第六章 世界最強の魔法使い、やっぱり物理の方が強い

第二十六話 突撃、魔王城

 何日かけて歩いただろう。心身ともに疲弊しきった身体は重く、もう時間間隔も曖昧で、自分がどこを歩いているのかすらわからなくなっている。視界の端に三人の仲間の姿がちらついているので、どうやら今のところ脱落者はいないようだ。


 魔族の男と対峙して以降、魔物との戦闘は一度もおこなっていない。まるでそれまでの激戦が嘘であったかのように、ここまでの道中、魔物の軍勢は一切配置されていなかったのである。誰の妨害を受けることもなく、雪山を越え、雪原を通り抜け、凍りついた河を渡り。それでも魔王上らしき城は見えて来ない。「騙されたか」という考えも頭に浮かんだが、そんなことをするくらいならば、あの場でとどめを刺されているはず。それに、接近を拒むのであれば、魔物が一切配置されていないというのは辻褄が合わない。結局のところ、これが魔王城への最短ルートなのだと、思わざるを得ないのだ。


 ディクシズじいさんの作ってくれた防寒具のおかげで、寒さはそれほど感じないものの、食料は底を突きかけている。ただでさえ、吹き付ける風が体力を奪うと言うのに、ここ数日はろくに食事も出来てない。あとは心が折れてしまえば、俺達は物言わぬ氷像と成り果てるだろう。今のところ誰も欠けていないというのは、最早奇跡としか言いようがなかった。


 雪に足を取られてバランスを崩し、思わず膝をつく。疲れ切った身体では、再び立ち上がるのも困難だ。こんな状態で魔王城に辿り着いたとして、果たして何が出来ると言うのか。ただでさえ絶望的な戦力差があるというのに、こちらは既に満身創痍。いつ切れてしまってもおかしくない程度の気力で、辛うじて踏ん張っているに過ぎない。魔法を使えば、邪魔な雪を一時的に消し去ることくらいは出来ようが、それをおこなうことを躊躇ためらっている自分がいる。もしかしたら俺自身が、心のどこかで、魔王城に辿り着くことを拒んでいるのかも知れない。


「何を馬鹿げたことを……」


 俺は膝に力を込めて、立ち上がった。こんなところで腐っていたところで、仲間を待たせるだけだ。長く立ち止まっていれば身体は冷える一方。それこそ命に関わる。何とか心を奮い立たせ、なだらかな上り坂を時間をかけて登り切ると、その先には大きな窪地くぼちが広がっているのが見えた。そしてそのほぼ中央。何故か雪に覆われていない部分に、城と呼んで構わないであろう巨大な構造物があるのがわかる。建築様式は人類のものとは異なっているように見えるが、たぶん間違いない。あれが、目指していた魔王城である。


 震える膝に鞭打って坂を下り、ついに魔王城の下までやって来た。見上げた先にあるのは、見たことのない建築様式だが、禍々しさは感じられない。本当にこれが魔王を象徴する城なのか。白い城壁はむしろ神々しさすら感じさせる。この城のどこかに、人類にとっての仇敵きゅうてきである魔王が存在しているということだ。


 思わず生唾なまつばを飲み込む。ついにここまで来てしまった。ここから先は本当の死地。一歩でも足を踏み入れれば、大よそ生きて帰ることは許されない。ここで何が起こるにせよ、ろくなことではないはずだ。


 いよいよ城の扉の前に立つ。大きな扉は、俺の身長の何倍も高さがあった。仲間達と視線を交わし、頷き合ってから、扉に手をかける。見た目に反し、扉は簡単に開くことが出来た。分厚く背の高い扉だというのに、全くと言っていいほど重さを感じない。まるで城内を守る必要がないと言わんばかりである。


 扉の向こうにも魔物の姿は見受けられない。そこには整然としたエントランスが広がっているだけで、そこだけ切り取って見れば、とても魔王が住まう城とは思えないほどだ。魔王がいるとすれば最深部だろうが、外観からでも城内がとても広いことがわかっている。道順がわからない以上、一つ一つしらみ潰しに通路を進んでみるしかないか。そんな風に思っていると、どこからともなく声が響いた。


『選ばれし者達よ、よくぞここまで辿り着いた。褒めて使わそう』


 先に遭遇した魔族の男とは違う声。重厚でより存在感の強いその声は、明らかにあの男よりも格上の風格を放っている。俺達の侵入を察知して、何らかの方法でここまで声を伝えているようだ。そんな権限を持っているとしたら、魔王か、それに次ぐ立場の者のはず。どちらであったにせよ、俺達はこれから彼、あるいは彼等と一戦交えなければならない。その結果がいかなものであったにせよ、ここまで辿り着いただけでも、人類としては快挙である。俺達が魔王城に向かったと知る者さえいたら、人類史に名を刻んでいただろう。尤も、俺達が今ここにいることを知る人間は、俺達自信しかいない訳だが。


『我が前に立つことを許す。使いの者を送る故、しばらく待つがよい』


 言い方から察するに、この声の主がこの城の城主――魔王なのだろうか。直接対面させて貰える上に、どうやら道案内まで付けてくれるようだ。てっきり大激闘の末に辿り着くものとばかり思っていたので、若干拍子抜けではある。しかし、ここは魔王城。魔王軍の最重要拠点なのだから、守りは鉄壁のはず。先の魔族の男と同等か、それ以上の力の持ち主が闊歩かっぽしていてもおかしくない。そう思えば、城主が直接対面に応じてくれるというのは破格の待遇だ。不意打ちが効くような相手ではないだろうが、目前まで簡単に近づけるというのは大きい。


 言われた通りしばらく待っていると、メイド服風の衣服に身を包んだ女性が現れた。女性は俺達の前まで来ると、深々と頭を下げて見せる。


「お初にお目にかかります、皆様方。わたくしはあるじよりこの城の美化をおおせつかっているメイベラと申します」


 どの所作しょさを取ってみても、一部の隙もない。美化、というくらいだから清掃とかその辺りの担当なのだろうが、そんな身分の者ですら、先の魔族の男に並ぶ実力を持っていそうな気配である。とりあえずこちらも礼を返すと、女性は道を示すように右手を持ち上げ、にこりと微笑んだ。


「我があるじがお待ちですので。どうぞこちらへ」


 魔族とおぼしき女性――メイベラの後に続き、城内を進む。途中、城内を警備しているのであろう魔物とすれ違うが、その者達はこちらに一礼するだけで、攻撃を仕掛けてくる様子はない。メイベラが一緒にいるからか、それとも城主の意向が城内全ての魔物に伝わっているのか。とにかく、気味が悪いほどの好待遇だ。


 どのくらい歩いただろうか。いくつもの廊下を渡り、階段を上がって。辿り着いたのは、またしても大きな扉の前。美しい装飾が施されたその扉は、いかにも身分の高い者との謁見に使う部屋の前にあるそれである。


 メイベラは扉の開閉の邪魔にならないようになのか、扉の脇に控え、もう一度深く頭を下げた。


「わたくしがご案内出来るのはここまでです。扉の向こうは謁見の間となっておりますので、どうか粗相のございませんよう」


 それっきり、メイベラはピクリとも動かなくなる。恐らく声をかけても、同じような返答があるだけだろう。つまり、自分達で扉を開けて、中に入れということだ。まだ今一つ状況を受け入れられていないものの、ここで時間をかけていてもあまり意味がない。俺は仲間達に視線で合図をして、扉に手をかけた。


 城に入る時と同様、重さを感じない扉は簡単に開き、先への道を示してくれる。扉を越えると、その先には広い空間が広がっており、その向こうに階段、そして更に奥に玉座に当るのであろう椅子が見えた。まだ玉座の周囲には誰もいない。恐らく俺達が位置に着いてから、姿を見せるのであろう。


 荘厳な造りの部屋を、奥へ奥へと進んで行く。そして階段の少し手前で立ち止まると、急に室内に配置された魔法灯らしきものに明かりが灯った。そちらに気を取られ、玉座の方から一瞬目を逸らす。すると次の瞬間。玉座の方から女性の声が降って来た。


「平伏せよ! 我等があるじ御前ごぜんである!」


 咄嗟に見上げると、玉座には男、その脇には騎士風の鎧に身を包んだ女性の姿がある。この距離では玉座に座る男の顔までは伺うことは出来ない。が、その圧倒的存在感は、俺達に頭を垂れさせるには充分だった。これは直接視界に入れていいようなものではない。神々しさとおぞましさ。その両方を凝縮したかのような、濃密な気配。戦いを挑むなどもってのほか。そう思わせるような、強烈な死の香りをまとっている。


「よくぞ心折れることなく我が前に辿り着いた。選ばれし者達よ」


 城に来て最初に聞いた声と同じ声だ。つまり、この男がこの城の城主――すなわち魔王である。


「来て早々で悪いが、もうしばし待て。残りの選ばれし者を、今配下の者に連れて来させる」


 残りの選ばれし者――と言うと、東の大陸に残っていたはずの勇者パーティーの他のメンツだろうか。北の大陸に上陸してから、他の戦場の情報を収集している暇がなかったので、気にはなっていたのだが。


「出来れば自力で到達して欲しかったがな。私も気がいているのかも知れん」


 しばらくそのまま頭を垂れて待ていると、突如として魔法陣が展開する。これはたぶん、空間転移系の魔法だ。何者かが、この場所に直接乗り込んで来ようとしている。


 転移魔法陣が光を放ち、その向こうから何者かが姿を現した。武骨な鎧に身を包んだ大柄の男。その脇に抱えられているのは、勇者様と、ガイズ、そして俺の代わりに勇者パーティー入りしたあいつである。


「おい、バーズレット! 直接玉座の間に転移とは、不敬にも程があるぞ!」


 女性騎士が声を張るが、大男はどこ吹く風。三人を目の前に放ると、手の汚れを落すかのようにパンパンと手をはたいた。


「ヴェスカーナ、俺は主より急ぐようにとめいを受けた。それを実行したまでのこと。一々文句を言うな」


 一通り汚れをはたき終えたのか、大男――バーズレットは玉座に向かって膝をつく。そしてうやうやしくこうべを垂れながら、こう言った。


「ご命令通り、残りの選ばれし者をお連れいたしました。我があるじよ」

「ご苦労だった、バーズレット。下がってよいぞ」

「お待ちください、我があるじよ! バーズレットの不敬をお許しになるのですか!?」

「私がそう命じたのだ。バーズレットにはあるまい」


 それを聞いた女性騎士――ヴェスカーナは力なくこうべを垂れる。それだけ絶対的な上下関係が、そこにはあるのだろう。


「申し訳ございませんでした、我があるじ。全ては御身おんみの意思のままに」


 それを耳にした魔王は再びこちらに視線を向けた。正確には、そうしたのがわかっただけで、実際にこの目で確認した訳ではないのだが。


「待たせたな、選ばれし者達よ。これで全ての欠片が揃った。少々想定と違うこともあるようだが、これは誤差の範囲と見ていいだろう」


 一体何を言っているのか。全く話が見えて来ない。


「儀式に入る前に、器の出来を見ておくか。ヴェスカーナ」

「御意」


 ヴェスカーナが腰から下げた剣を抜き放ちながら階段を下りてくる。器とはどういう意味なのか。儀式とはいったい。何もわからない中で唯一間違いないと言い切れるのは、これから俺達はヴェスカーナと戦うことになるということ。彼女はどう考えても魔王の側近だ。先の魔族の男よりも、間違いなく強い。そんな相手が、俺達に差し向けられた。それが何を意味するのか、それがわからない者はこの場にはいないだろう。


「スフレ! 倒れてる三人を起こせ!」


 彼らが加わったところで、戦力の増強にはならないだろう。それでも今はり好みをしている場合ではない。少しでも多くの戦力を導入するしか、俺達に道は残されていないのだから。

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