第13話 薬物中毒患者

「ああぁ・・」

 私は、目の前に立つ大男を見上げていた。殺される。私の本能がそう告げていた。私は怖すぎて動くことすらができなかった。ここは精神病院。常識の通用するところではない。その怖さもあった。

「よおっ、美由香ちゃん」

 だが、突然、そのがたいのいい入れ墨男は突然笑顔になると、気さくに美由香に向かって右手を挙げた。

「えっ」

 私は驚いて美由香を見る。

「よおっ、まだいたんだ」

 美由香も気さくに応じている。しかもかなり親しげだ。

「来週退院だ」

「今度は何日持つのかなぁ」

「きついな美由香ちゃんは。はっはっはっはっ」

 男は笑う。

「知り合いなんだ・・」

 私は驚きながら美由香とその男を見つめた。

「お茶でも飲んで行けよ」

 男が言った。

「ああ」

 美由香は気さくに答えると男について歩き出した。

「お茶も飲むの?」

 私は驚くが、結局、真紀がついて行ってしまうので私たちもその背中にくっついていく。

「ここは薬物関係の人が入院してる病棟なのよ」

 玲子さんが私の隣りを歩きながら私に教えてくれた。

「薬物・・」

「アルコール中毒とか、依存症の人たちね」

「・・・」

「ここはほんとにイッちゃってる奴が多いからおもしろいぞ」

 美由香が私たちに振り向いて言った。当事者が隣りにいるというのに、美由香はまったく気にせず無邪気に言う。

「全然おもしろくはないと思うけど・・」

 私は美由香の感覚が理解できなかった。ちらりと、隣りの玲子さんを見るが玲子さんも慣れているのか、淡々としている。

「でも、あの人ヤクザでしょ」

 私が小声で美由香に言った。

「ああ、ヤクザだよ。元だけどな。クスリ関係は、やっぱヤクザ屋さんが多いからな」

 美由香はこともなく言う。

「・・・」

 私にはやはり美由香のその感覚が分からなかった。ヤクザが怖くないのか・・。


「わあ」

 思わず声が出た。元ヤクザの男性と美由香の後ろにくっついて辿り着いた病棟の休憩室の外面は、大きな一面のガラス張りになっていて、山とその向こうの町が一望できた。精神病院らしからず、景色は最高だった。

 私たちは窓際の席に座る。すると、若い女の子が珍しいのかわらわらと、他の患者たちも集まって来て同じテーブルに座りだす。

「おおっ、美由香ちゃん今日は仲間連れか?」

 ちょっと呂律の回っていない太ったおじさんが美由香に首を伸ばす。

「うん」

 やはり、ここでも美由香は顔だった。

「やっぱり、何者?」

 私は隣りの美由香を見る。

「お菓子食べぇ」

 関西弁のおじさんが私たちに、お菓子を差し出す。

「あ、ありがとうございます」

 私はおずおずとそれを受け取る。おせんべいだった。

「コーヒーでいいか」

「ああ」

 さっきのがたいのいい入れ墨の男の人が訊くと、美由香がそれに応える。

「おお、若い子がなんでこんなとこにいるの」

 そこにハードロッカーみたいなロン毛にパーマのおばさんもやって来た。

「お見舞いか?」

 私の顔を覗くように見る。

「あ、いえ・・」

 私は口ごもる。私は入院しているにもかかわらず、自分が心の病気であるということが恥ずかしかった。

「うちらも立派な病人だよ」

 だが、美由香はそのおばちゃんに誇るように言う。威張ることではない気がしたが、美由香は憤慨している。

「そう、あんたらも病気なの」

 おばさんはひどく驚いている。確かに、普通に見たら私たちは病気には見えないだろう。真紀はちょっとおかしいなとは思うものの、私でさえ、美由香や玲子さんは病気に見えない。

「お菓子もあるぜ」

 コーヒーとともに男の人はお菓子も持ってきた。それはお団子だった。

「おお、古賀ちゃんのおだんごだ」

 他の患者さんたちが喜び手を叩く。そんなにおいしいのだろうか。

「さあ、食べぇ」

「は、はい」

 みんなでお茶やコーヒーを飲み、お菓子を食べ始める。みんな見た目は怖いがやさしかった。私はほっとする。

「あっ、おいしい」

 私は古賀さんと呼ばれていた入れ墨の男の人が持ってきたお団子を食べた。そのお団子はやわらかくて、かかっている蜜の甘味にコクがあってとてもおいしかった。

「うまいだろう」

 古賀さんが自慢げに私を見る。

「はい、とてもおいしいです」

 私は答えた。

「うちの実家は団子屋なんだ」

 古賀さんがが言った。

「そうなの?」

 それには美由香が驚く。美由香も初めて知ったらしい。

「似合わねぇ」

 美由香が言った。するとみんなが笑う。

「ほんとは俺が店の跡継がなきゃいけないんだけどな、でも、なんかこんなんなっちまってなぁ」

 古賀さんは頭をボリボリとかく。そのしぐさがおかしかった。

「結構な老舗なんだよ。うちの代で潰すわけにはいかないんだけどなぁ」

 古賀さんはさらに呟く。

「クスリだけはやったらあかんで、おっちゃんたちみたいになってまうで」

 すると、関西弁のおじさんが私に顔を近づけ言った。

「このおじさんはな、もう三回も刑務所は入ってるんやで」

 古賀さんを指さし言った。

「あんたも入ってるだろ」

 古賀さんが言い返す。

「俺は一回だ」

「刑務所はだろ」

 ハードロッカーのおばさんがつけ足した。

「まあな。精神病院は行ったり来たりや」

 関西弁のおじさんが言うと、みんなが笑った。ここでは これがギャグになるらしい。

「・・・」

 私には笑えなかった。

「ここにいる連中はみんな廃人一歩手前だよ」

 ハードロックのおばさんが言った。すると、またみんな笑った。

「ちげぇねぇ」

 やせぎすの男性が笑いながら激しく同意して言った。

「ほんとろくでもねぇ奴ばっかだよ」

 テーブルの一番端の太った男性も笑いながら言った。

「・・・」

 なんかものすごい悲惨な話しなのに、なぜか、みんな明るい。

「でもなぁ、これがやめれんのや。刑務所とか病院にいるうちはいいんや。別にしたいとも思わんけど、出るとあかん。これがしとおてしとおて辛抱たまらんようになってまうんや」

 関西弁のおじさんが注射を腕に打つしぐさをしながら言うと、みんなうんうんとうなずきながら笑う。

「ほんと気持ちいいのよねぇ」

 厚い化粧をしたおかまのおばさんが言った。

「なんかこんな話してたらまたやりたくなってきちまったな」

 やせぎすのおじさんが言うと、またみんな笑った。

「あんたは絶対やるやろ」

 関西弁のおじさんが、ハードロッカーのおばさんを見る。

「だって気持ちいいんだもん」

 そう言って身をくねらせるとまた場は最高潮に笑いが起こる。

「・・・」

 なんか逆に盛り上がっている。私はやはり笑えなかった。

「出所の魔物だな」

 古賀さんが言った。

「出所の魔物?」

 私が古賀さんを見る。

「病院を出るとそこは魔界だった」

 ハードロッカーのおばさんが川端康成の雪国風に言った。

「出所するとそこには誘惑の悪魔がいっぱいいるわけだよ」

 古賀さんが言った。

「誘惑・・」


「じゃあ」

 場も盛り上がりひと段落すると、私たちは立ち上がり、美由香が手を上げる。

「ああ、また来いよ」

 古賀さんが言った。

「あんまり来たくはないな」

 美由香が正直に言うと、みんな笑った。

「よく考えたら俺たちだって来たくねぇよ」

 そして、またみんな笑った。最後まで明るい人たちだった。とても薬物中毒患者には見えなかった。

 私たちはお茶とお菓子をごちそうになって、その病棟を後にした。 

「あいつらは麻薬とか酒がやめらんなくて何回も入ってんだよ」

 美由香が歩きながら言った。

「・・・」

「薬物中毒とかアルコール依存症の人はほとんどの人がやめられないのよ」

 玲子さんが私に説明してくれる。

「そうなんですか」

「大体二割くらいしか生還できないって言われてるの」

「二割・・」

「結局、再飲酒とか再犯を繰り返して、たいていはここに何度も戻って来るか、刑務所に入っちまうんだよ。あいつらは。そして、その後は、身も心も酒とクスリでボロボロになって廃人になるか、どっかで野垂れ死ぬかさ」

 美由香が言った。

「・・・」

 明るい患者たちの表情とは裏腹に、厳しい現実が彼らにはあった・・。

「まっ、あいつらに限らず、精神病者の末路なんてそんなもんなんだろうけどな」

「・・・」

 私の末路・・。醜くお菓子を食い散らかしている自分の、餓鬼のような姿が浮かんだ・・。その後、私は・・。想像したくなかった。それはあまりにも惨めで、悲惨過ぎた・・。

 

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