本文

【プロローグ】


「母親を残して先に逝くなんて……そんなの、親不孝だろ……っ」

 

 そう言い、母は涙を流した。

 私はベッドに横たわったまま、シワだらけの手をそっと伸ばす。


「おか……ぁ……さん」


 もう力の入らない身体。

 声を出すのも精一杯だ。


「おい……おい! ふざけんな……っ! もっと側にいろっ!」


 母は遂に、拭いきれないほどの涙を流し始めた。

 ポタポタと服が濡れていくのを気にする様子もなく、私の手をしっかりと握る。

 白髪にシワだらけの私と違い、母は出会った頃と何一つ変わらない見た目のままだ。

 凛々しい顔立ち。スラっと伸びた長い手足。

 艶のある長い赤い髪……のような触手。

 身体のあらゆる場所に着いた吸盤。

 初めて会った時はあんなに恐ろしく感じたのに、今はこんなにも愛おしい。

 

「あ……い……」


 もう一度、声を絞り出した。

 最期の刻が迫っているのを感じる。

 

「あり……がとう……私の……お母さんで……いてくれて」


 数十年の想い。ああ、やっと言えた。

 そう思った直後、私の意識は暗闇へと沈み、そして静かに消えていった。



【第1章】


「オんギャァァァァァァァ〜!!」


 赤ちゃんは別に『おぎゃー』とは泣かない。そんな事は知っている。

 私はまだ10歳と世間的には幼い立場だが、そのくらいの知識は就学済みだ。

 それでもなお、私はオギャーと泣くしかなかった。


「オギャっ、オんギャァァァァ!!」


 もう一度、私は盛大に、声の限りにオギャった。

 自分は産まれたての赤ちゃん……自分はいま、産まれたての赤ちゃんなんだ、と必死に自己暗示を掛けながら。

 ひとしきりオギャった後、私はチラリと半目を開けて様子を伺った。

 

(くそっ! まだ怪訝な顔をしてやがるッッ……!)


 “奴”は唐突に現れた。

 いや現れたというか、目を覚ました瞬間に目の前に居た。


 心臓が止まるかと思った。

 目を開けたら、バケモノが顔を覗き込んでいたのだから。

 迷う間などなかった。

 私はプライドも、人としての尊厳も秒で捨て去り、赤ちゃんのフリをして助かる道を選んだ。


 私は瞬間記憶には自信がある。

 見たのは一瞬だったが、バケモノの見た目は女性だった。

 人間で言うと20代後半。私のようなカワイイ生物が赤子の様に泣いていたら母性に目覚めてくれそうに思えた。

 だがこれは、“奴”のベースが人間であることを期待しての行動である。


 “奴”の身体の至るところには、タコの吸盤のような物が生えていた。

 半開きの口の中には鋭い牙が覗いており、瞳の中身も人間とは異なる奇妙な形だった。

 燃える様に赤いロングの髪は、風もないのに宙をウネウネと動いており、表面に小さな吸盤がついていた。恐らく触手か何かだ。

 触手人間なのか? それともタコと人間の融合生物なのか?

 どちらにしろ、きっとあの触手でキュッと獲物を捕まえ、ペロリと食べるのだろう……あぁ恐ろしい!

 メチャメチャ痛そうだし、そもそもまだ死にたくない……!!

 だからもう一度、オギャった。


「オ、オんギャァァァァァァァァァ〜!!!」


 これで最後だ! と言わんばかりに、三度目の盛大なオギャり声を上げた。

 たのむ! これでどうにかなってくれ……!!


「おい。そろそろ静かにしろ」

「……」


 “奴”は普通に話しかけて来た。

 と言うか、普通に人間の言葉なのか。

 マジか。なんてこった。

 私のオギャりは全て無駄だった?

 っていうか『静かにしろ』って、なんだよ。冷静過ぎるだろ。

 話しかけるってことは、言葉が通じる相手と思ってるわけだ。

 こっちは初対面でオギャオギャ泣いてるんだぞ! 三回も!

 なのに何だ? 冷静過ぎるだろ……ッッ!

 あ〜ヤバイ。なんか途端に恥ずかしくなって来た……。


 そんな私の感情など気に留める様子もなく、“奴”はキョロキョロと辺りを眺めている。

 

「お前、ちょっとそこに居ろ」


 そう言うと、“奴”は何処かへと移動した。

 逃げ出すチャンスだ!

 グイ〜っと身体を起こし、周囲を見回す。

 そこで気が付いたが、どうやら私は小さな箱のような物の中にいたらしい。

 あと私の手足には、よく分からないチューブが繋がっている。

 恐る恐る引っ張ってみると、それらはあっさりと抜けた。


(なんだ、このボロ小屋……)


 ここは建物の中らしいが、屋根が隙間だらけだ。日光が差し込みまくっている。

 しかも、ところどころ草木も生えている。

 呼吸のたびに土の匂いだってする。もはやほとんど室外だ。


(やばい……何処だここ? 私は何で寝てたんだ?)


 何も思い出せない。

 それでも一先ず、立ち上がることにした。早くこの場を離れたい。

 足がプルプルと震える。

 怖いからじゃない。脚にあまり、力が入らない。なんだこれ……?

 壁に手を添えながらゆっくりと進むと、掛けてある鏡に自分の姿が映り込んだ。

 セミロングの黒髪。ノーメイクの顔。

 うん、変わりなく私だ。

 相変わらずメチャメチャ可愛い。

 すっぴんでも美少女過ぎ。ツラいわ〜。

 しかし、服装が気になった。

 水色の薄い布地の上下。

 何処からどう見ても、入院患者が着るやつだ。

 くそダサい。だが問題ない。私が着れば、薄明な美少女にしか見えない。

 どれ、自撮りでも……と思ったが、スマホがない。

 というか、この服以外の持ち物が見当たらない。財布すらない。

 だが慌てない。

 なんたって私には“可愛さ”という最強の持ち物があるのだ。

 どんな困難も、これ一つで乗り越えて来た。

 カワイイは正義。カワイイは最強。

 “可愛さ”には、全ての人類を癒す力がある。

 敵の多い人生だが、私のカワイイパワーに敵うヤツなど一人もいなかった。

 私は最強なのだ。

 そんな最強のカワイイ生物が、赤子のように泣いていたというのに、さっきの“奴”と来たら……!

 『静かにしろ』ってなんだよ。許せねぇッ……!

 次会ったら、今度こそ正真正銘の全力カワイイパワーで屈服させてやる……!


「ギニャアァァァァァ!!」


 鏡を相手に数々のカワイイポーズをキメていると、突如外から叫び声が聞こえて来た。

 私が上げた嘘赤ちゃん声とは全く異なる、あまりに悲痛な響きだった。


(なになに!? なんなの、今の……?)


 何が起こったんだ?

 窓から外を確認しようとした、その時だった。


「ふしゅふルル」


 真っ黒な人影と目が合った。

 いや、目があるはずの場所に目がついていないので『目が合った』と言うのは不適切か?

 “それ”は、人が黒い全身タイツを着た上に、奇妙な模様を描いたような見た目をしていた。

 どう見ても不審者だが、少なくとも“奴”よりは人っぽい。


 声を掛けてみよう。

 そう思っていると、真っ黒タイツマンは壁に空いた大穴から部屋の中に上がり込んで来た。

 何も言わないのは不気味だが、バタバタと歩く様は人間味がある。

 ……これはイケるかもしれない。


「あのぉ〜! 私、迷子になっちゃってぇ〜。ここって何処ですかぁ!?」


 瞬時に目を潤ませながら、私は上目遣いでタイツマンに話しかけた。

 弱々しく可憐な美少女が助けを求めているのだ。庇護欲が沸きまくりだろう。そうだろう?


「ふしゅウルルル」

「あ、あのぉ〜……」

「ふしゅっ」


 なんだろう、知性を感じないリアクションだ。

 ぴたりと立ち止まったまま、鳴き声の様な音を発している。

 口の辺りをモゴモゴと動かし、その佇まいは昆虫を連想させた。


(ひょっとして、マジで虫だったりして……?)


 虫並みの知性なら、可愛さなんて通用しないだろう。

 そうなるとなす術がない。超ピンチだ。

 なんだか急に怖くなり、後退り始めた時だった。

 タイツマンの片腕が、瞬時にカタナのような形状に変化した。


(あ、やっぱ普通にバケモノだ)


 非現実的な出来事に認識を改める。

 ここまで冷静さを保って来たが、そろそろヤバイ。

 さっきからワケの解らない状況だ。

 目が合うのはバケモノばかりだし。

 悪い夢でも見てるのか?

 できれば夢であって欲しい。

 でも違う。これは現実だ。

 今さっき鏡の中に見慣れた美少女が写っているのを見てしまったからな〜。

 自分が美少女であるという事実が、いまが現実であることの証明。

 だから落ち着こう。美少女は死なない。

 

 シュパッッ! 


 一瞬の事で、反応できなかった。

 タイツマンは刃物化した腕を、素早く横に振ったようだった。

 私の肩から胴にかけて──ごく浅くだったが──切傷が刻まれた。


「……っつ!!」


 遅れてやって来た痛みに、思わず身を屈める。

 咄嗟に押さえた傷口から、血液が滲み出ていた。

 

 え。

 死ぬ?

 私、死ぬのか?

 可愛い私が?

 イヤだ……! そんなの絶対イヤだ!!


 助かりたい一心で、必死に後退する。

 しかし私の心中など意に介さない様子で、タイツマンは距離を詰めて来る。


 身体がガチガチと震え出していた。

 迫る足音に、己の死を強く意識する。

 それでも私は、恐怖に屈したくはなかった。

 生きたい。まだ死にたくない。

 私は可愛いんだぞ。メチャメチャ可愛いんだぞ。

 これからの人生、絶対良いことがあるに決まってるんだ……!

 みんなは私を馬鹿にしたけど、私は信じてるんだ!

 だって、だって。お母さんが言ってたんだ! 可愛いは正義だって……!


 意思に反して、視界にはもう走馬灯が見え始めていた。

 流れてくる、母親との思い出。

 私のことをいつも可愛がってくれた、唯一無二の存在。私の……一番大切な人。

 お母さん……お母さん!!

 こんな時に、何処に行っちゃったのっ!?


「……い、イヤだぁぁぁぁぁ!! 助けてぇぇぇ!! お母さーーーーーーん!!!


 バシュゥゥゥゥゥ!!!


 無慈悲に振るわれた刃物。

 しかしそれは、私の顔数センチ手前で止まっていた。

 

「おい」


 “奴”の声だった。

 いつ戻って来たのか、“奴”がタイツマンの腕を掴んでいた。


 メッキョォォッッ!!


 鋭い前蹴りが、タイツマンを吹っ飛ばす。

 助かった……と思うのは、まだ早かった。

 タイツマンが吹っ飛んだ先には、同じ姿のタイツマンが複数人いたのだ。


「ったくよォ! 他人の縄張りにウジャウジャと上がり込みやがってよォ!!」


 “奴”は怒っているような、喜んでいるような、微妙な声を張り上げた。

 そして一人、タイツマンの集団の元へと歩き出した。


(無茶だ……無謀すぎる)


 こっちは“奴”1人。相手は10人以上いる。しかも全員、腕を刃物に変えていた。

 人間なら、負け確定の状況だ。

 でも……“奴”は違った。

 私が思っている以上にバケモノだったらしい。


 ボッッッッ!!!


 低い破裂音が鳴り、空気が揺れた。

 その次の瞬間、“奴”の姿が消えた。

 

「グニィィ!?」

「ギャァァァァッッ!」

「メッ、メギィィ……!!」


 痛々しい呻き声が、何度も響き渡る。

 破裂音の度に“奴”は加速し、物凄いスピードでタイツマンを一人、また一人としばき倒して行く。


(なになになに!? ヤバ……速っ!!)


 数秒後には、全員が地面に倒れ込んでいた。

 文字通り、秒殺だった。


「いいか、おめーらァ。一回しか言わねーから、よォ〜く覚えとけ!」


 “奴”は倒れたタイツマンの前に仁王立ちし、声を張り上げた。


「アタシはオクティー! 地上最強の称号、レヴァアタンを手に入れる予定のモンだ! 10人かそこらで、勝てると思ってんじゃねェーぞ!!」


 “奴”こと、オクティーさんの喝に気圧されたらしい。

 タイツマンは全員、その場からバタバタと立ち去っていった。

 まるでヤンキーの喧嘩みたいに思えた。

 しかも私が産まれるより前の……マンガでしか見ない、古のヤンキーだ。


 オクティーさんがこちらに向き直り、私を見下ろした。

 よくよく見ると、かなり美人で驚く。まつ毛とかめっちゃ長くてぱっちりしてるし。

 唇もリップを塗ったみたいに艶がある。

 スタイルもスラっとしてて美しいし、身長も高い。


(モデルみたいじゃん……)


 身体はまだ震えている。

 だが彼女の美しさに見惚れてか、恐怖心が少し薄れ始めていた。


「あ、あ……あり……」


 まだうまく呂律が回らない。お礼が言いたいのに……。

 そんな私の体を、オクティーさんはいきなり掴みあげた。

 首根っこを片手で持ち上げ、猫のようにぶら下げている。


「お前、ケガしてんな」

「あっ……えっ……」

「じっとしてろ」


 髪の毛……のような赤い触手が伸び、私の胸のキズの上を這った。


(うわ! きっしょッッ……!!)


 ヌルリとした感触。思わず身をよじる。

 しかし次の瞬間、私は思わず目を見開いた。


「ウソ……治ってる……」

「他は大丈夫そうだな」


 致命傷って程ではないにしろ、そこそこの切り傷だった。

 それが一瞬で治ってしまった。

 スゲェ……!


「お前、なにモンだ?」

「えっ」

「ここらじゃ見ねェ顔だな」

「……」


 何者か聞きたいのはこっちである。

 こんな訳の分からない状況で、いきなり寝顔を覗かれるわ、こんなに可愛い私に対して態度が冷たいわで、不満しかない。

 だがここは一旦、落ち着こう。

 母によく言われた。郷に入っては郷に従え、と。

 私の感情はどうあれ、彼女は命の恩人だ。

 ここは素直に名乗るべきだろう。

 あとちゃんと、お礼も言いたい。どんな相手にもお礼は大事だ。


「風ノ美委華……です」

「カゼノミイカ? お前、イカなのか?」


 いやいやいや?? 全然違う。

 自分がタコっぽいからって、人を魚類と間違えるのはどうなの?

 まあいいや、それよりお礼を言わないと。


「あの、さっきは助けてくれて……ひぃッッ!!?」


 思わず悲鳴を上げてしまった。 

 オクティーさんは再び、私の体に触手を伸ばしてきたのだ。

 しかも今度は、数がエグい。

 髪の毛だけでなく、服の間からも伸びている。

 更にだ。中央にスリットが入った、美脚をアピールしてるのか? ってデザインのロングスカートも、実はすべて細かい触手だったらしい。

 もれなく私の足にウネウネと這わせていた。


「ひ……ひぇッッ……」


 全身を触手で調べられ、あまりの気色悪さに泣きそうだった。

 タコは好きな寿司ネタだったが、しばらく食べたくない。

 ついでにイカも無理になりそうだ。


「んん〜? お前イカっぽくねェな?」

「あのッッ! 私、イカじゃないです!」

「あぁ? イカじゃねェんなら、なんだよ?」

「人間です! 人間ッ! 風ノ美委華は、私の名前です!!」

「はぁ? ニンゲンだァ?」


 オクティーさんは、ようやく私を放してくれた。

 身体はもう普通に動くが、気分はサイアクだ。

 全身がヌルヌルしてやがるッ……。


「ニンゲンってなんだ?」


 怪訝な顔で私を見つめる。

 それは最初に私の寝顔を覗き見ていた時と、まったく同じ表情だった。

 振り出しに戻ったような感覚だ。


「まーいっか。それより、ちゃんと見てたよなァ?」

「えっ、何をですか?」

「決まってんだろォ!? アタシが余所モン10人をボコボコにシメてやったところだよ!!」

「へぇ……?」


 何を言い出すかと思ったら。

 私が何者かより、自分の戦果が大事らしい。

 よくわからない……何かそういうスポーツ的なものなのか?


「お前まさか……見てなかったのか……??」

「えッッ!? いやいやいや見てました見てました! バッチリ見てました!!」

「おう! ならよーし」


 ビックリしたーーー!!

 いまオクティーさん、目がマジだった。マジで殺されるかと思った……。

 そんなに大事なんだ……10人に勝った件……。


「一緒にアタシの村まで来い。“オサ”に報告するから、お前は正直に答えろ」

「えっと、オクティーさんが10人相手に一人で勝ったことをですか?」

「あぁ! お前は大事な証人だ」


 村とやらは、オクティーさんみたいなバケモノだらけなのだろうか?

 いや、彼女が人間を見たことも聞いたこともないのだから、そうなのだろう。

 正直……行きたくない。

 でもタイツマンみたいなのが、いつまた現れるか分からないしな……。

 オクティーさんは戦果の証人である私を守ってくれるだろうし、このまま一緒にいた方が安全だ。

 それに村に行けば、私以外の人間について情報を得られるかもしれない。

 人間の居場所が分かれば、バケモノどもとはオサラバだ。

 私の可愛さを理解できる人間こそ、私の居るべき場所なのだ。

 なんならそこで“姫”として君臨しても良いなッ! 私の超絶な可愛さがあれば楽勝だろう。

 そして“姫”になった暁には……みんなにお母さんを見つけて貰おう。


「着いて来な!」


 クイッと首を動かすと、オクティーさんは建物の外へと歩き出した。

 なんだろう。仕草といい、歩き姿といい、やはりヤンキー感が凄い。

 バケモノであること関係なしに、私とは縁遠いタイプだ。

 でもさっきは傷を治してくれたし、優しい心の持ち主かもしれない。

 何事も見た目で決めつけるのは良くない。

 まあ、私は見た目も中身も天使だが。


「そーいやさっき、何か言いかけてたな?」

「あ、はい! 先程は助けていただき、ありがとうございました!」

「……はぁ?」

「えっ」

「いまお前、何つったよ?」

「え……ええと?」


 やっとお礼が言えたと言うのに、予想外のリアクションに戸惑う。

 

「あの、ですから……ありがとうございました!」

「……はぁ?」

「……」


 やっぱりおかしい。明らかに変だ。

 言葉は通じてる。なのに意味がまったく伝わってないらしい。

 

「私、何か変なこと言いましたか……?」

「あぁ言ったぜ。なんだぁ? “アリガトーゴザイマス”って? なんかの挨拶なのか?」


 おいおい、ウソだろ……?

 “ありがとう”の意味を知らないってこと? そんなことってある?

 物心付いたら、まず教え込まれるワードだろ……。コミュニケーションの基本中の基本だ。

 どんな悪いヤンキーでも“ありがとう”の意味を知ってると思うんだが……。


 いやいやいや、待て待て。

 コイツは人間じゃないんだ。人間の常識に当てはめても仕方ない。

 “ありがとう”を使用しない、そういう生物なのだろう。


「ありがとうって言うのは、お礼の言葉です!」

「“オレイ”……?」

「え、えっと……私のことを、助けてくれたから、嬉しいなって……」

「はぁ……よくわかんねぇけど、まーいっか!」

「……」


 “お礼”を知らない? まじ?

 それって……かなりヤバくないか?

 このまま私が証人としての役割を果たしても、彼女は私に恩を感じないってこと?

 役目を終えたら、用無しって……こと!?

 そしたら、私はどうなるんだ……? どうされちゃうんだ……!?


「あ、あのっ!」

「んぁ? なんだよ?」


 再び先を進むオクティーさんを、慌てて呼び止める。

 証人としての役割を終えたあとの、自分の扱いを確認したかった。

 でも呼んだあとになって思った。聞いてどうすんだ、と。


「あっ……あ……」

「あぁん?」


 どうしようどうしよう!?

 いや、そうだ!


「あの、その……服、素敵ですね……!」


 突拍子のない発言だ。でも別に、適当に褒めた訳ではない。実際にオクティーさんの服装はオシャレだった。

 へそ出し丈のタンクトップに、同じくへそ出しの、アシンメトリーなカットソーを色違いで合わせている。

 パッと見、ダンサーだ。

 しかし長い髪と、スリットの入ったロングスカートが合わさると、途端にヤンキー感が強まる。

 結果的には粗暴な印象なのだが、収まりがオシャレなのだ。


「……そーかよ」


 私の褒め言葉など、まったく興味がなさそうだ。

 すぐさま正面を向いて、のっしのっしと歩き出した。




 建物を出て、私はショックを受けていた。

 目の前に広がる外界が、私の知る“外”とは全く違うものだったからだ。

 ビルや道路といった人工物は見当たらず、ただ荒野がそこにあった。

 所々には木々などの自然があったが、生物の気配は少ない。

 鳥や牛のような動物が、たまに遥か遠くで群れをなして移動しているのが見える。

 どの程度、生物がいるだろうか?

 どちらにしろ、私が知っている街並みはない。

 なくなってしまったのか、知らない場所にやって来たのか……何か手掛かりが欲しいところだ。


(その為には、まずは生き残る方法だ)


 考えないといけないのは、目の前の脅威。

 村に着いて“オサ”に報告を終えたあと、どうやって我が身を守るかだ。

 ケンカが強いオクティーさんに、なんとか継続的に守って貰いたい。

 守って貰いながら人間に関する情報を集め、充分に集まったら村を脱出。

 

 目的は明確。あとは計画。

 危機的な状況だが、そんなのは慣れっこだ。

 昔から母の都合で転校が多く、行った先の学校ではいつも全女子から嫌われていた。

 まあ無理もない。こんな美少女が現れては、いままで積み上げられて来た女子内のパワーバランスがあっさり崩壊してしまうからな。

 だが大勢の敵も、個々を見れば所詮ただの人だ。

 一人一人確実に私のカワイイパワーで沈め、再び転校する頃にはもう、全員味方に変わっていた。


 あの時と同じことをやればいい。

 バケモノ一人一人を、味方に付けるんだ。

 カワイイが通じない? だったら“理解”させればいい。

 言葉が通じるなら、教育できる可能性がある。

 ただオクティーさんに関しては、村に到着するまでに解らせる必要がある。

 距離はどのくらいだろう?

 まあ関係ない。私にかかれば、徒歩五分の道のりでも一時間以上に引き伸ばせる。

 

「痛ッッ! いたたたぁ〜!」

「あぁ? 今度はなんだよ?」

「ごめんなさぁ〜い……なんだか脚の調子が悪くってぇ〜」


 座り込む私の元へ、オクティーさんが仕方なさそうに近寄る。

 また触手で治すか?

 そしたら今度は「疲れたから休む」と言う。それだけだ。

 彼女は私と行動を共にする必要がある。

 私が動けないなら、彼女も動けない。

 不動の時間を使って、少しずつ、さりげなく、彼女を“教育”していく。

 これはかつて山登りの授業の際、私をハブにしようとした女子グループに使った手だ。


「歩けねェか?」

「うん……」

「じゃあ、仕方ねーな」


 よしッ! と思った次の瞬間。

 大量の触手が私の全身を包み込み、オクティーさんの背中へと運ばれた。

 強制的な“おんぶ”だ。


「一気に飛ばすぜ!」

「え???」


 またあの低い破裂音が聞こえた。

 そう思った時にはもう、目の前の景色が訳の分からないスピードで動いていた。

 

「ーーーーー〜〜〜ォォッッ!!?」


 あまりの恐怖に、声にならない声が出た。

 空気の“圧”が私の顔面の肉をブルンブルン揺らし、自然と涙とか鼻水とか色々な液体が漏れる。

 ……意識があったのはそこまでだ。

 目を覚ますと、村にいた。

 

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③人類最後のオクトパスお母さん ccdcm @kyouinu

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