第45話 不審者

「さあ、帰るわよ」

 看護婦さんが言った。

「え~、もう?」

 私たちは思わず声を上げる。お昼が終わり、またみんなで遊んでいると、気づけば午後三時を回っていた。楽しい時間はあっという間に過ぎていってしまう。それはここでも例外ではなかった。

「さっ、支度して」

「・・・」

 正直、帰りたくなかった。小さな子どもの頃に遊んでいた時のようで、すごく楽しい時間だった。

「帰りたくな~い」

 真紀が叫ぶ。

「子どもみたいなこと言ってないで、さっ、帰るわよ」

 看護婦さんは慣れた様子で、子どもをあやすように言う。

「早くしないと日が暮れちゃうわ」

「うううっ」

 私たちは唸ったが、しょうがない。

「日が暮れたら山道なんて真っ暗よ」

「・・・」

 渋々私たちは帰り支度を始めた。最初に聞いた時は全然魅力を感じなかった遠足だったが、想像以上に楽しいものだった。


「ふぅ~、やっと帰って来た」

 朝上った道をそのまま戻り、私たちはまた元の病院に帰って来た。

 帰りは下りだったが、しかし、やはり、私の足は生まれたての小鹿のようにガクガクになっていた。やはり、慢性的な運動不足の私の肉体には、この山の上り下りは、相当に過酷だったらしい。

「あれっ?」

 私は辺りを見回す。美由香たちと一番後ろを歩き、病院前でまごまごしていたら、気づけば私一人になっていた。

「・・・」

 みんな先に病院に入って行ってしまったらしい。私も慌てて病院に入ろうとする。だが、入口の前に立っても、自動ドアが開かない。ロックがかかってしまっているらしい。外来の方に回ってみるが、やはり、今日は、祝日で、外来も開いていない。

「困った・・」

 私は一人病院の外に取り残され、その外周を回った。しかし、入れるところはなく、ガラス窓から中を覗くが看護師の姿も見えない。

「どうしよう・・」

 私は一人完全に外に取り残されてしまった。出たいと思った時に出れないのがこの病院だが、しかし、いざ入れないとなるとそれはそれで困る。

「やばいかも・・」

 私は不安になってきた。辺りはもう薄暗くなってきている。

「・・・」

 大体私はいつもこうだ。学校でも一人どんくさく、集団行動について行けず、いつもちぐはぐで、みんなと行動がワンテンポ遅れて、いつもみんなに迷惑をかけるか、自滅している。そんな私の気質はここでも見事にそうだった。

「どうしよう・・」

 しかし、成す術がなかった。携帯も持っていないし、周囲には誰もいない。しかもここは山の中だ。私は途方に暮れた。

「ん?」

 その時、ふと、外来入り口付近に、なにやら、人がいるのに気づいた。

「誰だ?」

 それは、見事な中年太りの男の人で、酷く薄汚いかっこうをしている。髪の毛も酷い天パに、ぼさぼさ頭で無精ひげも生えている。挙動も不審で、病院内を伺うようにうろうろとしていて、その姿は見るからにあやし気だった。

「えっ」

 すると、その怪しげなおじさんがふとこちらを見た。

「わっ」 

 その瞬間、思いっきりそのおじさんと目が合ってしまった。

「あっ、君、ここの患者さん?」

 そして、そのおじさんは、私の方に近寄って来た。

「えっ、いや、あの・・」

 私は驚く。

「ちょっと訊きたいんだけど、こっちにも建物がありますよね。この建物の入り口はどこですか」

 おじさんは北館を指差している。

「いや・・」

 私は逃げようと思った。どう見ても絶対にかかわってはいけない人だった。

「ここの患者さんですよね?」

 その男の人は再度訊いてくる。

「ち、違います」

 誰がどう見ても人気のないこんな山奥の病院の前でうろつく私は、ここの患者なのだが、私はあからさまな嘘をつき、慌ててその男性から逃げるようにもう一度、病院の裏手に回った。

「えっ?」

 しかし、その男は私についてくる。

「すみません、あの・・」

 そして、声をかけてくる。

「わわっ」 

 私は心底怖くなった。歩く足を速め、速足で私は必死でどこか開いている入口を探す。しかし、男も速足でついてくる。

「わわっ、何でついて来るの」

 私は焦る。

「やばい」

 しかし、病院の入口はどこも閉まっている。私は本気で怖かった。

「どうしようどうしよう」

 私は焦るが、やはり、どこも開いていない。窓すらがっちりと閉まり切っている。さすが精神病院だった。

 そして、男が迫って来た。

「わああっ」

 私は、とうとう恐怖で固まり動けなくなった。

「もうダメだ」

 私は固く目をつぶった。

「何やってんだよ」

 その時、私の前方の非常扉が突然開いた。

「えっ」

 見ると、そこから顔を覗かせたのは美由香だった。

「美由香」

 私は美由香に飛びつかんばかりに、ダッシュし、美由香の開けた入り口から病院内に飛び込んだ。

「どうしたんだよ」

 美由香が私のその慌てた様子に驚く。

「いいから、早く早く」

「何が?」

「早く扉閉めて」

 あの男がもうすぐそこまで迫って来ている。

「早く」

「あ、ああ」 

 やっと、美由香は扉を閉めた。扉を閉めると同時にオートロックが締まるガチャリという音が聞こえた。

「ふぅ~」

 私はホッとした。

「どうしたんだよ」

 美由香が、一人慌てている私を見る。

「うん、なんか変な人に会った」

「変な人?」

「うん、ほらあそこ」

 カーテンの隙間から私は外を指差す。

「ああ、なんだあいつ?」

 美由香も男を見つけた。

「急に声かけられたの。そんで追いかけてくるの」

「やばいなそれは」

「でしょ」

「ああ」

 私たちは、窓からそのおっさんを覗き見た。おっさんはまだその場をうろうろしている。

「通報した方がいいかな」

「まあ、大丈夫だろ。ほっときゃどっか行くよ」

「うん」

「もう晩飯だぜ。行こうぜ」

「うん」

 私たちは自分たちの病棟へと戻って行った。

「・・・」

 しかし、こんな山奥のこの病院の周りで、あの人は一体何をしていたのだろうか。私は気になった。

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