第十巻 思い出

 駆られて吐き出してしまったキーワードが、記憶を呼び起こす。


「昔、ある人と暮らしてたんだけど……冬の寒い日、あの人はアパートに帰ってこなかった」

「……」

「いつもいつも『怪我をしないように』とか注意してきたり、ニュースで流れるたびに『死んだらダメよ』『人を傷つけたらダメよ』とか言ってた人でさ」


 紅音べにおはとても優しかった。困っている人がいれば手助けをし、見聞きした悪いニュースに心を痛める。そんな良い人間だった。

 だが、そんな彼女にも許せないものがあった——殺人と自殺だ。


「日付が変わっても、次の日の朝になっても帰ってこない。だから外に出て、探し回った」


 慣れない外の空気。

 見たことのない人間の顔。


「ずっと探して……最後に、駅に辿り着いた」

「……ホームに飛び込んだのか」

「嫌になるくらい察しがいいな。実際死んだのは、帰って来なかった日。一日たって、駅は通常通りの生活に戻ってた」


 まるで何事もなかったように通常運転の電車。人々の会話で時折聞こえてくる、昨晩の飛び込み。ホームに残る彼女の香り。

 自分だけ時間が止まったかのようだった。彼女の死に目に会えず、ただ忽然こつぜんと消えたような気分。


「って、何でこんなこと話したんだろ! とにかく、あの子が同居人に似ていただけですぅ!」


 そう言って、過去から逃げるように走り出す。

 足の速さには自信があったものだが、シャチの姿になったヨホロにはあっさりと負けた。


『あの人間は例の同居人の血縁者だよ』

「姉妹とか? 一回も見たことないけど」


 振り返ってみれば、彼女の両親や姉妹、家族に会ったことが無い。


『調べたらすぐにわかったが、あの人間はいわゆる姪だ』

「姪⁉︎ あ、そういやぁ、弟と電話してたような」

『ロクマンが言うあの人ってのは、稲生いのう紅音べにおさんだろ?』

「ッ!」


 どうして知ってるのか。

 そんな俺の思考を読み取ったように、ヨホロは説明を始めた。


『獄丁は全ての死者を管理する。死んだのなら、獄丁に探せないものはない』

「じゃあ、本当に君は獄丁なんだ」

『おめーのことも関わった人物も、全員、冥王に調べてもらった』


 冥王に調べさせるほど、ヨホロって偉いの?


『おめーの正体は——』

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