第12話 走る
「あと5分もすると、ここからあっちのほうへ走っていったところにある木造の家が、火事で燃える。なかには、リョータロよりちょっと年上ぐらいかなぁ? そこの家の娘さんが、逃げきれずに焼けて死ぬ」
うつろに見あげると、逆光でカバネちゃんの顔がよく見えない。
ただ、ただ、口角を人間ではあり得ないほどにあげて、暗く黒く笑っていることだけがわかる。
「まよってられる時間は2分くらいかなぁぁぁ? いま、リョータロがたすけに向かえば、その娘さんはたすかるよ。そのかわり、そのかわりねぇぇぇ」
カバネちゃんは、両手を頬にそえてうっとりと宙をただよう。
「リョータロの顔には、大きなヤケドのあとがのこる。ちょっとぶきみなかたちになるから、お客さんから気味わるがられて仕事には影響出ちゃうかもねぇぇぇ。腕も、おじいちゃんの皮膚みたいにシワシワになって、決して消えないみにくいみにくいあとがのこる。そうまでして、リョータロはたすけるのかな? 手間どってちょっと遅れれば、リョータロもいっしょに死んじゃうかもしれない。そんな危険をおかしても、生きのこったとしても自分がそんなハンデを負うことになっても、リョータロくんはその人のコトたすけるのかなぁ??」
「……どうせ、おれがたすけても……」
おれは、地面にぽとりとおとすようにつぶやく。
「その人だって、いつか死ぬんだろう……」
「そりゃぁぁいつかは死ぬよ。でもその人は、いま生きのびれば寿命まで六十年はあるよ。それに、寿命が短ければたすけないの? 寿命が長ければたすけるの? そういう差別、よくないと思うなぁ死神ちゃん的にはぁ。だれがいつまで生きるかなんて、だぁれにもわからないんだからぁぁぁ」
「うるさい、うるさいな!」
顔のまわりに浮かぶカバネちゃんを、
「どうすりゃ、どうすりゃいいんだよ。彼女だって思ってた人が、彼女なんかじゃなくって、仕事だって、また地獄みたいに延々つづくだけ、そう、どうせここを切り抜けたってまた山みたいな量の仕事が降ってくるだけなんだ。それで勉強なんかぜんぜんできなくって、きょうの試験みたいにどうせ落ちて、落ちて、それをくりかえしてどうせおれみたいな頭のわるいやつは永遠に受からなくって、このままただ地獄みたいに安い給料のまま働いて死ぬだけで、せっかくできた彼女に、好きな人に、バカに、バカにされて金だけとられてたのがわかって……ああどうせおれがわるいんだろわかってるよ! セックスがヘタクソだなんて、知らなかったんだよ! 人並みにはできてんじゃないかって、思ってたんだよ……」
ひざが折れて、ズボンが公園の砂まみれになる。
涙と鼻水で顔がぐちゃぐちゃになった。
自分が、なにをしゃべっているのかも、わからない。
「もう、おれが死にたいよ……。あのとき死んでりゃよかったんだ。首を吊って、そうだよ、あんとき死んでりゃこんな思い……」
「いいの? それで」
頭の上のほうに、カバネちゃんの声がただよう。
「じゃあその火事にでも飛びこんでくればぁ? ザンネンだなぁ、リョータロに手つだってもらうのはいろいろ楽しかったんだけど。ニンゲンにはできるかぎり生きててほしいけどぉ、
怒鳴りつけてやろうかと思ったのに、もう、ことばが出なかった。
頭のなかで、火が、燃えている。
そこで焼かれる人が見える。
それは、なぜかタケシさんのおばあちゃんだった。
つぎに自分のおばあちゃんにかわり、ふたりは交互にかわりながら、炎のなかで苦しみ、もだえている。
たえがたい苦痛に顔をゆがめて、おれに、たすけを求めている。
ひとしきりさけんだあと、ふたりは以前にたすけた男子高校生にかわり、ダンスをしていた若者たちに、女の子に、社長に、原さんに、いろいろな人にかわった。
たすけて、と。
さけんで、おれのほうに、炎のなかから手をのばしている。
おれは、だれだろうと、たすけなくちゃと、手をのばしかける。
しかし、やがてその炎のなかの人はミオナさんにかわった。
ミオナさんだけは、炎に苦しむこともなく、むしろその灼熱をしたがえるようにたたずんでおれのことをうすら笑っている。
炎はカッと爆発的に燃えひろがった。
天まで焼きつくし、その
知るかッ! だれが死んだってもう知るか!
人をたすけて、いろんなことがうまくいったような気がしてたけど、ぜんぶただの錯覚だったじゃないか。
結局仕事も勉強も、恋愛も、なにひとつ、うまくいかなかった、いやそれどころかまえよりももっともっとわるくなってるじゃないか。
人をたすけたって、べつに、いいことなんてない……
まっかにそまる
――いいんだ。
そう言いたげに、やさしく首をふる。
――もういいんだ。あんたは、もうじゅうぶんやったじゃないか。
おれは自分に都合のいい妄想をして、自分に都合のいいことばを、イメージのなかのタケシさんにしゃべらせた。
そうだよ。おれがたすけなくたって、ほかのだれかがたすけるかもしれない。
おれの代わりなんて、腐るほどいるはず――
「あんたでよかった。あんたがいてくれて、本当によかった」
あの日のことばがふとよみがえり、呼吸がつまる。
頭のなかに、白い空間がひろがって、なにもなくなる。
「…………ザーーーンネン。タイムオーバーぁぁぁ」
空中から、カバネちゃんの声が降りそそぐ。
「あーあ、その人が死んじゃうこと、確定しちゃったぁ」
おれの視界には、いま、公園の砂だけがひろがっている。
「……わかってると思うけど、ほかにたすけなんて来ないから、その人は死んじゃうんだよ。いまは、その人にとっては」
その視界のすみに、地面に降り立ったようなカバネちゃんの足が見える。
「リョータロしか、いないんだ」
顔をあげると、いつものニヤニヤとした笑い顔でもなく、いつか見せたおだやかな、天使を思わせるようなほほえみでもなく、ただ無表情におれのことを正面から見すえて、カバネちゃんがつぶやいた。
頬には、さっき引っかいてできたまっくろな、血を
吸いこまれて、なにも知覚できない
「……あと何分だ」
「アタシの話、聞いてたぁ?? もう時間切れですよぉ、その人の来世にこうご期待――」
「たぶんだけど、いままでおれにちゃんと時間教えたことなかっただろ。わざとギリギリまで引っ張って、おれがわたわたしてるのを見たかったからかわかんないけど、その
「……フヒッ」
カバネちゃんは笑って、まっすぐにある方角へ指をむける。
「いまなら、まだ間に合う。リョータロ次第だけどね」
それを聞いて、おれは走った。
涙と鼻水でぐちゃぐちゃになったあと、ちょっとカピカピになりはじめた顔のまま、涙とよだれでよごれた服のまま、走った。
両手には、買いすぎたスポーツドリンクをもっている。
手はまだぶるぶるとみっともなくふるえている気がする。
うるせぇ、うるせぇ、うるせぇ。
もうなんもかんもどうだっていいんだ、どうせあんとき死んでたんだ。
おれの代わりなんて腐るほどいるよ、そんなのわかってる。
ずっと考えてたんだ。
ほんとは、おれの代わりなんていないんじゃないかって。
そう信じたいって。
おれは、代わりのきかない存在なんじゃないかって。
でも、いるんだよ。
社会はべつにおれがいなくたってまわるんだよ。
歴史にもなんの影響もおよぼさないし、まわりの人の人生すら、ほとんどなんの影響もないんだよ。
だから、そんな本当のことを、自分よりも強い存在からハッキリと思い知らされるのが、たまらなかったんだ。
たまらなく苦しくてしかたなかったんだ。
こわかったんだ。
でも、この2カ月、走って、走って、走っていたらわかったこともちょっとだけある。
この足を、いまうごかせるのはおれしかいねぇんだ。
たったそんだけの話だよ、生きのびた2カ月でわかったのそんなもんかよ。
でも、「おまえの代わりなんて腐るほどいる」って、あの、おれをなにより打ちのめしたあのことばを、
おれだけは、おれに対して、受けいれちゃいけないんだ。
「おれの代わりなんて腐るほどいるから、うごかなくてもいい」なんて、
そんな言いわけをゆるしていたら、もう二度と足をうごかせなくなる。
生きていけなくなる――
生きてたっていいことねぇよ!
わかってる、生きてなきゃいけないわけじゃない。
でも、「おまえしかいない」って、またうそでもいいから言ってほしい。
「おまえがいてよかった」って。
みじめでなんにもいいところないおれのこと、だれかに肯定してほしいんだ。
おれもこのせかいにいていいんだって、思わせてほしい――
「娘がまだなかにいるの、だれかたすけて!」
「いま消防車よんでるから、冷静になって!」
燃えている家のまえで、もみあっているそんな声がきこえた。
おれはもっていたスポーツドリンクを頭にひっかぶって、炎のなかにつっこんでいく。
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