第29話 少女と王様 #4
厩舎に戻ると、チコは慌ただしく準備を整え、パドックへ俺を連れて行ったが、装鞍はドジるし、手綱はつけ間違えるしで大変だった。
挙げ句の果てに、パドックを逆回しさせる始末で、ワラフからも叱られた。
俺たちの厩舎は人手が足りないから、騎手のチコが厩務員の役目も務める必要がある。
パドックという小さなトラックで、俺を観客を見せるのも彼女の仕事だったが、普段の堂々としたふるまいはまるでなくて、ハラハラさせられた。
騎乗してからも、ふらふらしていて、バランスを崩して、危うく落ちそうになった。
これはヤバい。何とかしねえと。
くそっ。これが人だったら。声をかけてなんとかしてやるのに。
考えているうちに、いつしか発走の時間となってしまった。
ゲートの後に出走馬が集まって輪になって待機している。
頭数は二十頭。この多さも気になる。
チラリと横を見ると、ヨークがこちらを見ていた。何か言いたそうにしている。
さすがに、チコの様子がおかしいことに気づいているか。
俺は寄っていこうとしたが、チコが手綱を引っぱって、それを阻止した。
嫌なのかよ。いや、そんな場合じゃねえだろ。
俺が首を振って、このままじゃ駄目と意思表示する。だが、伝わった気配はなく、そこで俺の願いを打ち消すかのように、出走時間を告げるファンフーレが響いた。
王様直属の儀仗兵が並んで、ラッパに似た楽器を鳴らす。
高らかな音色に、緊張感が高まる。
騎手に操られて、各馬は横に並ぶ。
俺たちは10番なので、おおよそ真ん中の位置につける。
チコを見ると、視線は前を向いているが、まったく集中していねえ。おい。しっかりしてくれ。
俺が合図をするよりも早く、ロープがあがった。
スタートだ。
待っていた連中は、いっせいに飛び出していく。
俺は出遅れた。気を散らしすぎた。
はっと息を呑んで、チコも手綱を振る。完全に見ていない。
とんでもなく出遅れて、俺たちは最初の直線に入った。
想定外の位置もいいところだ。前に行くように言われたのに。
「行かないと」
一コーナーに入ったところで、チコは馬群の外を通って順位をあがっていく。
馬鹿、何をやっているんだ。無茶をするな。
ペースは明らかに速い。こんな所であがっていったら、おかしなことになるぞ。
俺は首を振って、不服従を告げたが、チコは気にせず、手綱をしごく。
くそっ。身体が勝手に前に行きやがる。
向こう正面に入ったところで、ヨークのウマを抜く。
ヨーク表情には、驚きがあった。まさか、こんな所であがっていくとは思わなかったのだろう。
無理したおかげで、順位は十番手ぐらいになった。
ここから先は、ウマが団子状態になっている。さすがに大レースだけあって、隙がねえ。
騎手の腕もいい。きちんと流れを読んでいる。
ここは、無理しちゃいけねえ。
控えて、流れが変わるのを待つ。
勝負所で、誰かが動く。それを見てから仕掛ける。
それで十分に間に合う。
俺が周囲を見回したその時、チコが内に入るように指示を出した。
一番、馬の壁が厚いところだ。
「このままじゃ届かない」
つぶやきが聞こえる。
出遅れたことを気にして、最短距離を回るつもりか。
無茶だ。そんなところに突っ込んでも……。
チコが無理をして、内に入ったおかげで、流れが乱れた。俺だけがレースから切り離されて、一人で走っているような感じになる。誰ともかみ合っていない。
ヤバい。
流れから外れることほど、怖いものはない。
どこから何が飛んでくるのかわからねえ。どこに突っ込むのかも見えねえ。
チコ、落ち着け。回りを見ろ。呼吸を合わせるんだ。
そんな俺の思いを無視して、チコはさらに内に突っ込んでいく。
なんだよ、お前、そんな見えない奴じゃないだろう。
動揺がひどすぎる。何とかしないと。
四コーナーを回って、そろそろ直線。ほかのウマも仕掛けていく。
先頭のウマがバテたのか下がってくる。
そのせいで、内にわずかな隙間ができる。だが、狭い。
チコは、そこに頭を向ける。
「勝つんだ。ここで、あたしは!」
すぐ前のウマが内に寄ってくる。もう道はない。
「危ない!」
ヨークの声に、ようやくチコは危険が迫っていることに気づいた。あわてて、
スピードを落とそうとするが、間に合わない。
馬体をぶつけられて、チコはふらつく。
駄目だ。落ちる。
せめて、コースの内側に落とさねえと。
俺は身体を横に振って、チコを意図的に振り落とした。
その代わりに、バランスを失う。
目の前に迫ってきたのは、コース内側にしつらえれた柵だった。
すさまじい衝撃が来て、俺は意識を失った。
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