第二十三巻 陽気な冥王

「こんばんは、六万むつま時成ときなりくん。俺は冥王です。よろちくー」


 初めて見る冥王は陽気な声をしていた。


「……こんばんは……?」


 挨拶を返すと、彼はとても満足そうに笑った。そして頭を激しめに叩く。


「いいねえ! 挨拶ができるって素晴らしいよ!」

「…………はあ」


 訝しむ顔の影が濃くなる。

 そこに割って入るヨホロが、頭をガシガシと掻いていた。


「冥王、何でここにいるんだよ」

「いいじゃーん! 部下の働きを見るのも上司の仕事のうちだよ」


「冥王様って、獄丁のトップ⁉︎」

「時成ちゃん、せいかーーーーい! 丁から話を聞いてたから、仕事の合間に会いに来ちゃったー」

「要はサボり……?」


 真顔で返すと、自称冥王は一層楽しそうに笑った。


「俺にそんな軽口がたたけるなんて凄いなぁ」

「!」


 頭を鷲掴みにされ、地に叩きつけられた。

 痛みと圧で、言葉なき声が漏れる。


「がっ! んんッ」

「たかだか数百年生きた化け猫が、生意気な態度をとるんじゃないよ?」


 殺意に満ちた目だった。


「まあ、俺の話をちょっと聞いてよ」


 言って、冥王は語り始めた。


「六万時成の前の飼い主だった稲生いのう紅音べにおについてね」


 稲生紅音という名前を聞いた瞬間、足掻く気が失せた。ジッと冥王を睨みつける。


「そうそう。まずは静かに聞こうね」

「紅音に何をした。死んだあとも静かに寝かせてやらないつもりか」

「おや。逆上させちまったかい? 落ち着きたまえよ。俺が何かをしたわけじゃないんだから」


 そう言われて、「はい、そうですか」なんて言えない。彼女に何かをしたのなら、絶対に許さない。

 呼吸が荒くなる。


「チッチッチッ。むしろ逆なわけ。時成っちに教えてやろうと思ったね。」

「……」

「紅音は死んだのち、自身の悲劇を恨み、魂が二つに分かれてしまったんだ」

「は?」


 そんな事実は知らない。

 人間は死んだら転生するか、怪異になるかだ。


「一つは今日出会った獄丁のよほろに」


「え?」

「はー?」


 ヨホロと声が重なる。

 どうやらヨホロ自身も知らなかった事実らしい。

 俺は、そんなわけがないと感情が爆発する。


「う、嘘だ‼︎」

「嘘じゃない。真実だ」

「あんな野蛮な奴になるわけがない! だってあんなに俺に人を傷つけるなって言ってたんだぞ⁉︎」

「生前の彼女の口からは慈悲ある言葉が出ていただろう。でも、稲生ちゃん。人間も嘘をつくでひょ。彼女はね、必死に抑えてたんだ」

「な、何を……?」


 俺の知らない彼女がいたのか。


「人を殺したい衝動」

「紅音はそんな奴じゃない! テレビで流れた殺人事件だって泣いた奴だ! 人から聞いた訃報で泣く奴なんだ! そんな奴が! ……そんな奴が……」


 だが、確かに人間も嘘をつく。

 俺は知ってる。

 でも、あんなに可愛がってくれた、愛情を注いでくれた紅音がそんな人間だなんて信じたくなかった。


「だからだよ。化け猫の前では良い人を演じたかった。殺人は悪いことだと知っていたしね」

「じゃあ、ヨホロは……」

「殺人衝動のある稲生紅音の魂が怪異になったのさ」

「紅音……」

「で、もう一つなんだけど」


 言って、やっと冥王は俺の頭から手を離した。その表情は穏やかだった。


「七人御先の誰からしいんだよねー」


「どうして」思わず口に出た。

 紅音はそんなに悪い心を持っていたの?


根街ねがいしまに寄生した寄生呪も、どうやら紅音が絡んでるらしい。悲劇を生み出そうと躍起になってるみたいだ」


 掴みかかる力もなかった。

 怒りを通り越して、絶望した。そんな感じ。


「彼女にとって姪にあたる稲生花中にも、紅音のマーキングしちゃって。本当に可哀想」

「あの……マーキングが、紅音の?」

「そうだよ。全ての発端は稲生紅音にある。そんな彼女を最も知っているのは、時成さん。俺たち獄丁に力を貸してよ」


 差し出された右手。

 イマイチ胡散臭いと思ってしまう。


「ほっとけば稲生花中は呪いで死ぬ。その呪いを解く方法を獄丁なら調べられるし、トッキーには獄丁に入るしかないと思うんだけど、どうかな?」


 それにしても冥王は俺の呼び方をコロコロと変えるな。

 ヨホロは俺を勧誘する冥王の肩を掴み、面と向かった。


「ちょっと待て。僕を置いて話をするな。僕がそのロクマンの飼い主だった人間の魂を持ってるってわけ?」

「そうそう! トッキーと丁は運命の糸で繋がってるぅぅ! 血も飲ませちゃったんだし、もう離れられない運命だよねーーーー‼︎」

「変な言い方するな!」


 ヨホロは冥王の胸ぐらを掴でいた。

 俺には怖くてできないが、今はヨホロに同調する。頑張れー!

 ……トッキーで定着する感じ?


「そ、そうですよ! 男同士ですよ⁉︎ 運命の糸で繋がってるとか」

「マジ気持ち悪い」

「グァッ」


 なぜか俺がヨホロに殴られる。

 今の流れは確実に俺じゃなくて、冥王を殴るもんじゃないのか。

 一発KOとなり、俺はその場に倒れた。

 冥王はそんな俺の隣で腰を下ろし、頬をぐいぐいと指で突き刺して遊び出す。


「おやおやおやおや。こんなところで寝てしまっては風邪をひいてしまうよ?」


 昨日まではただの人間でいられたのに。

 何も知らなかったのに。

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