オペレーション「ぬらりひょん」

 その後の展開は、あたしが想像していたよりもはるかに穏やかだった。

 番組の早送りを見ているようなスピードで部屋の中が片づけられ、あれよあれよという間に人の住処と呼んでも差し支えない状況が出来上がってゆく。


 出された紅茶を飲んで……あ、これ玄米茶だ。

 マレ公め、なかなか私の好みをわかってやがる。

 これで醤油味の煎餅でも出てきたら完璧だわね。


 そんな感想を抱きつつティーカップをテーブルに戻すと、突然男性の悲鳴が聞こえてきた。


 何事?

 見れば、ダークスーツの老紳士が公の部下に引きずられて部屋の外に移動中である。

 その手には、まだインクの香りも新しい一枚の書面。


 たぶん彼はホテルの支配人か何かで、手にしているのは部屋の被害の一覧だろう。

 あたしは思わずその場面から目をそらし、ティーカップに入った玄米茶をすすった。


「それで、僕から何を聞き出したいんだい?」


 突然マレ公から切り出された言葉に、思わずあたしはせそうになる。


「……ただお話をしたかっただけですよ?」


 すんでのところで咳をこらえ、喉の奥から心にもない台詞を絞り出した。

 むろんそんな言葉で奴が満足するはずもなく、ニャリとネバつく笑みを浮かべ、奴はテーブルに肘をついた。

 ……私の顔を下から覗き込むのはほんとやめてほしいんだけど。


「嫌だなぁ、そんな警戒心剥き出しの目であからさまに隠し事しないでよ。

 君のすべてを暴いてしまいたくなるじゃないか」


 全身に鳥肌が立つなんてレベルではない。

 もはや電気ショック並みの怖気おぞけが走った。

 悲鳴を上げなかったのは、たぶん褒められてもいいと思う。


「気のせいです」


「ふふふ、そんなツレないところも素敵だよ、ドーラちゃん」


 そんなセリフと共に手に伸びた指を、あたしは反射的に振り払った。

 どうやら黙っていると次々にセクハラをしてくるようである。

 しょうがないから、何か話題を振るか。


「じゃあ、せっかくですので質問させていただきますね?

 何が目的でこの国に忍び込んだんですか?」


「うわぉ、大胆!

 僕に向かって、そこまで率直な質問をするのは、君とマウロ君ぐらいのものだよ」


 目を見開いて驚いたような顔を作るが、奴の持つ雰囲気の何かが笑っていない。

 むしろくちを開いて毒牙をむき出しにされているような錯覚を受ける。

 いつ噛みついてくるかと、こちらはヒヤヒヤものだ。


「でも、僕が正直に答えるとは思ってないよね?」


「ええ。 ですので、こんな物をお持ちしました」


 ……というわけで、マウロと一緒に考えた「対マレ公秘密兵器」の登場である。


「卓球のラケット?」


「ええ。

 勝った方が一つ質問し、負けたほうが正直に答えるというのはいかがでしょう?」


 そんな提案をすると、マレ公の唇が吊り上がる。


「いいねぇ。

 でも、ボクけっこう強いよ?」


「そうでしょうね。

 弱いものイジメは騎士道に反しますから、とても助かります」


「じゃあ、卓球をする場所を整えようか。

 君たち、早く準備して」


 マレ公、パンパンと手を叩く。

 すると、配下の者たちが動いて卓球台を準備した。

 けど……これはダメね。


「こちらも手の者を呼びますね。

 私たちのお遊びで壁に穴を開けたくありませんから、プラーナで補強します」


 さもないと、ホテルの建物自体が地図から消えることになる。

 なにせ、遊ぶのがあたしとマレ公だもんね。


 たぶんマレ公の配下もそこそこプラーナを使う事は出来るのだろうけど、見た限り彼らでは私たちの卓球を支えきることはできない。


「それはありがたい!

 無駄遣いは僕のとても嫌いなものの一つだからね」


 私が手を叩くと、合図を待っていた騎士たちが整然と列を作って部屋に入ってくる。

 彼らはあたしの言葉を待つまでもなく配置につき、プラーナを開放して部屋と卓球台の保護フィールドを展開した。


 ……そしてプラーナを維持したまま、こそこそと隣の部屋に隠れる。

 あ、あいつら自分たちのいる部屋の扉と壁に念入りにシールド張りやがった!


 君ら、そんなに流れ弾が怖いの!?

 まったく、騎士ともあろうものが情けない。


「じゃあ、始めようか。

 サーブ権は僕が貰うよ」


 そんなマレ公の言葉と共に、ゲーム開始。

 緑の光を纏いながら、ピンポン玉がライフル弾のスピードで打ち込まれてくる!


 ギチュンって何よ!

 卓球の音じゃないでしょ!!


「ふふふ、たまにはこういうのも楽しいねぇ。

 ちなみに、ドーラちゃんは僕に何を聞きたかったのかな?

 先にそれだけ教えてよ」


 悠長な台詞を吐いてはいるが、その間も破壊の化身と化したピンポン玉があたしたちの間を飛び交っている。

 あまりのスピードに、卓球台のそこかしこで摩擦熱による煙がたなびいていた。


 今のところ順調にラリーは続いており、流れ弾が壁や窓を破壊することはない。

 そう、ラリーはとても順調に続いているのだ。

 

「……何も」


 私の言葉に、一瞬マレ公の反応が遅れた。

 かなりきわどい体勢で打ち返したものの、大きくバランスを崩す。


 そして返ってきた甘い球を、私はわざとスピードを殺し、奴が返しやすいように打ち返した。


「それ、どういう意味?

 ドーラちゃんがこういう腹芸の類が苦手なのは知っているけど、まさかの無策?」

 

 マレ公の目に、こちらを探るような気配が混じる。

 けど、残念でした。

 私には、ほぼ何もないのよ。

 そう、私にはね!


「あたしがお前より優れているところを、あたしは2つ知っているわ。

 一つはこの美貌」


「悔しいけどそれは事実だねぇ。

 僕の魅力は君と全く違う方向だから、比べるほうが間違っているけど」


 そう、私もマレ公も、見た目だけはとても良いのだ。

 中身はお世辞にも美しいと言えないけどね!


「ちなみに、もう一つはね。

 ……孤独じゃないと言う事よ」


 その瞬間、マレ公の顔が嫉妬にゆがんだ。

 マウロの曰はく、彼は策謀家であるがゆえに救いようのない弱点を抱えている。


 それは……人を信じることができないと言う事。

 そして人から信じてもらえないと言う事。


 これは自分が策謀に長けている者がかならず抱えざるをえない、深い深い業であり、心の闇だ。


「なるほど、ドーラちゃんの言う通りだ。

 そしてマウロ君の狙いも読めたよ。

 ……時間だね?」


 さすがマレ公。

 どういう理屈かわからないけど、これだけの会話でこちらの手を読みやがったか。


「そうよ。

 私がここであなたの自由を奪う限り、マウロたちは貴方におびえないで動くことが出来る」


 名付けて、オペレーション【ぬらりひょん】。

 忙しい時にやってきて、客の面をして茶をすする邪魔者。

 そんな妖怪の名にちなんだ作戦名である。


「なんて酷い作戦だ!

 僕の心をもてあそぶなんて、君は鬼かい!?」


「天下の蛇蝎竜アジ・ダカーハにそこまで言われるなんて光栄だわ!

 でも、あたしはただの……女オークよ!」


 ズドォン……あたしの台詞と共に、あたしの撃ち返した球が騎士たちの隠れている壁にぶつかった。

 よしよし、壁紙は傷ついてないわね?

 そのまましっかりとお仕事してなさい。


「はい、まずはあたしが1点先取ね」


「ぷっ……くくく……くはははははははははは!!」


 にっこり笑ってそう宣言すると、なぜかマレ公は肩を震わせて大笑いを始めた。


「なるほど、これは見事に出しぬかれちゃったねぇ。

 ドラーちゃんと卓球している間は、さすがに僕も悪い事を考える余裕はないよ」


 たかが卓球を楽しむ程度の時間で何が出来るか……なんて事を彼は言わない。

 なにせ、彼自身がその短時間で致命的な一撃を準備できるからだ。


 そして自分が出来る事を、他人が出来ないとは思わない。

 ふざけた態度をとりがちなマレ公だが、決してこちらを過小評価はしてくれないのだ。


「悪いけど、この勝負はここまでにしよう。

 もちろん君の勝ちでいいよ。

 マウロ君にこれ以上自由な時間を与えるぐらいなら、君の質問に一つ答えるほうがはるかにマシだ」


 そう言って、彼はラケットを台に放り投げた。

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