。

 どうもこの幽霊は手際が悪い。けれどもその分、ここに放り出しても時計塔が壊されるまでオロオロしている未来しか浮かばず、何かヒントがないかと智樹はあたりを見渡した。幽霊の鞄が目に入る。幽霊がさっき言っていたことを思い出す。

「羅針盤、奥さんにもらったんだよね? それで奥さんの手紙がここにあって、羅針盤が指し示すってことだよね?」

「はい」

「もう一回出して」

 幽霊がガサゴソと取り出せば、針に先程のふらつきはなく、ある一点を指し示した。そこには本棚があったけど、本は一冊も入ってはいなかった。

 幽霊は立ち尽くした。

「………どうしましょう」

「知るかよ……」

 けれどもこのままでは幽霊は満足しない。少なくともどうしようもないと悟らせないといけない。そうしないと、きっと諦めもしないのだ。智樹には経験則で、それをなんとなく理解した。智樹が仕方なく、頑張って棚を動かせば裏から一枚の古茶けた紙がするりと舞い落ちた。

「開けて頂けませんか?」

「……幽霊は非物理だもんね」


-あなた、居留区教会で待ってます。


 古びた封筒からでてきた手紙には、それだけしか書いてなかった。

「お使いゲーかよ」

 けれども智樹の手元を覗き込んだ幽霊はがばりと智樹を見つめる。けれども智樹にはお手上げだった。なにせこの居留区に教会など見たことがなかったからだ。

「嗚呼。この羅針盤では時間を止められなかったんだ。もう妻とは会えないんだぁ」

 幽霊はうおんうおんと鬱陶しく泣き始めた。智樹はそもそも死んでるなら普通会えないだろうと呟く。

「余計鬱陶しくなっただけじゃないか」

 智樹はせめて確認をと思い、幽霊を再び肩車して居留区観光協会に向かう。

「教会でしたら辻切つじきヒルズに移築されました」

 案内嬢のその言葉に、希望が繋がってしまった。そして面倒が継続してしまったことを悟り、智樹は溜息をつく。

「仕方がない、俺の家も辻切ヒルズだからさ、行ってやるよ」

「本当ですか!」

「あんたどうせ、憑いてくるんだろ?」

 居留区の大階段を降りる時、智樹は空を見上げた。入道雲から散らばるように、うろこ雲が茜色がかった空に流れていた。ここのところ、日が落ちるのが随分早くなっている。気がつけば風が随分と涼しくなっていた。肩に乗せた幽霊の冷たさはオーバーキルだ。


 結局幽霊を肩車したまま電車に乗り、頭から降ってくる如何に妻を愛しているかから始まる身の上話に食傷しながら1時間かけて教会まで辿り着いた時、智樹はぐったりと疲れていた。どうやら幽霊は外国から来た商人で、丁度入港した日に奥さんに会えないまま大津波が起きて亡くなったらしい。

 それはそれで可哀想だと智樹は思ったが、妙に体が重く、疲れが累積していて眠くなっていた。幽霊に取り憑かれてるからに違いないと思い直し、取り憑かれるとは肩車なのだろうかと疑問に思う。

 けれどもここまできたんだからと、智樹はヒルズの奥の新地教会まで辿り着くころにはすっかり気温は下がっていて、首筋は凍えるように寒かった。

「ここに本当にいるのかな。そもそも移築たらいないんじゃないの?」

 そう呟く智樹の声は、幽霊にはすっかり聞こえていなかった。何故なら智樹が幽霊を肩車にのせて新地教会の扉を開いた時、幽霊の光が眩しく輝いたからだ。

「幽霊の光……? 光って幽霊になるんだ。蛍の霊とかかな」

 智樹の幽霊が見える目には、真っ暗な新地教会と、激しく明滅する幽霊の謎の光と、たくさんの幽霊が見えていた。気が遠くなった。

「あなた! 教会の場所が変わったから、もう二度と会えないかと思いました!」

「お前! 何年ぶりだろう!」

「まさか探しに来てくれるなんて!」

 目の前で幽霊とドレスを着た幽霊の女が包容しあっている。智樹はなんとなく、シェイクスピア系列の映画みたいだなと思った。

「彼は奥さんとは本国でも結婚式をあげていなくてね。駆け落ちのようにこの国に逃げてきたんだ」

「そうですか」

 いつのまにか智樹の隣にいた初老の紳士的なヒゲモジャの霊が感慨深げに呟いた。サプライズ結婚式らしく、智樹が感動に咽び泣く幽霊と、それを温かく迎えるドレスの奥方と多くの参列霊を眺め、感動的な光景を後目に踵を返せば、ヒゲモジャの霊に是非結婚式に参加して欲しいと引き止められた。

 こいつらは全て霊なのだ。つまり、満足しないとついてくる。智樹は諦めた。

 小さな音がして、見上げれば丁度、神津湾の方角から今年最後の花火が打ち上がり、教会の窓を綺麗に染めた。

 そんなわけで智樹は朝まで騒がしい霊に囲まれ、翌朝風邪をひいた。それは寝不足のせいかも、霊障かもしれない。


Fin

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