第44話 遠足

「玲子さん」

 玲子さんが、入口から私たちの病棟に入って来た。

「よくなったんですか」

 私と真紀は玲子さんの下に駆け寄る。

「うん」

 にこりと玲子さんは笑う。

「よかった」

 私と、真紀はよろこんだ。

「ごめんね、心配かけて、でも、もう大丈夫よ」

 そう言って、玲子さんはにこりと笑う。私はホッとする。

「・・・」

 でも、どこか変な感じがした。無理をしているというか目が虚ろというか・・。

「大丈夫よ。一時的にちょっと取り乱しただけだから」

 玲子さんは重ねていった。だが、そう言う玲子さんは少しやつれた感じがした。それが、隔離部屋の過酷さ故なのか、病気によるものなのか、それは分からなかった。

「大丈夫よ」

 玲子さんはもう一度言った。真紀はその言葉に喜び、満面の笑顔で玲子さんにまとわりつくように体を寄せる。

「・・・」

 しかし、私は、そんな明るくふるまう玲子さんに、どこか一抹の危うさと不安を感じた・・。


「何?」

 共有スペースのソファに座る美由香が何かチラシを読んでいる。

「何かあるの?」

 私はそのチラシを覗き込む。

「遠足だよ」

「遠足?」

「ああ、裏山だけどな」

「みんなで?」

「そう、この病棟のみんなでな」

「へぇ~、そんなのあるんだ」

 小学校と一緒で、この病院でそういう行事があるらしい。

「いつ?」

「今週の木曜」

「もうすぐじゃん」

 私は全然知らなかった。

「ああ、でも、そこにポスター貼ってただろ」

「えっ?」

 見ると、確かに廊下の掲示板に美由香の持っているチラシを大きくしたポスターが貼ってあった。

「・・・」

 全然見ていなかった・・。

「全員参加なの?」

 私は美由香に向き直る。

「参加は自由だな」

「そうなんだ」

 私はホッとする。

「お前行かないのか」

「えっ、美由香は行くの?」

「当たり前だろ。外に出れるチャンスだぜ。こんな中にずっといたら頭おかしくなっちまう」

「・・・」

 頭がおかしいからここに入ったのだろうと言おうと思ったがやめた。

「そうか・・」

 でも、私はなんだか遠足という気分ではなかった。山歩きもしんどそうだし、なんだか子どもの行事みたいで、気乗りがしなかった。

「玲子お前も行くだろ」

 美由香が玲子さんを見る。

「うん」

「えっ、玲子さんも行くの?」

「うん」

 玲子さんがうなずく。

「私も行くよ」

 その横から、真紀も得意げに言った。

「・・・」

 私も行くことになった・・。


「わあ~、あっ、なんか鳥がいる。なんて鳥だろう」

 木の上に野鳥がいるのが見え、私は大きな声を出す。

「ヒヨドリだろ。あんなのなんにも珍しくないだろ」

 私の隣りで美由香がつっけんどんに言う。

 なんだか子どもみたいで、バカにしていた遠足だったが、一番はしゃいでいるのは私だった。久しぶりの外の空気だったし、自然の中は、想像以上になんか気持ちよかった。子どもの頃以来だった自然の空気感に私は、すっかり魅了され、興奮してしまっていた。そんな私を隣りの美由香は、呆れたように見ている。

「ああ、いい匂い」

 懐かしい匂いだった。子どもの頃、学校の遠足で山に行った時の匂いだった。土と落ち葉と森の入り混じった何とも言えない心地のよい匂い。それが全身を気持ちよくなんとも弛緩させる。

 それに体を動かすことの気持ちよさを、久々に病室の外に出て知った。やっぱり人間外に出て体を動かさなければだめだ。そんな、健康番組の基本のセリフみたいな言葉が頭に浮かんだ。 

「何でこんなに遠いんだよ」

 美由香がキレ気味に言う。

 しかし、病院の遠足の割に、以外に遠い目的地に、みんな本気で疲れ、やっと目的地に着いた時には、みんなヘロヘロになっていた。

「運動不足の人間にどんだけ歩かせんだよ」

 いつも元気な美由香ですら息が上がっている。

「うわぁ~、疲れたぁ~」

 私も肩で息をし、膝に手をつく。山道を三時間以上歩いている。しかも、ほぼ全部上りだった。目的地に着いた頃には私の足の筋肉は疲労でガクガク震えていた。

「はいはい、文句言わない」

 看護婦さんが、手を叩きながらそんな私たちに笑顔で言う。さすがに日々の労働で鍛えられているだけあって、看護婦さんたちは全然疲れた様子がない。

「ほらっ、景色がきれいよ」

 看護婦さんが私たちを励ますように言った。

「えっ」

 私は顔を上げる。

「わあ、こんなとこがあったんだ」

 病院の立っている山の山頂は大きな自然公園になっていた。

「すごい」

 そして、辿り着いた公園の端の頂から見える景色は、壮大だった。

「すごいね」

 隣りの美由香を見る。

「ああ、町が全部見渡せるからな」

 以前に美由香と山から見た町の景色とはまた違って、さらにすごかった。

「・・・」

 私は言葉もなくその景色を見渡す。ここまで登って来た甲斐を感じた。

「それそれ」

「きゃははははっ」

 公園に着いてからは三々五々、みんな自由に過ごす。そんな中、私たちはみんなで真紀を落ち葉に埋めた。小柄な真紀は、すぐに落ち葉に埋もれていく。

「きゃははははっ」

 真紀は思いっきりはしゃぐ。とても楽しそうだ。

「それそれ」

 私も大いにはしゃぐ。こういう原始的な遊びが意外と一番楽しかったりした。

「ふふふっ」

 私の隣りの玲子さんも楽しそうだった。病院にいた時より、とても元気になったような気がした。やっぱり自然には、人を癒す何か不思議な力があるらしい。そんな玲子さんの姿に私はホッとする。

「よかった」 

 私は本当にうれしかった。

「あっ」

「どうしたんだよ」

 美由香が突然声を上げる私を驚いて見る。その時、私はとても重要なことを忘れていたことに気づいた。

「・・・」

 それはとても重大な問題だった。

「どうしたんだよ」

 美由香がもう一度聞く。

「お弁当・・」

 私はお弁当を持ってきていない。

「どうしよう」

 私は美由香を見る。

「それは大丈夫だよ」

 美由香が言った。

「えっ」

「大丈夫よ」

 玲子さんも言った。

「ちゃんと運んで来てくれるのよ」

 ポカンとする私に玲子さんが言った。

「運んでくれる?」

「ああ、ほら、来たわよ」

 玲子さんが公園入口の道路の方を指さす。その先を見ると、そこに一台の軽の白いバンがやって来た。病院の車だった。車体の側面に病院の名前が書かれている。

「あっ、病院から持って来てくれるんだ」

「そう」

 美由香が言った。

「おっ、豚汁つき、意外と豪華だな」

 美由香が言う。お昼は温かい豚汁に、みんな大好き、カツカレーだった。

「なかなか気が利くな。この病院は。精神病院のわりに」

 美由香が言う。

「うま~い」 

 真紀がカレーを一口頬張り叫ぶように言う。

「うん、おいしい」

 私も唸る。外で食べるご飯はおいしかった。山を上った疲労感が空腹を増幅させよりおいしかった。

「うん、うまいうまい」

 私は夢中で食べた。私はこの時、摂食障害のことなど完全に忘れていた。

「でも、病院脱走した時に食べた焼肉と寿司の方がうまかったよな」

 美由香が言った。

「ああ、そうかも」

 確かに、あの時食べたお寿司や焼肉はおいしかった。特にお寿司は絶品だった。それほど遠い昔でもないのに、なんだか懐かしい。

「でも・・」

 でも、気分的には格段にこっちの方がおいしかった。心地よい疲労感と自然の空気、それは、最高に気持ちよかった。

「焼肉に寿司まで食べたのかよ」

 その時、私たちの話を聞いていた朋花が、睨むように私たちを見る。

「ああ、食べたぜ」

 美由香が得意げに言う。

「高級寿司だぜ。高級寿司。なあ」

 美由香は私を見る。

「うん、すんごいおいしかった」

 私も言った。

「うん、おいしかった」

 隣りで真紀も言う。

「何でほんと私を誘わないんだよ」

 朋花は前回の時のように、また自分を誘わなかったことにキレる。

「まだ言ってんのかよ。次は誘うって」

「絶対だぜ」

「ああ、絶対」

 美由香がそう言っても、まだ朋花は不貞腐れていた。しかし、その手に持っているカレーは、カツも乗っていないし、ほとんど手もつけられていなかった。

「おっ、デザートつきか」

 美由香が、車の方を見る。カレーを食べ終わると、今度は丸のままのスイカを豪快にみんなの前で調理のおばちゃんが切ってくれた。

 それをみんな手に取りかぶりつく。

「うまい」

 美由香が唸る。

「おいしい」

 私も言った。

「うん、おいしい」

 真紀も言った。

 思いがけず最高の時間だった。遠足は最高だった。

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