第二十一話 残夏



 辺りはすっかり暗くなり、宵闇の頃。喧騒から離れ、私と伊田さんは人気のない公園に来ていた。


 唯一の明かりである古びた電灯が、周囲を照らす。砂場や滑り台、ブランコという基本的なラインナップの小さな公園だ。

 年季の入った木製ベンチに腰掛け、持ってきた花火や道具を置く。


「もう、夏も終わりですね」

 ふと、私はそんなことを呟く。もちろん日付という意味でもそうだが、不規則にそよぐ心地よい風が、私をそんな気分にさせてくれたからだ。

「そうですね。気づいたら夏休みも、あと少しか……」

 残念そうに、伊田さんが空を見上げながらぼやく。

 私たち学生にとって、この貴重な夏休みが終わってしまうことは、まるで長年連れ添った愛犬が死んでしまったかのような、そんな喪失感があるからだろう。


 いや、流石に言い過ぎか。


「学校……面倒ですよね」

 そんな伊田さんの言葉に対し、素直に同調する。出来ることなら、一生夏休みであってほしい。

「でも、伊田さんは友達が多くて楽しそうじゃないですか」

 一瞬、忘れていたことを思い出し、すぐさま反論する。

 そういえば、この人は私と違って陽の者だった。学校なんて、きっと楽しいに違いない。

「いや、確かに楽しいですけど、勉強が……」

「それは……努力不足ですね」

 楽しいという部分を否定しなかったので、私はとりあえず冷たくあしらうことにした。


 もちろん、ただの僻みである。


「さて、そろそろ支度しますか」

 お店から持ってきたアルミ製の小さなバケツを片手に、私は公園の蛇口で水を溜める。

「伊田さんは、どんな花火が好きなんですか」

「どんな花火……あ、ねずみ花火とか面白いですよね」

「ねずみ花火……」

 ふと、以前武藤さんが言っていた言葉を思い出してしまった。


「MYねずみ花火……」


 ふと、隣で花火の封を開けたり準備している伊田さんの、一部分に視線が向く。


「え?」

 言葉の意味が分からなかったのだろう。伊田さんが、鳩が豆鉄砲を食ったような表情をしている。

 私はすぐさま視線を逸らし、話を続ける。

「な、何でもありません。とある未婚女子の、理解しがたい呟きを思い出しただけです」

「は、はぁ……?」

「さ、準備は出来ましたよ、何からやりますか?」

 強引に話を終わらせて、花火を物色し始める私。

「じゃあまずは、さっき話題にあがった、ねずみ花火でも……」

「ね、ねずみ花火……」

 それを聞いただけで、笑いが込み上げてしまう。これも全て武藤さんのせいだ。

「あれ? 駄目でした?」

「い、いえ、良いですねねずみ花火。やりましょう」

 気を取り直して、開封されたパッケージの中から、ねずみ花火を一つ取り出す。

 カラフルなそれを見て、再び笑いそうになってしまう。

 今度武藤さんに会ったとき、絶対に文句を言ってやる……。


「そういえば、これってどうやるんです?」


「え? もしかしてねずみ花火、初めてやるんですか?」

「えっと、はい」

 名前はもちろん、大体の情報は動画を見たりして知っているのだが、実際にこれで遊んだことはない。

 そもそもこれまで生きてきて、こういった花火で遊んだことがなかったことを思い出す。

「じゃあ、俺が最初にやってみせますね!」

 私からねずみ花火を一つ受け取り、早速ライターを手に取って火を点けようと試みる。

「あれ、つかないな」

 何度かスイッチを押すものの、上手く火がつかないようだ。

「居間の道具置き場みたいなとこに放置されてたやつなので、もしかしたら古いかも……」

 様子を確かめようと、伊田さんにより近づく。

 しかし、そんな私の心配も杞憂だったようで、無事火がつき、炎が揺らめく。


「じゃ、行きますよ!」


 先端に火をつけ、伊田さんが少し遠くにねずみ花火を放り投げる。

 数秒も経たずして、ねずみ花火が鮮やかな閃光を放ちながら、円状に回転する。

 そんな初めて見る光景に、私は思わずテンションがあがってしまう。


「おお……」


 花火が暴れまわる様子に、思わず目を奪われる。


「す、すごいです。映像で見たことはあるんですけど、まさか本当にこんな綺麗な円になるなんて」

 十秒と経たず、あっという間に大人しくなるねずみ花火。

「あ、結構早――」

 終わったと思っていたねずみ花火が、突然の破裂音と共に火花を飛び散らせる。


「っ!」


 完全に油断していたからか、予想以上に驚き、思わず伊田さんの裾を掴んでいた。


「だ、大丈夫ですか?」

「あ、えっと、大丈夫です」

 途端に恥ずかしくなり、素早く手を引っ込める。

「……わ、私もやります」

 気恥ずかしさを誤魔化すように、私は乱雑にねずみ花火を取り出し、火をつける。

 すぐさま放り投げると、再び黄色い閃光の円が走る。

 そして同じように消えた後、ワンテンポ置いて破裂音と火花が散る。


「……線香花火、やりましょう」


 出来る限り平静を保ち、私は袋の中から線香花火を取り出す。

 こういう、冷静になれない時は線香花火に限る。あれを見て、心を落ち着かせよう。


「え! も、もう線香花火?」

「……何か文句でも?」

 頬を赤らめながら、私は強引に押し通そうとする。

 二人を照らす明かりは、チカチカと点滅する白色の街灯のみ。きっと私の顔色は、彼にはバレてない……と、思いたい。

「いえ、良いですよね線香花火! 俺も好きですよ!」

「私はこの花火が、一番好きです」

 早速先端に火をつける。すぐに伊田さんも線香花火を取り出し、私の正面に位置取る形で火をつけ始めた。


 緩やかに火花が、不規則に散り始める。

 橙色の閃光、中心の火玉、それはまるで、一輪の花のような輝き。

 思わず、その光景に見惚れてしまう。

 その音、色、光、匂いが、私の心を揺り動かす。


「…………」


 思わず、私は沈黙する。


「……やっぱり、綺麗です」

 そして、一言だけ、そう呟いた。


 伊田さんは何も言わず、同様に線香花火を見つめていた。

 たった一瞬ともいえる命、その輝き。それは誰もがきっと釘付けになってしまう。

 そんな、夜に咲き誇る――夏の花。


「俺……好きです」


 不意に、伊田さんが一言呟く。

 まるで、それが当たり前かのような。あまりにも、自然に。


「…………」


 小さな火玉が、静かに落下する。光も消え、音も消え、辺りを包むのは静寂と、街灯の明かりだけ。

 正面に、同じようにしゃがんでいる伊田さんの顔を見る。いつからかは知らないが、私をまっすぐに見つめていた。


「……え?」


 声が少しだけ、上ずる。目線は逸らさずに、精一杯冷静を装って。

 もう少し辺りが明るければ、きっと私の顔が真っ赤になってしまっているのがバレていただろう。それくらい、全身が熱く、胸の鼓動は激しく脈打っていた。


「…………」


 次の言葉が出ない伊田さん。それでも、目線だけは逸らさない。

 どれほど、この沈黙が続いただろうか。

 きっと実際には、たった数分の出来事だったんだろう。それでも私には、何時間とも感じられるほどに長く思えて。


 そして――


「あ、あの……俺! 俺は――」


 意を決したように、真剣な表情で伊田さんが言葉を紡ごうとしたその瞬間。

 伊田さんの後方にある草影から、人が倒れたような大きな音が響く。

 唐突な騒音に驚きつつ、私と伊田さんはその方向に視線を向ける。


「いってー……あ」

 みっともなく、ひっくり返っている坊主君こと、谷村の姿。

「こんの……クソ坊主……! お前、今めっちゃいいとこ……!」

 小さな声で、そう怒りにも似た声を漏らす沢崎さん。

「……何、してるんですか」

 冷めた目で、谷村を見下しながら私は呟いた。

「あ、いやーその……」

 とても気まずそうにしている谷村と、目線が泳いでいる沢崎さん。

 そして、観念したのか白井さんと天野も草むらの裏から出てくる。

「いやぁ……その、ぐ、偶然っす……ね?」

「…………」

 黙ったまま冷たい目を向ける私と、冷や汗を額に滲ませながら目線を合わせない白井さん。

「お、俺は止めたぞ、本当だからな! こいつらが二人について行こうって言って、俺は無理やり……!」

 そんな状況で、天野は一人無実を訴えていた。海での様子を思い出しても、彼はきっと嘘をついていないだろう。


「……はぁ」


 長い沈黙の後、私は今日一番の深いため息をつく。


「……花火、まだありますから」


「は、春姉……!」

 許してもらえたと思ったのか、沢崎さんが嬉しそうに声を漏らす。

「……許してはいませんよ。ただ、今は大量にある花火を、皆で楽しもうと思っただけです」

「いやっほう! 流石春姉っす! その深い懐に、うちは感激っす!」

 沢崎さんと同様に喜びを表し、ベンチに置かれた花火に走っていく。

 沢崎さん、谷村と天野も、それに続く。


「……はぁ」


 もう一度、小さくため息をつく。

 そして――


「……やりましょうか、花火」


 隣にいる伊田さんへ、仕方なさげにそう呟く。


「……あはは、そうですね」


 私の微笑混じりの表情に、照れながらも嬉しそうな様子で頷き返す伊田さん。

 花火を数本同時に火をつけ、はしゃぎまわる白井さんと、谷村の姿。それを見て笑う沢崎さん、天野。

 そんな馬鹿馬鹿しくも、微笑ましく、そしてかけがえのない光景。


 長いようであっという間だった夏が――終わろうとしていた。


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