第16話 デビュー! #5

 うひょー。最高だぜ。


 俺が大きく息を吸い込むのと、チコの手に軽く力が入る。勝利を確信してのことだろうが、それほど大きな動きではなかった。


 徐々にスピードを落として、俺たちは一コーナーを過ぎたところで止まった。そこで、チコが俺の首を軽く叩いた。


「よくがんばった。君はすごいよ」


 えへへ。それほどでもねえよ。


 まあ、あの一瞬の隙を突けたのは、俺の瞬発力があってこそだがな。この切れ味、あのディープインパクト様にも負けねえぜ。

 足元を見て、異常がないのを確認したところで、チコは馬首を返す。


「おめでとう。うまく乗ったね」


 やさしげな声に顔を向けると、ヨークがウマを寄せてくるところだった。


「いきなりの騎乗で勝利なんて、すごいね」

「ありがとう。でも、たまたまだよ。勝てたのは、この子のおかげ」


 チコは俺のたてがみをなでた。


「あたしは、ただ捕まっていただけ」

「そんなことはないさ。レースははじめてなのに、慌てることもなく、しっかり流れに乗っていた。コーナーワークもよかったし」

「そうかな」

「何より、あの直線。開いた一頭分をためらうことなく突いた。あれはすごかったよ」


 ヨークは小さく笑う。口元には、ほんの少しだが、悔しさが漂っている。


「僕はずっと後ろにいたけれど、かわせなかった。もうちょっとうまく仕掛けていればよかったよ」


 何を言っていやがる。お前は最高の騎乗をしたよ。


 俺をマークしながら、最短距離で外に出して、そのまま追い出した。馬群を割ってからの伸びはさすがで、きっちり追いついて、二着をキープしたじゃねえか。


 多分、最初に俺が示したコースを走っていたら、こいつにやられていた。勝てたのは、無駄なく内を回ったからだ。


「あそこが開くってわかっていたのかい」


 ヨークの目が光る。いつもと違う勝負師の目だ。


「うん、なんとなくね」


 チコは淡々と応じた。


「5番が目一杯になって下がるのはわかっていたから。四コーナーを回る時には、6番が強気に仕掛けていたし。流れが組み合わされば、空くのはあそこしかないだろうって思っていた」


 なんてことだ。チコはレースの流れを完璧に見きって、あそこが開くとわかっていたのか。四コーナーを回っている時から。


 天才かよ。


「どうしたの?」


 チコが不思議そうに尋ねる。


 こいつ、自分が何を言っているのかわかっていねえ。常人にはできねえ、とんでもないことをやってのけたんだが、まったく自覚がないらしい。


 うわー、まいったね。天然の天才かよ。


 ヨークは一瞬だけ顔をゆがめたが、すぐに笑顔を浮かべて声をかけた。


「何でもないよ。戻ろう。皆が待っている」


 連れだって装鞍所に帰ってくると、ミーナが手を振って駆けよってきた。チコが馬から降りると、即座に抱きついてくる。


「やったね、チコ。夢が叶ったね」

「う、うん。そうだね」

「どうしたの。うれしくないの」


 ミーナが見あげると、チコは首をひねる。


「なんて言うのかな。急すぎてよくわからない感じ。心の準備をする時間もなかったからね」

「そうかもね。準備期間があった方が喜びを噛みしめられたかも」

「その分、緊張したかもしれないけれどね」


 ワラフが歩み寄ってくるのを見て、チコはその顔を見つめた。


「じいちゃん」

「どうだった?」

「うん。この子は大丈夫。どこもおかしいところはないよ。後で足はチェックした方がいいと思うけれど、戻ってくる時にも歩様の乱れはなかったし」

「そういうことじゃない。レースに乗ってどうだったと聞いている」

「え?」

「楽しかったか」


 ワラフの目はやさしい。それは、孫娘を慈しむ祖父のものだ。


 暖かい気持ちが伝わってくる。それを察したのか、チコは今日一番の笑顔を浮かべて応じた。


「うん。楽しかった」


 そうよ。それよ。ウマに乗って楽しむことができれば、それでいい。


 もうお前は、一人前のジョッキーだ。


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