第7話

「それで、お話というのは?」

「雛南が襲われたのは、たぶん他所から来た、男性の血飲みです」


 この言葉に、清時はしかと婚約者の目を覗き込んだ。

 嘘をついている風はない。


「被害にあった時、雛南さんは今朝お出かけになったときとは違う上着を着ていたそうですね」


 これに婚約者はこくりとうなずいた。


「はい。最近、知り合った他所から来た血飲みさんを助けるためです」

「というと」

「最近、この街にも暴力を振るうヘイト集団が発生しつつある、という話は?」

「把握しています。いわゆる『鬼狩り』ですよね。自警団気取りの」

「そうです、それです」

「警察とも連携して、遭遇したら迷わず通報するか、交番か、支援団体に連絡するように周知しているところです」


「ヒナは、仕事終わりにその連中から逃げてるから助けてほしいという連絡を受けました」

「相手は、私的に連絡先を交換してる要支援者ですか?」

「はい……最近血液の配給会に顔をだすようになったばかりの、まだ牙も削ってないような子で……なんでも、鬼籍になって家を追い出されて、今はネットカフェと出会い喫茶で生活してるとかで」


 清時は心中を察するような眉を寄せた顔でうなずいた。


「流れ者さんですね。頃合いを見て我々の血統で保護するようにしている感じの」

「ヒナからもそう聞いていました。シェルターの部屋が空き次第、彼女に入ってもらう準備をしていたとか……」

「シェルター……ああ、うち血統の婦人部が他所の女性困窮者支援を見習って始めたプログラムですね。詳細は彼女らに任せていますので、私は大まかにしか把握していませんが」


「たぶん、それです……そういう子なので、ヒナは個人的に連絡先を交換していました。今日は、出会い喫茶の客だと思ったら、その手の連中の誘い出し役だったらしくて……警察にも通報した上で、隠れているという本人に、私と一緒に合流しました。そこで、彼女と上着を交換し、人狼避けの香水を渡して、私は通報してきた女の子を彼女が生活の拠点にしているというネットカフェに送り届けてきました」


「雛南さんは、鬼狩りの身代わりになったと?」

「途中まではそうです。けど、なんとか彼女も逃げ切れて、どぶ板通りの二人でよく行く店で合流しました」


「被害者の方は、今も無事に?」

「それは、たぶん……」


 そう話しているところに、清時の携帯電話からメッセージアプリの着信通知音がなる。

 携帯の画面を見ると犬神からだった。


「ちょっと失礼」


 といって、手早く返信を打つ。

 すぐに既読が付き、返ってきた返事を見て顔を上げる。


「あのう、悪いんですが、雛南さんが貸したというコートを着ている顔の写った画像とか、ありますかね?」


 そう問われて、木下は自分の携帯電話の画面をなぞった。しばらくして、服屋で撮ったと思しき鏡写しの全身画像が送られてくる。


「これ、お貸しいただけますか?」


 木下はうなずいて、清時の携帯に画像を転送した。

 これを即座にメッセージに貼り付けて送り返す。

 既読だけついて返事はない。


「……お話の途中でしたね」

「その、店の中にも居たんです。犬歯を処置していない血飲みっぽい人が、40かそこらのおじさんっぽい人でした」


 それを聞いて、清時はさほど驚くような顔はしなかった。

 実際、この時期そういう人は増えていた。コロナで在宅期間中に何らかのきっかけで転化。再度通勤で勤務するようになったタイミングで鬼籍だと職場に発覚。血飲み鬼籍の日光アレルギー体質を健康上問題とし、それを理由に解雇され、より鬼籍者の受入の柔軟な地域に移り住んでくる血統不明の転化者たちだ。


「かなり飲んでるようでしたし、彼女、心配して声を掛けたんです。そうしたら、突然様子がおかしくなって、その人、彼女の首元に噛みついたんです」

「店の中でですか」

「はい」


 これを聞いて、月院は口元に手を当てた。


「……血飲みさんの飢餓衝動って、段階的なものだと聞いていました。そういうことって、あり得るんですか」

「あり得るといえば、あり得ます。我々が避けている最悪の事例です……吸血鬼で最近ネット検索なさったことはありますか?」


「いえ。付き合いだした頃は私も学ぶために調べていましたが、ここ数年は、ちょっと」

「典型的な差別語ですからね、わかります。最近よく表示される予測検索は『治る薬』です。まあ、実際に治ることなどなく、血飲みの人血への飢餓を抑制する薬ですが」

「そんなものが」


「我々は衝動抑制剤、或いは血止めのピルと呼んでいます。これは人血の経口摂取期間が空くことで生じる体調の悪化や飢餓衝動を抑制するもので、血の供給量が安定しない国や地域での一時的な人血接取の抑制を目的したものです。これがネットでは『吸血鬼としての変異を止められる薬』というデマと共に拡散され、ここ数年個人輸入量が増えています」

「血を飲まなくてよくなる薬なんですよね?」


「そのあたりは下痢止めと同じです。効果が切れれば、再び始まります。そして薬が切れた時、それまでためてきたものが一気に出る。……人血の接取を絶ち続けてきた期間と同じだけの衝動が一気に押し寄せるんです。半月程度なら何時間か失神する程度で済みますが、一月とかになりますと、即座に理性を失います。その際のリスクを懸念して、国内では認可されていない薬です」


「……ヒナは、それに襲われた、と?」

「実際にその人の所見を見なければ断言はできません……ですが、突然に理性を失うというと、他に可能性は考えられません」


 木下は青ざめた顔でうなずきながら聞いていた。そして、力が抜けるようによろけた。

 清時はとっさにこの脇の下に手を入れて、支える。その拍子に彼のジャケットについた乾いた血の匂いがぷんと香った。この感覚は血飲みにしかわからない、人の血管の芳香である。

 とっさに顔を背けて、そのまま彼を近くの長椅子に座らせた。


「何か、飲み物を買ってきます。缶コーヒーでいいですか?」

「いえ、大丈夫です」

「大丈夫じゃないです。あなたが血飲みだったら、このまま近くの人血の販売スタンドに連れていくところですよ。あなたはこの一晩で消耗していらっしゃる」

「けど、彼女を放ってはおけない」


「……我々も同じ意見です。ところで、その人の姿を画像かなにかにとっていませんか?」

「いえ」

「では、身長とか、着ている服装の特徴は?」


 それを聞かれて、木下は顔を上げ、つい数時間前の惨劇の記憶を辿って言葉を紡いだ。

 それを聞く清時の顔は真面目だった。


「……ありがとうございます。こちらも全力を尽くしますので、今しばらくご協力いただけますか?」


 木下はぐったりとした様子でうなずいた。


「では、まず飲み物を」

「……じゃあ、エナジードリンクを、さっきそこの自販機で青い缶のを見かけました」

「わかりました、いまお持ちします」


 そう応えて、清時はにこりとして踵を返し、自販機に向かった。

 その顔に笑みはなく、怒りに似たむすっとした顔と見開かれた目だけがあった。

 指先は手早く携帯電話を操作し、耳に押し当てる。そして毅然とした声で言った。


「私だ。全血統員に通達。これから言う特徴の男の血飲みを探せ」


 時刻は夜10時53分、まだ夜は始まったばかりだ。

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