第3話 舌を肥えさせ戻れない体にする悪役

銀色小鳩様からいただいた設定:

③おいしいものを食べにいくのに付き合わせ、相手の舌を肥えさせ、もう戻れない体にする。

https://twitter.com/rLYde3rus2cjqSd/status/1591057467441836032?s=20&t=UelNN10t8i9PsnPLmUIItw


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 仕事で大失敗をして、人が少なくなったオフィスでしょんぼりとしていたら、「先輩、ご飯行きましょう」とましろが誘ってくれた。彼女に腕を引っ張られてやって来たのは、会社の裏にある小さな定食屋さんだった。


 「ここ、夜もやってたんだね」

 「そうなんです、先輩。意外と穴場なんです」


 ましろが慣れたように注文をしていく。お店の人によるとおすすめは白子らしい。

 開いたメニューをパタリと閉じながら、ましろがしんみりと言う。


 「白子が食べられるなんて、もう冬なんですね」

 「そっか……。ましろがうちの会社にやってきて1年になるのか」

 「ご指導ご鞭撻、ありがとうございます先輩。今後ともよろしくお願い申し上げそうろうです」

 「日本語おかしいよ」

 「あはは。懐かしいです、そのツッコミ。大学の頃から変わっていませんね、先輩と私は」

 「そうだね……」


 変わってはいる。私はいらなくなった婚約指輪をいまだに捨てられずにいる。あれから信じていたものに裏切られることに慣れてしまった。この子だっていつか……。


 「さあ、やってきました。まずは、この店のシグネチャー、焼き白子です!」

 「……焼き?」


 いつもは小鉢に盛られてポン酢で食べるような白子が、皿の上でこんがりと焼かれている。きれいな焦げ目がなんとも食欲をそそる。


 「さあ、いっちゃってください」


 箸で切り分けようとするが、繋がっている皮がなかなか切れない。えいっと切ったら、白いものがとろりとあふれだした。あわてて口の中に運ぶ。


 「はふっ、はふっ、なにこれ、めちゃくちゃおいしい……」


 濃厚でクリーミー、臭みがない白子に、香ばしい香りと味が加わる。ゆでたものは皮がぐにゃりとしてぷちゅという音を立てる感じがするけれど、焼いたこれは、もう少しパリっとしていて、嫌な感じがしない。グラタンのおいしいところ? と思ったのに、乳製品では出せない白子のうま味が、それを否定する。


 「なんかすごいね、これ」

 「えっへん。そうでしょ?」

 「よくこんなの見つけたね」

 「私、食べ歩きが趣味なんです。私をお嫁さんにすると、おいしいものをたくさん食べられますよ」

 「そうだな……。旦那さんは幸せだろうな」


 そう言いながら、白子をつまむ。その幸せな味にうっとりとする。


 「……良かった。先輩。笑顔になって」

 「心配させるほど落ち込んでた?」

 「ええ、もう。顔真っ青でしたよ」

 「気を使わせてごめんな」

 「そんなときはおいしいものを食べるのが一番です。『こうふく』って、口に福って書くんです」

 「それ、字が間違ってる」

 「ええーっ、そうだったんですか?」

 「おまえは……」

 「はは、あはは」

 「くふふ。ははは」


 久しぶりに心から笑った。


 あの日以来、ましろは私をよくご飯へ誘ってくれて、ふたりでいろいろなものを食べるようになった。

 中華、和食、洋食、お好み焼き、お寿司、インド料理、タイ料理、アラブ料理、スペイン料理、フランス料理……。


 それに気がついたのは、穴倉のようなイタリア料理店で、小さなテーブルをふたりで囲んでいるときだった。


 「……なあ、ましろ。もう毎日の日課になってるよね。いっしょにご飯食べるの……」

 「あはは、バレちゃいましたか」

 「おいしいけど、私なんかにつきあわせて、なんか悪いよ」

 「もう食べるの飽きちゃいましたか?」


 私はフォークに刺さったイイダコのトマト煮を口に入れて、その柔らかさとコクのある味を堪能してから言った。


 「ぜんぜん、そんなことはないよ。まだ食べ足りないぐらい」

 「じゃ、これとかどうです?」

 「……指?」

 「そう、私の人差し指です」

 「待ってよ、冗談……」

 「私、遺伝子に欠陥があって。体からイノシン酸とグルタミン酸が大量に分泌されているんです」

 「……え?」

 「舐めたらわかりますよ?」


 悩んだ。からかわれている。でも、本当だったら……。


 テーブルに少し身を乗り、彼女の指を咥える。


 「ふぬっ!!!」


 脳天に直接届く味だった。だしを何倍も濃縮した味が、舐めただけで頭を揺さぶる。よだれがあふれだしてたまらない。もっと欲しいと体の奥底にあった欲望が瞬時に湧き上がる。

 抑えられなかった。

 いつのまにかテーブルに乗り上げていた。落ちたグラスから赤いワインが血のように飛び散った。


 「先輩ったら。がっつき過ぎです」

 「……ごめん。でも! でもさ……」

 「もう、そんなに物欲しそうな顔をしないでください。先輩が良ければ、もっと味わっていいんですよ? 私の体液なんか、それはもう……」

 「……待て。待って。私達は……」

 「いいじゃないですか。女同士、一線を越えても」

 「何を言って……」

 「先輩の肥えた舌はもう欲しがりさんです。おいしいものを食べたくてたまらない。悩んでも結論は変わらないと思いますけど?」

 「おいしかったよ、でも……」

 「私はあの人のように裏切りません。先輩が私を認めていてくれる限りは」


 私は「なぜ、それを」という言葉を飲み込む。ましろに騙されていた。たぶん、それはずっと前から……。


 「あの人も欲しがりさんでしたけれど、先輩と別れさせたとたんに気がふれちゃいましたね。用事は済んだから、もう舐めさせてあげないって、私が言ったせいでしょうか……」

 「ましろ……」

 「さあ、先輩。選んでください」


 彼女の目が細くなり、堕落した私をうっとりと見つめる。赤く染まった唇が誘うように開く。


 「食べられるのがお好みですか? それとも食べるほうですか?」


 そう言いながらゆっくりと右手を私へと差し出す。その手を取ってはいけなかった。それは私の幸せを破壊した。でも、いまは……。

 体がそれを求めるようにゆっくりと動いていく。


 「あはは、先輩。そっちでしたか」

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