第8話 龍帝と腹心


「まあまあ、なんて情けないお顔ですこと」


 呆れたと言わんばかりに言葉を投げかけられ藍影は顔に力を入れた。威厳あふれる父のようになりたくて、表情には人一倍気を使っていたがどうやら緩んでいたらしい。

 眉間を引き締めるとそれが更に間抜けに映ったのか歌流羅は口元を隠してくすくす笑う。

 言い返せば口達者な彼女から倍となって反撃がくる。そうなれば勝てる見込みは皆無に等しいため、藍影は職務を全うすべく、平静を装って筆を手にして卓と向き合った。


「花嫁御前をいたく気に入っておりますね」


 字を書く前でよかった。書いていたらきっと紙を一枚無駄にしていた。


「……何が言いたい?」

「三日前に禁域で花嫁御前と対話してから必要以上に気にかけているようですので不思議に思いまして」


 歌流羅は顎に指先を当てると首を傾げた。


「わたくしが知っている青龍帝は無駄を嫌い、合理的なお方ですもの。春国の民に迎え入れても彼女は斎の姫君ですわ。必要以上に接する必要はございません」

「他の春国の民と同様に扱っているつもりだが」

「まあ、あれで? 食事を与えろ、衣装はこれがいいと口うるさいではないですか」


 藍影は言葉に詰まった。確かに歌流羅が食事を与えないことを不服に思って口うるさく命じた記憶がある。衣装に関しても色や絹の生産地についてあれこれと言った。言われてみれば過干渉な気もする。


「正直にもうしあげてもよろしいでしょうか?」

「……お前はいつも正直だろ」

「花嫁御前のお世話係を交代いたしましょう」

「私には龍帝としての仕事もあるから全てを引き受けることはできないぞ」

「あらあら、無理だとは言わないのですね」


 筆が落ちる音が響いた。白い紙に墨汁のシミが広がる。これはもう使い物にならないな、と思いつつ藍影は今先程、己が口にした言葉を反芻はんすうさせる。


(確かにあの言い方では了承と受け取られても仕方がない)


 藍影は筆を拾い上げると会話を終えるまで筆架ひっかに立てかけた。この状態のままでは満足に仕事ができない。消耗品である紙を無駄にするのは避けたい。


「嫌、ではないんだ」


 それどころかあれこれと世話をすることが楽しいと思う自分がいる。分身と言っても過言ではない歌流羅もそのことは理解しているようで柔らかく微笑み、頷いた。


「ええ、知っております。見ていたらわかりますもの」

「……分からないんだ。この気持ちが」

「分からないとは?」

「放ってはおけない。これ以上、必要以上に関わるべきではないのに」


 歌流羅は呆れたのか辛辣な笑みを向ける。


「青龍帝は思った以上に御母堂様に似ておられますね」

「お前が嫌いな人間にか?」

「御母堂様のことは嫌いではありませんでしたよ。人間ではございますがあのお方は純粋で他者を心の奥底から尊ぶことができましたもの」


 ですから、と歌流羅は藍影の目を覗き込む。


「わたくしはあなた様にお支えするのです」

「いっそのことお前がこの座についてくれなら万民も納得するのだがな」

「興味はございませんわ。わたくしは、創られてはございません」

「そうだったな」


 藍影と違い、先代龍帝の神気を主軸に歌流羅は創られている。半神半人である藍影の補佐をすることが存在意義のため、彼女は龍帝の座に興味を持たない。


「先程の回答ですが、青龍帝は先代と御母堂様に愛されて大人となりました。『親は子を愛するもの』という先入観があるとお見受けいたしますわ」

「……知っているんだ。子を愛さぬ親がいることは」


 龍帝に即位してまず行ったのは死者を判定することだった。常世と現世——東方の統治を任された青龍帝として、その地で暮らす命が常世に来た際に生前の行いや交友関係から犯罪歴及び罪禍ざいかはないかを調べ尽くす。

 そして、それにもとづき、常世への在留期間と来世の種族を決める。

 大抵は善良といっていい者ばかりだが、中には筆舌しがたい悪行を積んだ者もいた。記録簿は改竄かいざんできない。目を背けたくなる現実があることを藍影はよく理解している。


「ご理解なさっていても実際に対面したのは花嫁御前が初めてなのでは?」

「そうだな。知ってはいても判断を下すのは書面越しだ」

「青龍帝が感じているのは哀れみや怒り。花嫁御前を可哀想な存在だと、守らなければならない存在だと認識しているから放っておけないのだとわたくしは考えます」

「守るべき存在、か……。お前が言うならそうなのかも知れんな」

「四龍帝として一介の民を気にかけるなど有るまじきことではございますが、これも現世を知るよい機会と考えればよろしいでしょう。黄帝の許可も無事にいただいたことですし、それに御母堂様がご存命ならば、きっと我先に花嫁御前の世話を焼かれますわ」


 そう言われて想像する。確かに母は他者を放っておかない性格をしていた。紅玉の生い立ちと貧相な姿を見れば誰よりも気にかけるはずだ。


「……歌流羅よ」


 藍影はしばらく考えたのち、腹心の名を呼ぶ。


「はい、どうなさいました?」

「お前に紅玉のことは一任していたが、一部の世話を私が引き受けたい。よいか?」

「ええ、どうぞ。わたくしも色々と仕事がありますもの」


 袖で口元を隠した歌流羅はくすくすと笑う。


「笑うな」

「笑いたくもなりますわ」


 そんなに可笑しかったのか、歌流羅がお腹を抱えて笑い出す。

 藍影が文句の一つでも言ってやろうと口を開いた時、ほわほわの何かが飛んできて顔にぶつかった。鼻筋や顎に小さな痛みを感じ、藍影は小さく悲鳴をあげる。


「あらあら、青龍帝はお仕事中ですよ」


 歌流羅は、まるで幼子に言い聞かせるように語りかけると藍影の顔に張り付く毛玉を優しく剥がした。

 顔に残った羽毛をはたき終えた藍影は突然の来客に目を丸くさせた。


「暁明、どうしたんだい?」


 藍影の顔に張り付いていた来客は雛雀だった。

 いつもは紅玉にべったりで離れたがらないのに、と珍しく思いながら藍影が問い掛ければ暁明は「おねえちゃんが死んじゃう!」と叫んだ。

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