第16話 夏国


 朱加は困り果てていた。幼馴染が迎えたという花嫁は、とても臆病な性格らしく、まるで母親から引き剥がされた子猫のごとく部屋の中央で身を縮こませて震えているからだ。四隅に行きたそうにしているが実行に移さないのは、椅子に座った朱加が睨みを利かせているからだろう。


「手荒に扱ったな」


 この空気に耐えられず、朱加が声をかけると、骨張った肩が跳ね上がった。


「お前と話をしたいから連れてきたんだ」


 瞬く間に血色が悪くなり、唇がわななく。


「……話が済めば、春国へ帰す」


 一瞬だが灰色の瞳に光が宿った。恐怖以外の反応に、朱加は胸を撫で下ろす。


「話とは、なんですか?」

「お前はいつまで藍影の元にいるつもりなんだ?」


 紅玉と呼ばれた花嫁は視線を彷徨わせた。

 その行動に朱加は怒りを覚える。冷静沈着な父とは違い、短気な朱加はこのようなおどおどした言動は嫌いだ。薔薇園でも感じたが、もっと胸を張って生きればいいものを。


「ただの確認だ」

「その、今は勉強中で……」


 紅玉は抱きしめた図鑑に視線を落とした。


「手に職がついたら、とは考えています」

「それはいつだ?」

「えっと……」

「お前は何になりたいんだ?」


 会話が円滑に進まないことに苛立ちは積もっていく。紅玉がしっかりと受け答えをしていれば、夏国にまで連れて来なかった。それどころか薔薇園で会話を終わらせて、藍影に睨まれることもなかった。


「分からなくて……」


 紅玉は俯く。


「自分のことなのにか?」

「考えたことがなくて……」

「それは?」


 朱加は紅玉の手にある図鑑を指差した。


「植物の本だろ?」


 その表紙には見覚えがある。幼い頃、藍影が面白いと絶賛していた。朱加も読んでみたが細かな字で長々と図の植物の特徴が書かれているだけで、つまらないとすぐ投げ捨てたものだ。


「歌流羅様にお借りして、植物に詳しかったら一人でも生きていけるかなって」

「一人? 庭師にでもなんでもあるだろ」

「人と関わるのは、苦手で……。気分を害してしまうから……」

「人間が苦手だと?」


 思わず尋ね返すと紅玉は小さく頷いた。


「あまり、家族とも接したことがなくて、どう話せばいいのか、わからなくて……」

「だから俺と喋っていても目を合わせず、震えているのか」

「その、ごめんなさい……。目を、合わせようとしても、怖くて……」


 なるほどな、と朱加は納得した。


「藍影がお前を気にいる理由が分かった」

「龍帝様が……?」

「その敬称は間違っているから直せ」


 厳しい声音で命ずる。龍帝は四人いるため、総称を四龍帝、各人の敬称はその土地で変わって藍影なら青龍帝、白慈なら白龍帝という。現世の人間は知らないのか龍帝と言うが、それは間違いだ。


「藍影か青龍帝と呼べ」

「青龍帝、様」

「堅苦しいな」

「……駄目でしたか?」

「好きに呼べばいいだろ。俺に聞くな」


 紅玉はまた謝罪の言葉を口にした。

 朱加は頭を掻くと椅子から立ち上がり、大きさ動作で紅玉に近づく。


「無理に連れ去って悪かったな。お前が現世に帰るつもりで安心した」


 戸惑う紅玉を担ぎ上げると朱加は手を前にかざした。手中から溢れ出た炎が勢いを増して荒れ狂う。神術で春国の薔薇園に施した目印へと飛ぶ準備をしていると紅玉が震えた声で「それが、お話ですか?」と聞き返してきた。

 ああ、と朱加は頷いた。


「俺達はさ、藍影が心配なんだよ」


 玄琅と白慈、父である赤斗、そして会ったことは無いが黄帝も心配していると聞いている。


「あいつは半分が人間なのを気にしてっからさ。頑張り過ぎるんだよ」

「……人間?」


 まるで初めて聞きましたと言わんばかりの表情に朱加は片眉を持ち上げる。


「藍影の母は、先代青龍帝の花嫁に選ばれた女だ。お前、藍影に気に入られてるのに知らねぇの?」

「その、個人的な話は、あまり……」


 興味なさげに朱加は鼻を鳴らす。


「あの、あなた様は」

「朱加様だ。次の赤龍帝の」

「せ、赤龍帝様は」

「朱加様。親父が席を譲ってくれねぇから赤龍帝はまだ名乗れない」


 朱加は不貞腐れる。そろそろ引退して、自分に赤龍帝を譲ってくれればいいものを、赤斗は「あと二十年は無理だ」と首を振った。


「しゅ、朱加様は私が青龍帝様の近くにいることが嫌なのですか……?」

「嫌っていうより心配だな。他の二人も心配してる。親父は違うみたいだが」

「心配?」

「藍影はさ、優しすぎるんだよ。どうあがいても非情になれない。お前みたいな食料を気にかけるぐらい、あれは優しすぎる」


 朱加の言葉に紅玉は首を傾げた。疑問を口にしようとするが、朱加の怒りに触れるのを恐れ、口を閉ざす。

 表情から悟ったのか朱加は「言え」と命じた。


「思ったことは言葉にしろ。そうやって様子を伺われることは、俺は大嫌いだ」

「あの、優しいのはいけないことですか?」

「いけない。青龍帝は……いや、四龍帝というものは黄帝に代わり、常世と現世を統べる者だ。全員を平等に扱わなければならない。個人を尊重してはならない」


 教本を読むように朱加は抑揚なく続ける。


「お前が藍影に甘え続けるようなら、俺はお前を食うつもりだった」


 紅玉は体を硬直させた。


「そうすれば、藍影は必要以上に傷付くことはない」


 きっぱりと言い切ると朱加は、手中の炎を更に強くさせた。


「そろそろ戻るぞ」


 薔薇園の時と同様、炎は二人を包み込む。

 中央に収束すると同時に視界が歪む。


(……私が一緒だと、青龍帝様は傷付く)


 紅玉は胸を刺す痛みに気が付かないふりをした。

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