第28話 脆すぎる壁


 橙の光に照らされた壁の前に散乱した多数の道具が彼らがここで足止めを受けていることを物語っていた。

 リュシルは燭台を地面に置くと空いた手で壁を叩く。コンコンと音があっちこっちに反射した。


「そこらへん、地層硬いんだよね。もう二週間もここで足止めしてんの」

「私が試してもいいかしら?」

「いいけど、やっぱ無理じゃない? あんた、筋肉ないもん」


 リュシルは春子の腕を凝視した。裾の上からでも分かる肉付きのいい腕だ。筋肉なんて存在しない腕にこの地層を突破できるとは思えない。

 その視線を受けて、春子は不敵に笑う。祖国では一般的だと思っていた自身の身体能力は、ヴィルドールでは常識外れだというのはここ数ヶ月でよく分かった。この難所を軽々と突破して、驚かせてやろう。自分の必要性を示すんだ、と企てる。

 ぱっと見て、散乱した道具の中で一番使いやすそうな物を選び、構える。穴掘りの経験はないがこの棒の先についた鉄で壁をぶっ潰せばいいのなら簡単のはず。


「失礼ですね。これでも腕相撲でお兄様を負かせたことがあるんですよ」

「ウデズモウ? まあ、知らないけど、人思いにやっちゃって。無理でも怒んないからさ」


 言われた通りに振りかぶり、思いっきり、今まで制限した分も上乗せした力で春子は道具を壁に突き刺した。


 ――ガン!!


 大きな破壊音と共に地面が揺れた。ぱらぱらと天井や横壁からは土が崩れ落ちてきて、小さく悲鳴をあげたリュシルが頭を覆ってうずくまる。

 春子は呆然と自分の手にある道具と壁を交互に見つめた。使い勝手がよさそうで、丈夫そうだと選んだ道具は鉄の部分はひしゃげて、持ち手が粉砕していた。彼らが二週間も手こずっていた壁は例えるなら平べったい木の板を割るようだった。せめて半分の力を叩き込むべきだった。


「……もろい」


 無意識にぽつりと呟く。どちらも脆すぎる。嫁入り前に父が「大人でも赤ん坊だと思って接するんだ。私達は力が強いのだから」と口を酸っぱくして言い聞かせてきた理由がよく分かった。


「リュシル、ごめんなさい。壊しちゃった……」


 リュシルの肩を揺すり、顔を合わせると春子は眉を下げた。借り物を粉砕してしまったのだ。面紗で相手から表情が見えないとしても笑顔を浮かべることはさすがにできない。


「え、あ、ええ」


 ぽかんと目と口を開けたリュシルは春子と跡形もない道具、粉砕された壁を見比べた。


「……あたし達、生きてる?」

「生きていますね」

「い、生き埋めになるかと思った」


 じわりとリュシルの目尻に涙が溜まる。


「なんであの壁が木っ端微塵になってんの」

「だって、思いっきりやってって。本気だしたらこうなりました」

「馬鹿力すぎでしょ。その腕にどうしてそんな力があんのよ」

「まあ、色々ありまして」


 鬼無人が常識外れの身体能力を持つのは、先祖が自国に住む鬼を食べたから、と言ったら絶対に引かれるので言葉を濁す。

 よほど恐ろしかったのかリュシルが泣き始めた。

 春子はぎょっとするが半分以上、自分のせいなので丸くなった背を撫で、慰めるのに徹している。

 しばらくするとマルセルが慌てた様子で駆け寄ってきた。


「姉ちゃん! 春子ちゃん! 地震起きたけど大丈夫だった?!」

「それ、地震じゃない。春子がやった」


 リュシルは鼻をすすると粉砕された壁を指さした。


「あの壁を?」

「そ。春子が道具使って掘ったらああなったの。地震かと思ったのはその衝撃よ」

「すご……。あ、あのさ、衝撃で通路崩れるかもしれないから今すぐにでも避難した方がいいんだけど、どうやって春子ちゃんでるの? さすがにこの高さ、ジャンプは無理だよね?」


 昇り降り用の縄梯子は設置してあるが、使用する場合は両の手足を使わなければいけない。春子がその体勢をとったら確実に詰まってしまう。


「……壊してもいい?」


 通れないなら通れる大きさに穴を広げればどうだろうか? 春子の提案にアルロー姉弟は揃って「駄目!」と言った。


「あたし達がやるからあんたは座ってて!」

「春子ちゃん、疲れたよね。休んでて」


 手際よく作業に取り掛かる二人を春子は離れた場所から見守るのだった。

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