職場の花

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職場の花

 由美は入社したての新人。その教育を任された由香里はお局さまと呼ばれるにはまだ少し早い。しかし、由香里は上司の信頼は厚く、後輩や部下達にはパワハラギリギリにとても厳しい。

 由美は由香里にとって頭痛の種だった。何をさせても満足にこなせない。一通りのことは出来そうにみえるが、そこにはトラップのように必ずミスがある。それを指摘し叱咤すると、すぐ泣く。見た目は可愛らしく男性社員から人気な故に、周囲は彼女に甘い。そんな由美を見ているとストレスでしかない。

――結局、男は女を内容で評価してくれない――

 由美ののような娘はすぐに相手を見つけて、というよりも男性が放っておかないのですぐに寿退社するだろう。

そんなことを思うと、仕事はそれなりにできる自分は簡単に辞められない。責任感は大きくなるのだった。



 一方、由美は由香里のパワハラは自分が招いた事と自責の念に駆られている。いくら男性社員は自分に激甘でも、同性、特に自分が一番評価してほしい人物から全く評価されないのは由美にとってもストレスなのだ。しかし、自分の注意力の無さには幻滅してしまう。同じミスを何度も繰り返す。学生時代はこんなことなかった……筈。


「由美ちゃん、またこの部分間違えてる」

「申し訳ありません」

「一度や二度ならまだしも毎回こうだと貴女の査定表をどうつけて良いかわからないのよ。」

「申し訳……ありません」

由美は目にナミダを溜めて由香里に謝ろうと頭を下げた。それを見ると由香里は周囲の目あるだろう。

「いいわ、私が直しておくから」となる。本当は出来るまで由美に直させるべきなのはわかっているが、前に泣きながら書類を自分のデスクに持ち帰り直す由美に他の社員たちがアドバイスする姿を見て、つい感情が昂り怒鳴り上げたことがあった。これには普段黙っていた上司も割って入り、由香里をなだめた。それ以来、強くは言えない。再度そんなことがあれば、仕事のミスではないのに、パワハラということで免責にされる可能性が高い。下手すれば免職だってありえるのだ。


 由香里の同僚、美也子が由香里に声をかけた。

「たまにはみんなで飲みに行かない。コロナ以降こういうことなかったじゃない」

美也子の提案に、

「そうね……でも若い子達、乗ってくれるかしら」と由香里は懸念を表した。

「大丈夫よ。全く飲めない梶原くんも行くって言ってるし、由美ちゃんお酒大好きなんだって」

「へぇ、由美ちゃん意外ね。まあ、ああいう娘に限って遊ぶことが好きだったりするかもね」

率直にそんなことを思って口にした。

「まあまあ、そんなこと言わない。今夜は無礼講よ」美也子がなだめると、

「別にそういうつもりでいったわけじゃないのよ」と弁解した。


「若人との親睦に乾杯」と男性同僚が乾杯の音頭を取った。それに皆が続いた。今夜の飲み会の参加は全員で10人、男6人の女4人。皆がそれぞれ仕事、恋愛、趣味の話に花を咲かせながらアルコールを身体に湿らせてゆく。

「由香里さん……」由美がビール瓶を持って恐る恐る由香里に近づいだ。

「由美ちゃん、お疲れ様」由香里がそう言うと、由美は、

「いつも申し訳ありません」と謝って空になる寸前の由香里のコップにビールを継いだ。

「ありがとう。今日は気にしないで。たくさん飲んで忘れましょうよ」と由美の気遣いを労った。普段このくらいのおおらかさがあればもしかしたら由美ももう少し仕事ができるかも知れない。ふとそんなことを思うと、

「ごめんね、つい辛く当たっちゃって」

と謝った。その言葉を聞いたのか、由美は泣き出し、「ごめんなさい」と何度も由香里に謝罪を繰り返した。

「由香里、また由美ちゃん泣かせてる」

美也子から野次が飛んだ。

「もう、そうじゃないって」由香里が慌てふためき弁解すると、

「そうです、私が悪いんです」と由美は由香里にしがみついた。

抱きついた由美は甘い香りが漂った。


「二次会はカラオケ行きます」と、酔っ払った由美はすでに出来上がっていた。由香里の介助がないと満足に立っていられない。

「みんなは二次会行ってよ。私、由美ちゃんをなんとかするから」

「仕事終わっても部下の世話焼きとは美しい師弟愛」と、誰かが言った。

「もう、茶化さないでよ」

「いいの、由香里は」美也子が気を遣うと、

「大丈夫よ。この辺だったら私のマンション近いし」

「そう、じゃあお言葉に甘えて二次会行くわ」と美也子が声を弾ませた。

「……やれやれ」

由香里はタクシーを拾うと由美をまず押し込めて、運転手に自分のマンションの住所を案内した。

「由香里さん……」由美はタクシーに乗っている間ずっと由香里の首に腕を回ししっかりと抱きついていた。由香里の右腕には由美の豊満な胸がしっかりと密着していた。


 由香里は由美を抱えながら、なんとか自宅へたどり着いた。由美はほぼ寝ている。呑気なものだ。ベッドへ寝かすと自分はキッチンへ行き、水を飲んだ。今日はすっかり由美に当てられた。由香里は部屋着に着替えメイクを落とすとベッドで横たわる由美の様子を見た。

なんとも可愛らしい寝息を立てて寝ている。まるで子猫のようだ。ドジで何処か抜けているが、それもこの娘の愛嬌なのかも知れない。そう思うと急に愛おしく思え、今まで小さいことに苛ついていた自分が小さく思えた。何かと仕事の悪いことは由美のせいにしていた。それを深く反省した。

「かわいい……」思わず声に出た。

「……ゆかりさん……ごめんなさい……」由美は夢でも見ているのだろうか、由香里に謝っていた。夢の中でも失敗しているのかも知れない。由香里は由美の髪の毛を撫で、指先でそっと頬をさすった。由香里の身体が欲情の炎で灯った。

 由美が寝返りを打ち、由香里に背中を向けた。ベッドに隙間ができると、由香里はそこへ潜りこみ、由美に抱きつくように密着し由美の長い髪の毛に顔を埋めた。一日以上経過しても仄かなシャンプーの香りが残っていたが、由美の体臭も匂い甘いバターのような乳製品の香りがした。その匂いに強くほだされ由香里は自分を慰めた。女性を、しかも自分の部下をにして一瞬はげしく燃え上がり、線香花火が熱い玉を強く光らせてとぼれるように果てた。由香里はそのまま由美と寝た。彼女に気取られないように絶対に早く起床することを誓って。


 由美が起きると、そこは全く記憶に覚えが無い部屋だった。自分と違うシャンプーやソープの香り、他人の家の匂い……しかし、はじめて嗅ぐ匂いじゃない。よく知ってる匂いだ。「何処……」ベッドの中で愚図っていると、昨夜の自分を思い出そうと頑張った。いや、思い出せない。途中から全く記憶が飛んでいる。起き上がると、“誰かにお持ち帰りされた“と慌てたが、どう見てもこの部屋は女性の部屋だ。恐る恐る立ち上がり、隣の部屋のドアをゆっくり開けた。

「おはよう。起きた」由香里だった。もこもこの大きめのパーカーをざっくり着た、職場では絶対に見ることができないすっぴんの顔。凛としながらもいつも苛ついているように見える眉間のシワ……そんなものは何処かへしまい込んでいるのか、さてそれは演技だったのか、目の前にいる由香里はとても穏やかな顔をしていた。

「あれだけ飲んだけど、二日酔いは大丈夫」

しかもとんでもなく優しい。

「はい。大丈夫です。おはようございます」いつも職場での固い口調になってしまった。

「由香里さんが私を……」

「そうよ、大変だったんだから。由美ちゃんとっても酔っ払って」

「すみません、全く覚えていなくって」

「いいのよ、昨夜は無礼講だったもの。少しは眠れた」

「はい、お陰様で」

「それは良かった。朝食、食べられるかな、その前にお風呂湧いているから入ってきて」

「ありがとうございます。ええと、言葉に甘えて失礼します」

「そんな改まらなくて良いのよ。洗濯機の上にタオルと着るもの用意してあるわ。今日はお休みだからゆっくりして行って」と、由香里は微笑んだ。

由美は、優しい由香里に調子が狂った。

 由香里の自宅はどこもかしこも綺麗に整理されていた。由美はあまりキョロキョロ見ないようにしたが、それでも気になって彼方此方あちこち見てしまう。仕事ができる女は総じて家では干物という勝手な先入観が由香里の前だと崩れさた。

――由香里さんはどこでも由香里さんなんだ――

裏表がないわけではなく、オンオフがしっかりはっきりしているのだろう。職場の由香里は糊をしたスーツを着こなしたOLだが、部屋はガーリーな装飾に飾られて女子の顔を覗かせる。由美はそう考えるとその差に胸が締め付けられる想いになった。

「もし洗濯物あるなら、洗濯機の中に入れておいて」

由香里の声が遠くでした。

「あ、ありがとうございます。大丈夫です」

慌てて返事を返したが、大丈夫ではない。

由美は洗面所兼脱衣所で服を脱いで自分の下着を確認すると、

――やだ、私、濡れてる……由香里さんの家で……

激しい嫌悪感に苛まれた。慌ててシャワーを浴びて昨日の汚れとを落とした。由香里と同じシャンプーやソープを使う事にも変な気持ちにさせた。その度由美は煩悩を追い払うように無心で身体を洗い、湯船に浸かって清めた。とは言うものの清められない。由香里で欲情しているのに、ここには由香里の物しかないのだ。

 部屋や洗面所には男の影は見当たらなかった。それも由美の煩悩を激しくくすぐったのだ。風呂から上がると、四隅を綺麗に畳まれたタオルの匂いを嗅いだ。洗剤と柔軟剤の香り、普段由香里から漂う香りだ。由美は思わず指を自分の秘処へ這わし濡れ具合、しっかりと湿っているのを確認した。

――このまま由香里さんの家に居れば、私おかしくなる――

早く帰ろう。いつまでも他人の家、しかも会社の上司の家で婬蕩に更けるわけにもいかないと意志を強く持って服を着た。

「すみません、長湯しちゃって」と謝ると、

「いいのよ、そのために沸かしたんだから。私も後で浸かるわ」と由香里は返した。由美が浸かった湯船に由香里が入る。気持ちが動転した。

――変なもの浮いてないかしら――

精一杯「ありがとうございました」と礼を言った。

「気にしないで、ささ、朝食出来たわ。食べましょう」

ご飯に味噌汁、ハムエッグ。定番だがどれも美味しそうに盛り付けてあった。事実、美味しかった。由美はきちんと朝食食べたのは実家に居る時以来だったので、それも手伝って感動をした。同時に由香里と結婚する相手はとても幸せだろうと想像して、自分が男ではない事に若干無念に思った。そもそも今まで自分の性別など考えたことはなかったのだが、このときばかりはそう思った。そして同時に職場の上司や先輩のプライベートを知ってしまった事に後悔もした。もしかしたらこれは知らないほうが良かったのかも知れないと。幻滅したわけではない。幻滅どころか由香里への好感度は上がるばかりだ。しかし、これ以上知って何になるだろう。由香里とはになれるわけではない……いくら世の中の価値観が変化しても、相手がいることなのだ、と。

そんなことを思うと急につまらなくなってしまった。

「どうかした」由香里が由美に何か察して訊いた。

「いえ……由香里さん、完璧で尊いです。なんで結婚しないかなって思って……」

由美はつい訊いてはいけないことを話したことにハッとして、

「すみません」と謝った。すると由香里は嫌な顔せずに、

「いいの。慣れっこだから気にしてないわ。そうね、私、仕事も家事も両立できるんだけどね。世の男はそういうふうに見てくれないのよ」と笑った。

「そうですか……そういうものなんですね……」由美にとって、その返事は光明の光にも思えたが、男たちの由香里への評価が低い事に憤りを感じてまた少し落ち込んだ。由香里には幸せになって欲しいと思った。

「由美ちゃんには彼氏いないの」

「私、社会人になってから、というかコロナもあったしそういう出会いが無くて……」

「そっか、会社で気になる人とかいないの。知ってる男子なら繋いであげることがてきるかも」と由香里はキューピット役に乗った。

「それがいなくって……」いないわけじゃない。居るのだ。目の前に。素直にそれを言えたらどんなに楽だろう。しかし振られたら、いや振られるだろう……そうしたら明日から由香里に合わす顔がない。やるせない想いが募る。由美はご飯をかきこんだ。


 由美は慌てて変える準備をすると、「ゆっくりしていけば良いのに……」と由香里が引き止めた。

「由香里さんになんだか悪くって……」と言うと、

「私のこと、嫌い」と由香里は不安そうに由美に伺った。

「い、いえ……そう言うんじゃなくって……私、いつも怒られてばかりだから、てっきり嫌われているのかと……」

すると由香里は、

「ごめんなさい……つい、辛く当たってしまって……」と言い訳した。

「私がドジだから……由香里さんが怒るの気持ちもわかります。私、もっとしっかりしていれば」由美はそう言うと、いつものように泣き声になった。由香里は由美の側に寄ると優しく抱きしめた。由美は由香里に身体を預けた。

「由香里さん……」

由美は顔を由香里に近づけると、由香里は由美の口元に自分の唇を近づけた。お互いの吐息が顔に当たり、その距離が縮まると、しっとりと肌が湿り気を帯びた。

「好き……」

どちらでもなく言葉が唇から漏れると、次の言葉を掻き消すようにお互いの唇を唇で塞ぎ、ふたりの両手は身体を弄った。

 リビングのテーブルからソファー、そしてベッドへ二人は移動する度、服を脱いでいった。そして互い裸体を称え合い愛撫した。はじめてなのにも関わらず、ずっと前から知っているかのように求め合った。由香里は積極的に由美を求め、いつもの立場が逆転するように由美は応じた。

「こんなに良いなんて……癖になりそう」由香里は顔を朱色に上気させて言った。

由美は、「由香里さん……私もはじめてなのに」と目を合わせ、

「でも、私、由香里さんには幸せになってほしくて……」と続けた。

「今は由美ちゃんのことだけ……お願い」と由香里は由美の言葉を遮りるように言うと、これ以上何も言わせまいと唇を重ねた。由香里は今だけは目の前の由美だけのことを考えようとしたのだ。相手が男でなくてもこんなにも悦楽に浸れる瞬間があり、尚且つ由美の肢体はとても美しくいつまでも愛撫していたかった。由美もしなやかな身体付きをした由香里をもっと責めたいと思った。二人の利害は完璧なまでに一致していていた。

 

「さっきは何を言おうとしたの」由香里は由美に尋ねた。由美は由香里の胸元に頭を置いて上目遣いで由香里の顔を覗くと、

「由香里さんって職場じゃ強くてテキパキした女性ですけど、本当は凄く女子だから、男の人はみんな勘違いしてるんです。」

「どういうこと」由香里は聞き返した。由美は何かまずいことを言ったのかと焦ったので、少し言い方を変えた。

「こんなに家庭的で、女性らしくてきっと結婚する男性は幸せだろうなって思ったんです」

「あんまり考えたことなかったわ、結婚なんて。結婚だけが人生じゃないから」と言った。

「そういうものなんですか」由美は訊くと、

「わからないわ。結婚したことないし、そういう男性もいないし。由美ちゃんこそ、早く結婚しそうよね」

由美はそう言う由香里に抱きついた。



 由香里と由美の身体の関係はその日だけになった。一緒に食事したり、オフの日には買い物に行ったりしたが、不思議と身体で触れ合うことはしなかった。互いにあの日で充分満足したのかもしれないし、同性で触れ合ってしまったことに多少なりとも後ろめたさがあったのかもしれない。それをどちらからも口にすることはしなかった。

 その後、不思議なことに由美は仕事のミスは減った。全くなくなった訳では無いが、由香里は注意することが減った。そんな由香里も優しくなったのか、周囲から“丸くなった”と云われるようなり、取引先会社の男性社員と交際するようになった。

「こんな話、由美ちゃんが最初だからね」と言って、一番最初にその交際を報告をした。それを聞いた由美は素直に喜んだ。

そして、程なくして由香里はその男性と間に子供を宿し、結婚して退職した。


 それから何年か経過した。

「すみません、すみません。昨日と同じミスを繰り返して。私、きっと向いていないんです」

まだあどけなさが残る若い女子社員は半べそで頭を何回も下げて謝っている。

「由美ちゃん、お手柔らかにね」お局様として年季が入った美也子が口を出した。

「美也子さん、茶化さないでくださいよ」由美は困った顔でそう言うと、新人に向かって

「私もあなたと同じだったわ。毎日毎日同じミスを繰り返しては上司に叱られて。その度泣いて、ね。皆が通るのよ。ミスは気にしても怒られることを気に病まないでね」と由美は慰めた。

かつて、由香里が座っていたデスクには由美が座っている。

職場の百合は次の世代に引継がれ花を咲かせている。


職場の花 おわり

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