掌編小説(コント)・『理想の苗字』

夢美瑠瑠

掌編小説(コント)・『理想の苗字』

(これは2019年の「苗字制定記念日」にアメブロに投稿したものです)


                    掌編 小説(コント)・『理想の苗字』



 法律が改正されて、誰でも好きな苗字が名乗れるようになった。ありふれた、平凡な苗字の人たちは、これを歓迎する、という空気だった。みんな辞書を紐解いて、カッコいい苗字というのを渉猟した。

「山田」で一生を送るよりは、例えば、「魍魎」という苗字のほうが、いい感じがする。

「山田」だとなんだか存在自体を侮辱されているような感じがする。

 オリジナルな、ユニークで芸術的な苗字を作ることが、ブームになった。

 般若心経の、「波羅」とか、「蜜多」とかは、有難いニュアンスがあるので人気だった。

「沙羅双樹」とか、「曼荼羅」とか、そういう故事来歴のある言葉も、自分を由緒正しい存在にできる感じがするので、よく使われた。

 あまり複雑な漢字だと書くのに苦労するので、私は苗字とかは「一」でいい、という人もいた。

「一太郎」、これだとパソコンのソフトみたいですが、ややこしいことの嫌いな人だと、楽でいいのかもしれない。


 変わった苗字というのは無数にあるみたいですが、凝った苗字が初めからついている人は、伝統というか、先祖の血脈を大事に戴いて、そのままにするケースもあった。

「小鳥遊」とか、「武者小路」とかは、非常に珍しくて格式も高い感じなので、別にそのままでも、痛痒を感じなかった。漢字とかをいくら凝って使ってもそれはただなので、自分のアイデンティティーを表現できる名前にしたいというのはむしろ当然の願望かもしれなかった。


「おれは名前を決めたよ。『毘沙門天』というのだ。縁起がよさそうだろ?書くのは多少面倒だが、こんな苗字はちょっと他になくて、至極立派だろう?出世せずにいられないような苗字だ」

「今までは「安井」だったものね。ちょっと出世しそうにない感じ。大体が恣意的に名前を決められるっていうのがちょっと不条理な感じよね。名前が原因でいじめられたりさ、愚の骨頂よね。何でもドンドン合理的に変えていかないとね」

「悪魔っていう名前を付けようっていう人がいて問題になったけど、いっそ「大魔王」にでもしたらどうかね。「閻魔大王」とかな。何だか、無意味な語句の羅列が自分の名前とか、なんだか変な感じが付きまとうよな・・・」


 そうしておれは、「毘沙門天大慈」という名前を、市役所に届け出た。

 画数も字面も最高にいい名前に仕上げたのだ。芸名みたいだが、本名がこういういい名前だと、本当に運勢もぐんぐん上がるかもしれない。

 新しい世の中を本当に寿ぎたい気分になって、おれはウキウキしていたのだ。

 

 が、しかし、理想と現実にはやはり懸隔がある。

 その次の日に、本当の毘沙門天の幽霊が夢枕に立って,「おれの名前を名乗るなら、ライセンス料を払え。500万円で許してやる。さもなくば末代まで祟ってやるぞ!」と、すごい顔で脅してきた。

 おれなどが神様を僭称するなど身の程知らずにもほどがあったのだ。

 おれは震えあがって、また元の「安井三郎」に戻した。


 そうしておれはずっと安サラリーマンのままである。

 おれは悪法改正のために、いっそもう名前などと言うものがなければいいのにというような可哀想なPTSD患者になってしまったのだ。


(了)

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