第二十五話 絶望とともに歩む道

 魔族の男は、いまだににこやかな笑みを浮かべている。こいつからしたら、これは戦いですらないのだろう。それも当然だ。それくらいの実力差があるのだから。


「抵抗しても構いませんが、その分苦しむことになります。出来るならば無条件に死を受け入れてください」


 男がゆっくりと右手を上げる。その手の平の上には、小さな灯火ともしびが揺らめいていた。それを見た瞬間。背筋に悪寒が走る。


「全員俺の後ろに退避しろ!」


 俺は叫びつつ、超高速詠唱で氷系統の神代魔法――スプリットアイスストリームを魔族の男目がけて放った。本来であれば、目の前の全てを凍てつかせ、永遠の眠りへといざなう魔法である。しかし男の手にした灯火が不意に煌くと、俺の放った魔法は瞬時に蒸発し、変わりに灼熱の業火ごうかが俺達の周囲を包んだ。


「おやおや~。創生そうせい魔法はご存知でない。は神代魔法程度の冷気では防げませんよ?」


 創生魔法。それは古き神々がこの世界を造る際に使用したとされる、最古の魔法を指す。神々の叡智で紡がれているため、人の言語での名はなく、詠唱も存在しない。人類が手にすることが出来なかった、究極の魔法。その一つが、いわゆると仮の名で呼ばれる、火系統魔法の最上位だ。俺も里にあった古い文献で読んだだけで、実際に見たのは、これが初めてになる。俺達が今生きているのは、ひとえに男の匙加減のおかげだ。決して俺の魔法を効果ではない。そうでなければ、今頃俺達は、全員塵一つ残さずに燃え尽きていただろう。


「しかしながら、仲間を守らんとするその気概は実によいですね~。わたくし感激いたしました。なので――」


 瞬間。男の姿が消えた。動く予兆などは全く見られなかったのに、唐突に男は姿をくらませたのだ。


「少しだけ本気を出させていただきます」


 耳元で囁くような声。咄嗟に声のした方に顔を向けるが、男の姿はない。この時の俺は絶望に飲まれ、完全に失念していた。男の狙いは最初から俺達パーティーではない。先ほど男が言っていたの人間。すなわち、ライゼンなのだということを。


 気がついた時には、真っ赤な血の花が咲いていた。どうやったのかはわからない。殴られた様子も、切り裂かれた様子もなかった。それなのに、突如ライゼンの身体が弾けたのだ。まるで水の入った皮袋が強い衝撃を受けて弾けたような、そんな最後。以前同じような光景を見た気がする。あれは確か、封印術で魔法を封じられ、俺の身体能力が開放された時のことだ。


 しかし、あの時と今では状況がまるで違う。以前は対して強くもない盗賊――要するに雑魚だったが、今目の前にいたのは世界でも指折りの冒険者。世界で三番目に強いとされていた男が、あの時の盗賊と同じような死に方をするなど、誰が考えていただろうか。


 飛び散った血や肉片が、俺達に降りかかる。俺を始め、パーティーの誰も動けずにいた。悲鳴を上げることも、泣き崩れることも出来ない。みな目を見開きながら、小刻みに肩を震わせている。


「これでわたくしに課せられた役割オーダーは終了しました。残った皆様におかれましては、このまま北東に進んでいただきたく思います。そこに我等が居城――あなた方が仮称魔王城と呼んでいる城がございますので」


 この男は一体何を言っているのか。自ら敵に居城の場所を教えるなど、本来であれば考えられない。


「ああ~、そうそう。くれぐれも、有象無象はお連れになりませんよう。我等が城主がお望みなのはここにいる皆様方のみ。他の人間は、連れて来たところで死体が増えるだけですよ」


 それだけ言うと、魔族の男はふわりと浮き上がり、北東の方向へと飛び去った。既に陽は完全に山陰に隠れ、辺りには夜のとばりりつつある。男の姿が闇に紛れ、見えなくなってようやく、俺は大きく息をついた。それでも強張った体はほぐれず、無意識に握り締めていた拳は指先が白くなっている。


 周囲には死体、死体、また死体。暗がりの中でもなお目立つ赤が、視界を埋め尽くしている。弾け飛んでしまったライゼン以外は大体原形を留めているが、その顔に浮かんでいるのは絶望の色ばかり。既に死後の硬直が始まっているらしいアザレイの身体は、時間が経っているにも関わらず立ち尽くしたまま。恐らく自分が魔族の攻撃で死んでしまったことにも気づいていないかも知れない。


 次いで仲間達に目を向けると、彼女達もようやく息をすることを思い出したと言った感じで、荒い呼吸を続けていた。心身ともに疲弊しきってはいるものの、命までは取られていない。これが魔族の男が言っていた、選ばれし者とそうでない者の扱いの差なのか。


 呼吸を重ねたことで多少の思考力が戻っていたからか、俺はこんなことを考え始める。


 選ばれし者とそうでないものがいるのはわかった。となれば、選ばれし者というのは、一体誰に選ばれたのだろう。女神アルヴェリュートか、それとも魔王か。あの男はそこに関しては口にしなかった。口にする権限がないと言っていたので、口にしなかっただけで真実を知っていた可能性はある。とは言え、不用意に話を聞き出せるような相手でなかったのは事実。そういった駆け引きをするには、分が悪過ぎた。


 俺は北東の空に目を向ける。魔族の男の姿はとうに見えないが、あの方向に仮称――いや、もう仮称と呼ぶ必要はないか。あの男が城だと言っていたのだから、魔王城と呼称してしまって問題ないだろう。その魔王城が、北東の方角にある。この位置から見えるのは連なった山だけだが、どれくらいの距離があるのだろうか。流石に距離が離れ過ぎているからか、ここからでは雰囲気を感じ取ることも叶わない。


「ディル……」


 声をかけて来たのはノルだ。彼女もまた、ライゼンの血肉を浴びて、全身真っ赤だった。


「これからどうする」


 どうすると聞いているようでいて、その言葉には諦めの色が透けて見える。無理からぬことだ。七天に名を連ねる二人ですら、手も足も出なかったどころか、抵抗する暇も与えられなかったのである。しかもその相手ですら、せいぜいが覇級。その上に絶級と神級が控えていると思うと、それだけで目の前が真っ暗になる。


「逆に聞くけど、ここで引いたとして、後はどうする?」


 俺の言葉に、ノルはただ視線を落とした。彼女も頭ではわかっているのだ。魔王城に向かう以外、道がないことを。しかし、刻み込まれた恐怖がそれを邪魔している。身体は強張り、心は折れ、向かう先には希望の欠片すらない。そんな状況で前に進める人間が、果たしてこの世に存在するのだろうか。


「私は! 正直もう帰りたい……」


 スフレの目にも、いつもの輝きは見て取れなかった。彼女も、ライゼンの血肉で顔も服も真っ赤に染まっていた。


「どうせみんな死んじゃうなら、せめて最後くらい家族と……ディルと一緒に……」


 淡い妄想で現実逃避するのは、追い込まれた人間にはよく見られる行動である。俺だって、どうせ勝ち目がないのなら、死ぬ前にもう一度家族や師匠の顔を拝んでおきたいという気持ちがあった。


「ラキュルは?」


 俺が尋ねると、他の二人と同様、全身真っ赤に染まったラキュルは、びくりと肩を震わせてから、こう答える。


「私は……、正直よくわかりません。家族とはこの間会ったばかりですし」


 視線がフラフラと右に左に流れて定まらない。それだけ動揺しているということだろう。


「なので、私はディレイドさんの決定に従います。元々ディレイドさんに救われた身ですし、最後くらいディレイドさんの役に立ちたいので」


 役に立つ立たないで言うのなら、もう既に充分に役立ってくれているのだが、どうやら彼女は満足していないようだ。


「それじゃあ、俺がこのまま魔王城を目指すって言ったら?」

「ついて行きます。どこまでも」


 そう言って、ラキュルは顔にかかった血を、服の袖でぬぐい取る。元気が戻ったと言うには程遠いものの、その目には確かな覚悟が見て取れた。


 俺は目を閉じて考える。この先、魔王城を目指すのであれば、あの男以上の魔族との対決も考えられるだろう。そうなった時、俺はみんなを守れるのだろうか。神代魔法ですら全く歯が立たない相手に対して、俺が出来ることはあまりにも少ない。真っ先に俺がやられるという場合すら考えられる。多少他人ひとより頑丈だとは言え、それはあくまで人間の中での話。あんな規格外の化物とは比べるべくもないはずだ。


 ここで思い起こすのは二百年前の勇者パーティーのこと。二百年前の勇者パーティーは、どのような手段を持って魔王と対峙したのか。パーティーに封印術師がいたというのであれば、少なくともそれは使うことを前提としていたはず。ならば、魔法の支援がない状況で、魔王と渡り合うすべを持っていたことになる。結果的に敗北してはいるものの、無策で挑んだ訳ではない。そこには必ず、勝利を得られるという確信があったはずなのだ。


 やはり情報が圧倒的に不足している。二百年前にはあって、今はないもの。その正体がわかれば、あるいは勝機が見えて来るかも知れないのに。


 ここで俺は考えるのをやめ、顔にかかったライゼンの血を手の平でぬぐった。思考を巡らせているだけではどうにもならない。どの道破滅が待っていると言うのなら、最後まで足掻いてからの方が俺らしいのではないだろうか。少なくとも、途中で諦めて膝をつくというような教育は、師匠からは受けていない。すぼらだが、言うことは一々正しかった師匠のことだ。この局面で諦めるような俺を見たら、即行で渾身の拳が飛んで来るに違いないのだから。


 俺は両頬を両手の平で張って気合を入れ直す。それを見ていたスフレとノルの二人も、顔に降りかかった血肉をそれぞれ拭き取った。流石に衣服についた血まではどうにもならないが、わざわざそれを落としている場合でもない。


 立ちっぱなしだったアザレイの遺体をその場で寝かせてやり、この場で戦死した者達に黙祷を捧げた。本当はもっとちゃんとしたとむらいをしてやりたいところだが、今は一刻の時間も惜しい。今この瞬間も、各地で打倒魔王軍のために奮戦している者達がいる。その者達が一人でも多く生き残れるよう、俺達が彼等の代わりに前に進むのだ。


「行くぞ、みんな。先に散って行ったみんなのために、そして今も戦っているみんなのために、何より俺達が後悔しないために。俺達は俺達の最善を尽くそう」


 三人が頷いたのを確認してから、俺は北東方面に足を進めた。決して恐怖が消えた訳ではない。足は震え、視界は揺らぎ、呼吸は浅く速くなる。それでも俺達は前に進んだ。いずれ来る最後の時。いざその瞬間になって後悔をしないように。


 明るい未来なんて望んでいない。考えるべきは今この瞬間をどう生きるかだ。もしこの先も人生が続くのであれば、その先の自分に恥じない今を。例え暗闇に包まれていても、燃え盛るような今を生き抜く。ただその決意だけが、俺達の歩みを進めていた。


 進むのは絶望の淵。希望の光など届く訳もないこの道を、俺達はひたすらに進み続ける。最早互いに語る言葉もなく、ただ一心に、向かう先だけを見据えて。

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