【零】
彼女が目を覚ましたのは、明け方近くになってからだった。
虚ろ気に彷徨う視界に入るように、僕はベッドを覗き込む。
「嗚呼」
彼女が呟く。
「そう……か…………。時間……なのね……」
そして、動かない身体で、室内を見渡そうとする。部屋の中に誰もいないことを気配で察したようだ。
「予想は……していたけれど…………」
彼女の声が、荒い息と涙でかすむ。
「私の人生って……なんだったのかしら……」
気遣いの結果が、この孤独感だとするならば。
「私は大丈夫……ちゃんと……できてるって…………言ったけど……。ただの強がりだった……」
「それでも」
僕はゆっくり言葉を紡ぐ。
「そうやって、あなたは自分の人生を、守ってきた」
「そう……きっと……分かってた……。分かっていて……きっと次があっても…………同じ道を進むでしょう…………だけど…………」
「苦しいよぉ……寂しいよぉ…………」
僕は腰かけていたベッドから立ち上がり、配線の邪魔にならないよう慎重に、せつなの近くに横たわる。
間近で見つめる僕を映した瞳から、涙がこぼれだす。
「夢だぁ……幻だぁ……」
「夢じゃないよ」
僕はそう囁いて、枕元に置かれていたハンカチで、ちょんちょんと涙を拭く。それでも涙は次々と溢れてくる。
「家族でも友達でもなくて……、最期に見る夢が、これかぁ…………」
せつなの嘆きを、聞く者はいない。
時間とともに、呼吸が浅くなっていく。ようやくうっすらと唇を開いても、声は出ない。
でも、死神の僕には、耳を澄ますと心の声が聞こえてくる。
――くるしい
「そっかぁ……。なんにもできなくて、ごめんね」
――いいの
「うん。よし……よし……」
――ねむたい
「眠っていいよ?」
――こわい
「大丈夫。ここにいるよ」
――いる?
「いるよ」
――いなくなる?
「ずっといるよ」
――……××くん
「ん? なに?」
――だいすき
「ふふ、ありがとう」
――……。
「せつな?」
――うれしい
「せつな」
――よんで
「せつな」
無機質な機械音が、命の終わりを告げる。
医者や看護師が慌ただしく部屋に入ってきた。
僕はベッドから降りて、邪魔にならないように離れる。
医療従事者たちが、慎重に、せつなの身体を確認する。
命の失われた容れ物から、目には見えない光の粒が、剝がれて天地へ還っていく。
生き物の精神は、肉体の停止とともに、保てなくなって揮散する。
電源のつかなくなった液晶に映っていた写真が、見られなくなるように。
昔、ほかの死神に言われた気がする。あの世というものは、ないのだと。
ベッドに落ちていた薔薇の花弁とハンカチを拾った看護師が、ハッとなって部屋中を見渡す。これからも生きる者に、僕の姿は捉えられない。
僕は、懸命に働く人達に手を振って去る。ここから先は、人間の仕事だ。
建物を出て、広葉樹林の中を歩く。朝靄が立ち込めていて、ゆっくり歩くと柔らかい絨毯のように足が少し沈むようだった。
僕は大きな木の傍で、膝を折って地面に手を当てる。土に見えるそれは砕けた落葉。落葉の下には、死骸を分解して樹木を育む生き物達がいる。
地面に触れた指先から少しずつ、草木の陰に同化していく。宿主の消えた僕の頭から、記憶が溶け出ていく。それを感じて、微睡む様に笑みを浮かべる。
次第に僕の身体は黒い塵になって、朝靄の中に消えた。
【了】
死神の仕事 北西 時雨 @Jiu-Kitanishi
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