第37話 嘘の手紙


 春子は微笑みつつ、遠くからぼそぼそと聞こえる声に耳を傾けていた。距離があり、内容は確認できないがおそらくアランとローレンスの声だ。

 フローベール領から帰ってきた夫を出迎えたいが、いかんせんこの場を離れるわけにはいかない。妻とは客人をもてなすものなのだから。


「……まあ、辺境伯様はお戻りになられたようですよ」


 豊かなハニーブロンドの髪を複雑な型に結い上げた、どこからみても上品な貴婦人の出で立ちをした客人——イザベルも二人に気づいたようだ。


「なにを話しているのかしら?」


 少女のようなあどけない面立ちは遠くで話し合うアランとローレンスに注がれている。


「奥様、ご挨拶に行ってもよろしいですか?」


 奥様と呼ばれるのは少しばかり恥ずかしい。春子は軽く頷き、赤くなった顔を見られないように反らした。


「私もお迎えに行きたいのでご一緒にどうですか?」

「では、ご同行させていただきますわ」


 春子が立ち上がり、歩きだすと女は静かにその後ろに付き従い、まだ話し合う二人の下へ移動した。




 ◇◆◇




「アラン様、お疲れ様でございました」


 はきはきとした声が聞こえ、アランは体を強張らせた。口論に夢中になりすぎて、春子が近付いていることに気付かなかった。


「お迎えが遅くなり、申し訳ございません」


 軽やかに膝を折り、頭を下げようとするのをアランは急いで止めた。ぎこちない動作で首を動かして、大丈夫だと伝える。


「こちらとしても急でしたので、姫はお変わりないようで安心しました」


 嘘だ。変わりすぎているので動揺している。

 だが、女性の体型を指摘するのは無礼にあたるので平静を装った。


「ええ、ローレンス様のお陰で変わらず過ごせましたわ」


 ああ、そうだ。と春子は背後を振り返った。


「レオナール様が私に侍女をつけてくださったのです。ご紹介いたしますわ」


 春子の後ろで影として付き添っていた女——イザベルはふんわりと微笑みを浮かべ、緑深い瞳でアランをまっすぐ見つめた。


「イザベル・アダムソンと申します」


 ぽってりと女の色香が匂い立つ唇からは、見た目にそぐわない少女のような可愛らしい声音がこぼれ落ちる。


「お久しぶりでございますわ。アラン様」


 まるでアランと会ったことがある言い方だ。それも名前を呼ぶだなんて親しい間柄の人間でしかありえない。


「君は確かアダムソン侯爵家の……。久しぶりだな」


 アランは言葉を濁した。おそらく、社交界で会ったことがあると思うのだが記憶はない。

 そもそもアランにとって社交界とは父王と弟皇子の言動を諌めるのと他の辺境伯との繋がりを濃くするために顔を出していたのに過ぎない。他の貴族との交流は必要最低限に留めている。


「こちらを。レオナール国王陛下より、お預かりしております」


 イザベルはそっと手紙を差し出した。


「確認しよう」


 手紙を受け取った。手紙の質は高い。よく父王が差し出してくるものと同じだ。封蝋印は確かに王家のもの。封を開き、文面に目を落とす。小さいけれど力強い文字が羅列している。父王の筆跡——に見せかけた偽物であるとアランは判断した。

 内容も父王ならば、まず先にアランの体調を慮る。その文章がなく、姫の侍女を送ると簡潔に書かれている時点でこれはジェラルドが書いたのだと推測した。


、そうか。父には感謝しなくてはいけないな」


 なるほど、とアランはイザベルを観察した。侯爵家の人間としては、娼婦のような雰囲気を身に纏っている。アダムソン家の三女はたいそうな男好きで、数多の貴族と夜はを共にしていると聞いたことがある。ジェラルドとも懇意の仲であり、きっと春子への嫌がらせのために侍女として宛てがったのだろう。


「イザベルどのもご苦労。ここまで遠かっただろう」


 まあ、とイザベルははにかむ。さり気なく豊かな胸を腕で寄せて、細い指を頬に添える仕草は男が鼻の下を伸ばしそうだ。

 これがアランではなければ——。


「姫、良ければ昼餉でもどうですか?」


 アランはイザベルから顔をそらすと、春子に微笑みかける。


「たくさん話したいことがあるんです」

「まあ、でしたらイザベル様も」

「久しぶりなんですから二人でとりましょう」


 そっと腰に手を回して、食堂へと誘導した。これ以上、この間者おんなと二人っきりにさせないために。

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猫かぶり姫の再婚 中原なお @iroha07

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