女性史料館の話 🏘️

上月くるを

女性史料館の話 🏘️





 日が暮れる前に川田へ帰りたいというユミエに、ちょっとほんの数分だけいい? 確認したヨウコは、山麓の農免道路のタイヤ履き替え用の待避所に車を乗り入れた。


 初冬の薄い日差しが傾きかけている飛騨山脈の山容自体は、むしろ深い藍に沈み、蔦や桜の紅葉や銀杏やポプラの黄葉が乾いた枯葉になりかけている前景と好対照で。


「この小さな村のどこかの家にね、ほんの三か月だけ隠棲していらしたみたいなの」

「森田草平との道行を新聞小説にされて傷ついた二十二歳のらいてう先生ですよね」


「そう。うら若い女性が男性社会の集中砲火を浴び、どんなに辛かったでしょうね」

「現代ならネットで拡散というところかしら、一方的に悪女のレッテルを貼られて」


「で、この高台から朝に夕に西の山脈をご覧になって、山頂に棲む雷鳥を想われた」

「それから三年後に発刊された『青鞜』の筆名・らいてうはそこから採られた……」


「古く後白河法皇が『しら山の松の木陰にかくろひてやすらにすめる らいの鳥かな』と詠まれた」「現在は長野・岐阜・富山の県鳥で国の天然記念物の信仰の鳥」


 眼下にはビルと民家がほどよく配置された美しい稲穂平の街並みが広がっている。

 車から降りたヨウコはひとまわり年少のユミエと肩を並べ、平塚らいてうを偲ぶ。

 

 


      🏞️




 今朝、稲穂駅前でユミエを拾ったヨウコは山麓線を走って分水嶺の街へ行った。

 そこには平塚らいてう(はる)の孫弟子に当たる女性の社会活動家が住んでいる。


 コロナ感染の間隙を縫って相当高齢なフユさんの元気なうちに会いに行ったのだ。

 祖母・娘・孫娘というほど歳の離れた三人は東京の雑誌社の座談会で知り合った。


 会場は当時はまだ活発に活動していたヨウコの事務所、聡明な女性編集長の司会でほぼまる一日をかけ、一部男性に毛ぎらいされる(笑)ジェンダー論を話し合った。


 そのときフユさんが自分の住む街に女性史料館の建設を計画していると打ち明けてくださり、若いヨウコとユミエが中心になって運営して欲しいと言ってくださった。


 表に出ない黒子ならばとお答えしたのだが、その後も折に触れ建設候補地の話や、議会や行政にサポートを掛け合っているとご連絡くださっていたがコロナで……。


「いえいえ、わたしは絶対に諦めないわよ。だからあなた方もそのつもりでいてね」子と孫が逆に励まされたが、社会が復活するまで、お元気でいてくださるだろうか。


 テレビ番組で「足袋つぐやノラともならず教師妻 杉田久女」について「この句、きらい。教師妻の何が不足なのよねえ」と言い放った女性俳人と同年齢のフユさん。


 穏やかな笑顔を前に、同じ時代を生きて来ても、生来or後天的な平衡感覚によって南極と北極ほどの大差が生じることに、あらためて、畏敬の念を深める思いだった。


 



      💐




 日が傾くにつれて冷気が這い上がって来て、スニーカーのくるぶしを撫でてゆく。

 傷ついた鳥のように東京から逃げて来たらいてう先生はどんなに孤独だったろう。


 実際、自分には心の底から語り合える友がひとりもいなかったと書いておられる。

 時代を先駆ける人は孤独なのだ、そのあとにつづく、わたしたちの分までも……。


 「さあ、そろそろ行きましょう、特急の発車時刻に間に合わないといけないから」

 「そうですね、おかげさまで久びさに気の合う三人で楽しい時間を過ごせました」


 つぎはいつと約束できない現実が歯がゆいが、これもまたこの時代の側面だろう。

 ユミエとヨウコを乗せた車は、左手に夕景の稲穂平を眺めながら駅へとひた走る。





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