第2話  新しい春が

 1コマ目の講義が終わって、僕は講義棟を出て、図書館へ行こうとしていた。

風はまだ少し冷たいけれど、もうすっかり季節は春だ。

「大ちゃん。 明日ヒマ?」

後ろから追いついてきた流星が、僕に言った。

「まあまあヒマ」

「よかった。じゃあ、いつものメンバーで、いつもの場所で、お茶せーへん?」

「ええよ」

「じゃあ、みんなに連絡入れとく」

「うん。ありがとう」

 次のコマの授業に出るからと、流星は、すぐに引き返していった。

いつものメンバーとは、1年前、流星の呼びかけで集まった異学部交流会、つまりは合コンのメンバー男女3人ずつの計6名で、いつもの場所とは、僕の部屋の近くのカフェ『四季』のことだ。

僕らは、ときどき、講義のない空いた時間に集まって、お酒抜きで、おしゃべりを楽しむ。

お互いの研究していることや、最近読んだ本の話や、いろんな話題が出て、話は尽きない。

お酒を飲まない、こんな集まりも悪くない、そう思う。

もちろん、和也や丈くんとお酒を飲んで過ごす時間も好きだけれど。

 大学構内を歩いていくと、背の高い木の下にあるベンチが空いている。

僕は、そこに座って、空を見上げる。

重なり合う葉っぱと枝の間から、柔らかな日差しがこぼれ落ちてくる。

(木が高いと、空も高く見えるんやな)

ふとそう心でつぶやいて、僕は、思わず笑ってしまう。

そういえば、一年前もここに座って、同じようなことを思ったよな。

あれは、まだ麻ちゃんと出会ってすぐのことだった。

 1年なんて、ほんとにあっという間だ。

また新しい春が来たけれど、もう僕の部屋には、僕以外に、誰も住んではいない。

そのことが、少し寂しくもあるけれど、仕方ない、と思えるくらいには、心は落ち着いてきている・・・ような気がする。


(麻ちゃん、もしかして生まれ変わって来てへんかなあ)

時々、僕は、道ですれちがうベビーカーの中の赤ちゃんを、ちらっと横目で見る。

これまで見かけた赤ちゃんの中には、たまに僕に笑いかけてくれる子もいたけど、たいていは、自分の握りこぶしに夢中でかぶりついていたり、おもちゃを懸命に振り回していたりで、僕には関心がなさそうなので、どうやら、まだ、麻ちゃんは生まれ変わってはいないみたいだ(と思う)


(できるだけ早く、僕がおじさんになる前に、戻ってきてくれたらええんやけどな)

そんなことを心で思いながら、僕は、ベンチでのびをした。

 そのとき、どこからか、薄ピンクの花びらが風に乗って、僕の前に、ゆったりと舞うように飛んできた。

反射的に手を伸ばして、つかもうとすると、ひらりと僕の手をかわして、もう一度風に巻き上げられるようにして、空高く舞いあがる。

僕は、立ち上がって、本気で、花びらを追いかける。

からかうように、ひらりひらりと舞いながら、やがて、その花びらは、僕の右肩に、ふわりととまった。

僕は、そっと指先で、その花びらをつまんで、右手の掌にのせた。

風に飛ばされないように、左手の掌でそっと包むように囲む。


その時だ。声が聞こえた。

(大ちゃん!)

「え? 」

(大ちゃん大ちゃん。わたし! )

「・・・麻ちゃん?」

(そう。・・・逢いに来たよ!)

「もしかして、この花びら?」

(そう。 気づいてくれて、追いかけてくれて、ありがとう)

「・・・逢いたかったよ。ずっと」

(私も・・・)

「一緒に家に帰れる?」

(うん)

「じゃあ、ポケットに入れてもいい? 」

(ポケットもいいけど、ひとまず手帳にはさんでね)

僕は、カバンから取り出した手帳に、そっとその花びらをはさんだ。

「これでいい?」

(うん)


僕は、少しでも近くに彼女を感じたくて、手帳をジャケットの胸ポケットに入れて、歩きだす。

まっしぐらに―――僕らの家へ。


(また、一緒に暮らせるん?  これからずっと一緒におれるん? それからそれから・・・)

ききたいことは山ほどあったけど、その返事を聞くのが怖くて、僕は質問の山を飲み込んだ。

そして、そのかわりに、抑えきれない嬉しさを込めて言った。

「お帰り。麻ちゃん」

(ただいま、大ちゃん)

風が、僕の前を、宙返りするように、木の葉を飛ばして、吹きすぎた。

僕の心臓が、どくどくと大きな音を立ててリズムを刻み始める。


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