化け猫怪異奇譚

蒼乃悠生

第一巻 普通の人間です

 夏の昭和に戻ったような田舎道。

 車が通れない細い道には、俺以外に人はいない。

 小さな墓を通り過ぎ、形の不揃いな石が積まれた石垣を横目に歩く。昔は立派な家が建っていたのかもしれないが、今は何もない。

 コンクリート舗装もされていない道を慣れた足取りで進んでいく。


「よっ、と」


 季節外れのカーディガンを羽織る俺は、道端に落ちている大人の本を跨ぐ。

 俺の名前は、六万むつま時成ときなり。制服が好きな、ただの人間である高校二年生、男子です。


「エロ本じゃなくて、制服コレクション雑誌だったら拾ってたかもな〜」


 何の変哲もない日常。普段と変わらない風景。

 夏服の制服が輝いて見える、そんなある日。学校へ登校中のことだった。

 蔦が絡まる四角いトンネルを抜けると、背の高いビルに路面電車。タイムスリップをしたかのように、近代的な世界が突然現れた。


「今日も車がよく走ってて臭いわ〜」


 投稿時間は朝の通勤ラッシュとかぶり、車が多い。

 大きな道を渡る横断歩道で足を止めた。

 スクールバッグを掛け直し、青信号になるのを待っていると、急に辺り一面が陰った。

 飛行機か何かかと思い、空を見上げる。だが、光を遮るようなものは飛んでいない。雲一つない快晴だ。


「うん……?」


 首を傾げながら視線を信号機に戻すと、再び陰った。しかも、今回は長い。太陽を雲で覆ったかのような時間の長さだ。


「ったく、何なん⁉︎」


 訝しむ表情で空を仰ぐと、ずんぐりとした白と黒の体に背びれ——目の前に大きなシャチが泳いでいた。「は?」

 シャチの周りには、水が纏うように光り輝いていた。あまりの幻想的な光景に目を見開き、ポカンと口が開く。

 その白い腹部から赤い血が垂れ、


「んがッ⁉︎」


 あろうことか、偶然口の中にその血が入ってしまった。

 その瞬間、口に広がる苦味。血生臭さはなく、まるでそれは薬のような味だった。


「うわっ、血を飲んじゃったよ! 汚い!」


 最悪だと思いながら「ぺっ! ぺっ!」と血を吐き出す。だが、既に大部分を飲み込んでしまい、どうにもならない。

 すると、空の翳りは消えた。

 歩道の信号機が青へ変わる。

 一斉に歩行者が前へ歩き出す中、俺は足を一歩踏み出せずにいた。


「何、アレ」


 大きく見開いた瞳は、横断歩道の真ん中に立つ二人の女子高生を映す。

 彼女らは、私服と冬服のセーラー服を着ていた。

 一人は首が異様に長く、もう一人は骨が折れているかのように体が歪み、頭が凹んでいた。二人の細い首には、真っ赤なリボンで繋がれていた。


「……」


 こういう時は見なかったフリをした方が良い。

 彼女らはケタケタと笑い、不気味に感じた。


「……」


 俺は耐えるように口を固く閉じ、歩き出す。

 妙な緊張感に襲われる中、彼女らの横を通った。

 俺は何も見ていない。何も聞こえない。何も知らない。ひたすら心の中で強く思い込む。


「ッ!」


 すれ違った。

 何もなかったと安堵した瞬間、後ろから腕を掴まれた。それは逃さまいとするかのように力が強かった。

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