時空超常奇譚3其ノ弐. TAKE IT EASY/ニコの夏休み時空旅行

銀河自衛隊《ヒロカワマモル》

時空超常奇譚3其ノ弐 TAKE IT EASY/ニコの夏休み時空旅行

 銀河電気鉄道時空線の一ノ駅に着き、改札口で1ノ13番の切符を渡された途端に、急ぐようにと促すアナウンスが聞こえた。

「銀河電気鉄道時空線ぐるり33号は、一分後に発車します。ご乗車のお客様はお急ぎください」

 ニコ・ドリム13歳、真紅の鳥かごスカートにレースのフリルが可愛い。ゴスロリと呼ばれる服を纏ったニコは、赤い帽子に金髪ツインテールと髪飾りを揺らしながら早足で走って、やっとの思いで一号車に乗った。直後にドアは閉まり、列車は動き出した。列車の外で黒尽くめの背の高い男達が見送っている。

 本気で走ったせいで息が切れて苦しい。ニコは車内を見廻して自分の席を探した。列車のシートは、通勤電車のように窓を背にして座る縦座席方式で、座席には番号が付き、それぞれは肘掛けで簡易的に区切られている。どうやら満席のようなのだが、不思議だ。座席は全て指定の筈だ。

 ニコは乗車券の番号1ノ13番の席を確認した。何故なのか、その席にランドセルを背負った小学生らしき男の子が座っている。ランドセルの側面に6年1組羽田トシオと書いた名札が付いている。いかにも生意気そうな男の子が、我が物顔で足を組んでニコの席に座っているのだ。

 ニコは、その前に立ってビラビラと切符を見せながら、それとなく催促した。子供は悪びれる様子もなく慌てて退く気配もない。感情的に物事に対応する事が嫌いなニコは、表情を崩さず、当然の如く、優しく諭すように言った。

「この席はワタシの指定席なの、だから退いてくれないかな?」

 男の子は、ニコの全身を舐めるように見てから答えた。

「いいよ。その替わり、お前のその帽子くれよ」

 ニコは思った。目の前にいる男の子は果たして何者だろう。目の前にいる男の子は一体何を言っているのだろうか。自ら指定代金を払って購入した席に座るのに、何故そんな馬鹿げた理屈の合わない条件をクリアしなければならないのだろう。

 心優しいニコは、瞬間的にその理不尽な成り行きに腹立たしさを感じて、そのまま言葉が口をついた。

「ふざけるな、クソガキ。とっとと退きやがれ」

 そう言って、ニコは腹立ち紛れに、握り締めた右の拳で縦一文字に男の子の頭を思い切り殴った。男の子は頭を抱えて「ぎゃ」と叫びながら車内を転げ回り、そのまま隣の車両へと姿を消した。

 世界にしばしの平和が戻り、ニコが席に座ると列車は走り出した。

 車窓には、遥か遠くまで続く葡萄畑が見えている。新緑の夏の香りがする。車窓を青空の中の白い雲が飛んでいく。何と爽快なのだろう、世界平和の大切さを噛みしめる一時だ。心置きなく本を読み、心豊かな幸福感に浸ろう。今日は1900年代に流行ったサリンジャーの気分だ。

「君、凄いね。どこまで行くんだい?」

 唐突に、隣の大学生風の男がニコに話し掛けた。世の中には、他人の世界に許可なく、平気で、土足で入り込む者がいる。不愉快この上ない。ニコは視線を動かさず、何もなかった事にした。

「無視しないでよ、折角一緒の電車になったんだからさ。今日、ウチの大学の学園祭があるんだけど、君も来ない?」

 この世には自分にとって幸せな事と他人にとって幸せな事があるが、必ずしもその二つが合致するとは限らない。むしろ、そうでない場合の方が圧倒的に多いのではないだろうか。

 ニコは思った。自分にとって心地良いこの平和な時を奪おうとする、横に座っている侵略者の如きコイツは何者なのだろうか。横にいるコイツは、何を言っているのだろうか。見ず知らずの相手にいきなり来いとは、どういう意味なのだろうか。それは所謂いわゆるナンパという類のものなのかも知れないが、そんな理由で許されるものではない。穏やかな癒しの時を奪った罪は重い。

 温和で、柔和で、寛大なニコは、瞬間的に異常な苛立ちを感じ、そのままの言葉が口から出た。

「黙れ、気安く話し掛けるんじゃない」

 ニコの言葉に、驚愕の二文字を顔に表す大学生風の男は「はい……」とだけ小さな声で答えて、黙座の石仏と化した。

 列車は順調に次の駅に向かっている。車輪が同じ間隔で線路を叩く心暖かい調べに深い安らぎを感じ、微睡みに包まれる。

 けれども、平和は常に前触れもなく、意に反して破られるものかも知れない。隣の車両から、甲高く不快で嫌悪感の塊のような鬱陶しい声がした。

「ウチの可愛いトシちゃんを殴ったのは、どこのどいつ?」

 隣の車両に転がっていった男の子の母親と思われる丸々と太った女が、車内に響く声で叫んだ。バットを携えながら、他人の意向など微塵も気にする様子はない。

 そして、女の背中に隠れる男の子がニコを指差して「アイツだ」と耳打ちすると、逆上する女は、バットを降り翳しつつニコに走り寄り「ウチのトシちゃんに謝りなさい」と叫ぶが早いか、そのままニコの顔目掛けてバットを振り下ろした。ニコは少しも怯む事なく、そして視線を外す事もなく、女を凝視した。

 周囲の乗客が悲鳴を上げ、バットがニコの顔面を直撃したと思われた瞬間、何故かバットは空中で停止した。

 ニコは瞬きさえする事もなく、事の成り行きを見据えている。

 バットが空中で停止した理由は直ぐにわかった。向かい側に座っていた背の高い黒尽くめの男が、女の後ろからバットを掴んでいる。黒尽くめの背の高い男は、右手でバットをぎ取り、左腕で女の髪をわし掴みにして、入り口ドア付近へと引きずっていった。そのタイミングで列車は駅に着き、ドアが開いた。

「二ノ駅、二ノ駅です。お忘れ物のないようにお気を付けください」

 悲鳴と口汚く喚き続ける女を引きずり出した黒尽くめの背の高い男は、女と男の子とともに駅舎奥に消えていった。

 再び、列車が快適な調べを奏でている。線路が上り坂に入ったせいで、前方の窓には絵画のような真っ青な空が映し出されている。まるで、列車が空に溶け込んでいく不思議で鷹揚おうような気分に酔いしれる。

 だが、平和とは常に何度でも破られるものなのだろうか。いや、そんな時もあり、何もない時もあるのだろう。今日はきっと前者に違いない。

 突然、乗客の一人の男が大声で叫んだ。男はタトゥのある右手で箱らしきものを持ち、金髪坊主の頭からもタトゥが見える。

「動くな、これは爆弾だ。今からこの車両を吹き飛ばしてやる」

 ニコは嘆息した。こんなにも立て続けに面倒事が起こるとは予想もしていなかった。列車に乗るのは、今日ではなく明日に、いや来週にすれば良かったのかもしれない。でも、車窓からの風景は毎日変わる。今日の景色は、間違いなく列車に乗ってのお出かけ日和なのだが。

 自然にニコの顔が曇り、口がへの字になっていく。

 それを見ていた斜め横の席に座る先程の男とそっくりな黒尽くめだが背の低い男は、すっくと立ち上がっておもむろに爆弾男の前まで歩いて行き、いきなり爆弾男を殴り飛ばした。爆弾男は、その衝撃で窓に顔をしこたまぶつけ、小さく鈍い唸り声を上げたままうずくまった。黒尽くめの男は、それを見ても手を抜く事なく爆弾男を蹴り飛ばし、何事もなかったようにかたわらに直立した。

 列車は、坂に差し掛かってもスピードを落とす事なく勢い良く進んで行く。坂を過ぎて、更に空に向かってどこまでも進む。白い雲を抜けると、一気にスピードを増して成層圏から外宇宙へと舞い上がる。眼下を大型旅客機が飛んでいる。

 その時、乗客達の歓声に掻き消されそうな車内アナウンスが聞こえた。

「三ノ駅に到着します。当列車は三ノ駅で5分停車します。当駅は外宇宙にある唯一の駅です。駅内は酸素供給設置済で、車外での観覧が可能ですので、是非ともお楽しみください。尚、列車から5メートルの位置にあるフェンスを超えますと安全制御外となり、地上へと落下して流れ星となりますのでご注意が必要です」

 乗客達は喜々として車外に出て、それぞれに写真や動画撮影に興じて、宇宙空間を楽しんでいる。お土産屋まである。至れり尽くせりだ。

 黒尽くめの男は、うずくまっていた爆弾男を羽交い締めにしながら車外に連れ出し、フェンスの外へと放り投げた。きっと、美しい流れ星になるに違いない。

 5分経過後に、列車は走り出した。ここまで来ると、坂を登って行くと言うよりも宇宙に向かって飛んでいく感覚に近く、更にはその感じが薄れ無重力になっていく。

「唯今、車内に人工重力を発生させました。ご気分の優れないお客様は、遠慮なくお申し出ください」

 一瞬だけ体が浮いた後、人工重力の発生で平静の状態に戻った。地上と寸分違わぬ重力が有難い。列車の一部に、人工重力無しの車両があり、フワフワと中空を舞う無重力車両は、子供達に大好評らしい。

 ニコは、子供じみた無重力車両などに興味を示す事はなく、次の四ノ駅到着を待ち侘びている。

「四ノ駅、四ノ駅です。本駅は宇宙ステーションと宇宙ホテルに連結しております、お降りの方はお忘れ物のないようにご注意ください」

 列車は、静かに四ノ駅ホームに滑り込んだ。

「尚、この列車は、四次元誘導車両の連結スイッチバックの後、本駅で30分間停車致します。是非とも美しい宇宙空間をお楽しみください」

 ニコは、ホームに出て雄大な宇宙の光景を眺めた。眼下には青く輝く地球が見え、宇宙空間に宇宙ステーションと宇宙ホテルが浮遊している。巨大なドーナツリング状のホテルが、ゆっくりと回転して人工重力を発生させている。外宇宙空間には地上から伸びる軌道エレベーターの明かりが動いている。

 宇宙ステーションと宇宙ホテルは、トーラス式と言われるドーナツ型のデザインで、 直径は約7キロメートル、リング内部の長さは約40キロメートル。約200万人の人々が居住しており、毎分1rpmで回転する事で地球と同等の重力を発生させている。内部には、居住施設の他、海もあると聞いている。外部にドッキングする宇宙船が見える。

 四ノ駅ホームには土産物売り場があって、これから向かう月面基地の模型や四次元時空列車のミニチュアが売られている。ニコはアイスクリームを買った。

 ニコはこの四ノ駅が大のお気に入りだ。何故なら、連結する四次元時空車両は無骨で決してスマートなデザインではないが、意味もなく車両前面から生えている左右の羽根デザインが、如何にもこれから四次元空間へ向かうぞと言いたげな感じなのだ。

 無礼者の大学生風の男が降りていった、宇宙大学の学生だったようだ。

 30分の停車時間はあっという間に過ぎ、発車を知らせるアナウンスが聞こえた。

「1分後に発車します。ご乗車のお客様はお急ぎください」

 さぁ、これから愈々いよいよお待ちかねの月への旅が始まる。とは言っても、時間の関係で星間はワームホール移動を使わざるを得ないから、それ自体が優雅な時空旅行とはならない。

 ニコはちょっと不満だ。でもそれは仕方がない。大昔のように地球から月面までの38万キロを時速300キロの高速列車で走ったら、約1300時間、即ち52日間を要するのだ。対して、ワームホールによる時空間移動ならば一瞬だ。月面基地までの38万キロをワームホールによってワープするのだ。

 列車が発進すると、前方の宇宙空間に黄緑色に光る輪が現れた。それが、時空間を繋げたワームホールの入り口である事がわかる。ワープの理屈は簡単、時空間に虫食い穴であるワームホールを創出し通過するだけだ。列車は、スピードを上げてワームホールに飛び込んだ。

 四ノ駅を出発して間もないが、五ノ駅がもう直ぐそこに近づいている。流石は時空間移動、流石はワープと言ったところだ。

「五ノ駅、五ノ駅、月面基地ルナシティに到着です、お降りの方はお忘れ物のないようにご注意ください」

 あっという間だ。乗りテツであるニコにとってはちょっと興ざめなのだが、用事もあるので今日はここまでにして、月面基地ルナシティで降りる事にした。

 かつて、月の縦孔探査で発見された地下空間である溶岩チューブを利用して、北緯32.8度西経15.6度に位置する雨の海エリアの地下に月面基地が建設された。地下にある月面基地というのも何とも可笑しな言い方なのだが、その理由は月の被曝状況にある。初期の開発段階で月面に建設されたドーム型基地での被曝線量は、地球上の年間約2.1mSvの約200倍、年間約450mSvに達した為に長期間居住には適していなかったのだが、地下を利用する事で月面の1/20以下の年間約20mSvまで低下させる事が可能となり月居住が現実となった経緯がある。その際、名称は既に一般化していた月面基地のままとなった。ルナシティは、この月面基地の大半エリアを占めている。

 ニコは、WELCOMEと書かれたゲートを潜って入国した。ここの入国審査は特に厳しく、怪しい輩は入国出来ないどころか即刻逮捕され、地球の強制収容所へと送致される。ニコは、いつもの事なので殆ど顔パスで通過する。

 入国審査口のイミグレーション前で、列車の中にいたのとそっくりな黒尽くめの男がニコに告げた。

「姫、オヤジがお待ちです」

「どこ?」

「ルナシティ・セントラルホテルのラウンジです」

「了解」

 ルナシティは月面基地の内側にあり、決められたエリア外へ出ることは厳禁となっている。例え、宇宙服着用でも原則として不可だ。被曝だけでなく、月の極度に細かい土が宇宙服や機械類に付着する事で故障や事故の原因となり、人の肺に入ると深刻な疾患を引き起こす。その為に、ルナシティは地下都市式建築物となっていて、政府施設や民間施設が全て連結し、その内の一つである民間のセントラルホテルが駅近傍に位置している。その一階のラウンジは、天井が高く宮殿のようなたたずまいで、豪奢なシャンデリアとフカフカな黒光りするソファが来訪者を優しく迎えている。

「ニコ、こっちだ」

 嬉々とした大きな声でニコを呼ぶ父親の声がした。父親はソファに座り、その両横には黒尽くめの服にサングラスの男達が直立不動で立っている。ニコの父親は、民間企業の代表責任者でルナシティ全ての維持管理を行っている。メンテナンスを含めたルナシティ全体の維持管理コストは莫大で、それを政府で賄う事は難しく、必然的に民間に全て頼らざるを得ない。更に、政府が計画しているルナシティ増設計画もまた民間に丸投げされている。

「パパ、お仕事は終わったの?」

「いや、終わってはいないが、お前が来ると言うので抜けて来たんだ。まずは食事をしよう」父親に連れられて、ニコは予約されたレストランへと向かった。階段を上がり、二階の奥にある広い個室で、ニコは男と一緒に食事をした。店内に設置された丸窓から、宇宙空間に瞬く星が見える。

「ニコ。どうだ、調子は?」

「まぁまぁかな、特にどうって事ないね」

「そうか。それは良かった」

「パパのお仕事の調子は?」

「かなり順調だ」

「それは良かった。ママが心配していたから」

「そうか。来週には地球に帰るから、ママとリコと四人で食事をしよう」

「了解。これからリコに会うけど、何か伝える事ある?」

「風邪が流行っているから気をつけるように言っておいてくれ。それから来週の都合も訊いておいてくれ」

 ニコは頷いた。食事を終えて、父親は民間施設へと帰って行った。

 ルナシティは民間施設と政府施設がエリア分けされている。民間施設エリアの先にある政府施設の前まで来ると、政府機関に勤務する姉のリコが待っていた。久し振りに会う姉の顔が綻んでいる。

「ニコ。夏休み旅行の調子はどう?」

 姉のリコが父親と同じ事を訊いた。いつもの事だ。そしてニコも同じ言葉を返す。

「まぁまぁかな。特にどうって事ないよ、黒服の人達もいるからね」

「そうだね」

 お付きの女性が姉に耳打ちした。

「長官、会議のお時間です」

「ニコ、気を付けて行ってらっしゃい」

 そう言って、姉は忙しそうに姿を消した。ニコは父親からの伝言を忘れたが、まぁそんな事もあるさと気にする事もなく、先を急いだ。

 さてと、今回こそ月周遊に出掛けよう。前回は、当日になって太陽風の嵐が激しく中止になったので、ちょっと悔しい思いをした。今日の宇宙天気予報は晴れだ。

 バスは、全体を月の砂と鉛を高密度に圧縮した宇宙線遮蔽材で覆われている。ニコは紫外線防止サングラスと緊急時対応酸素マスクを付けて、ルナシティの外れにあるバス停から月面バスに乗り込む。乗客は、ニコと同じくらいの男の子と女の子がそれぞれ一人づつ、実はどちらもクラスメイトなのだが、挨拶や団体行動は禁止されている。親子連れがいない理由は乗って直ぐにわかる。

 月面バスから見る周囲の景色は一面単調なグレーの砂漠で、決して美しくはない。

「発車します。シートベルトのボタンは必ず押してください。押さないときっと後悔しますからね」

 そうなのだ、シートベルトをしないと後悔する。ニコは以前一度乗った事があり、シートベルトをせずに猛烈に後悔した。当然のようにシートベルトの赤いボタンを押す。座席の横から出たプラスチック製の腕が身体を羽交はがい絞めにする。

 雨の海のルナシティから月面バスが発車した。南方向へ次第にスピードが上がり、直径90キロメートル深さ3700メートルのコペルニクスクレーターの縁までブレーキを踏む事なくフルスピードで登っていく。窓からクレーターの全貌は見えず、唯只管ただひたすらに坂を駆け上がる状況しか知覚出来ない。

 ここからメインイベントのショーが始まった。フルスピードのバスが縁まで達した途端に、いきなり坂が消え、バスは何もない空間にジャンプした。これがバス周遊の一番目のアトラクションで、地球の1/6の重力1.62m/s2を利用したクレータースライダー。空を飛ぶ感覚が人気を博しているが、クレーターの中に放り出された後には当然の如くにクレーター内部に着地する。大概は無事に着地するが、時としてバスがバランスを崩して横転する事もある。乗客が負傷する事はない……らしい。

 事故はないにしても、着地の時にはかなりの衝撃があり、確実に頭をバスの天井にぶつける。それがシートベルトなしでは後悔し、親子連れがいない理由だ。ニコにとって二度目の体験、理屈抜きに気分が高揚する瞬間だ。別の席から浮き立った男の子と女の子悲鳴がする。

 だが、アトラクションはこの程度では終わらない。何と言っても、月面でも有数のコペルニクスクレーターの深さは3700メートルあり、階段状の巨大な穴になっているから、一旦着地した後で更にその穴の谷底に90度で落下して行くのだ。バスからは穴の底が見えない。落ちて行く時間はかなり長い。当たり前の事として、途中で降りるのは不可能だから、単純に谷底へと落ちて行く間に身体を幾つもの感覚が通り過ぎる。興奮、高揚、仰天、恐怖、そして絶望さえ感じて意識を失ったり失禁する乗客もいるらしい。

 バスは真っ逆さまに落ちて行く。とは言っても、流石に衝撃のままに底に激突する事はなく、スピードを緩めたバスはクレーターの底に定位置で停止する。そして、底の縁まで走りエレベーターで月面に戻る。ここで一息つくのだ。中々に刺激的で心が躍る。

 月面に戻ったバスは、再びフルスロットルで走り出す。バス周遊の二番目の行き先は、動物園だ。暫く走ると「アニマルキングダム」と描かれたアーチ型の看板が見えた。

 ここは唯の動物園ではない。かなり前の話だが、ここで飼われていた大蛇がバスの窓を破って運転手を丸呑みした事件がニュースになった。

 その先の看板の彼方には海が広がり、外には断崖絶壁が見える。ここは月なので、海や断崖絶壁などある筈はない。本物のコペルニクスクレーターとは違い、全てはCGで創られている事は先刻承知の上で尚、鼓動は高鳴り心臓が口から出そうになる。

 バスを降り、歩いて動物達と触れ合う。周囲のCGの世界に、クローンで復活した昔地球に生息した生物と太陽系で発見された生物が放し飼いにされている。

 ニコはどれも可愛いと思う。かつて地球上にいたというライオン、ゾウ、キリン、サル、イヌ、ネコ。太古の恐竜T-REX、プテラノドン。火星の生物は、空中に群生している蚊クレックスと砂の中にいる大蛇セルペンス。土星の衛星エンケラドスの間欠泉を住処にしている河馬かばダウル。土星の衛星タイタンのメタンの海を泳いでいるゾウ亀に似たトルタル。木星衛星エウロパの熱水に生息する海豹アザラシポーカ。この動物園は、絶滅した動植物を復活させる実験場を兼ねている。いつか、とんでもないキメラ生物も誕生するかも知れない。

 月の開発は、相当順調に進んでいる。生物は今後も増え続けていくだろう。

 西暦3280年、核融合爆弾の威力をマイナス効果で相殺する『反核爆弾』が開発された。人々の称賛の中で、世界はやっと核戦争の恐怖から解放されたと安堵した矢先、それは逆の効果を齎す事となった。

 勃発した世界戦争で発射された核弾頭を搭載したICBMが主要都市で爆裂すると、反核爆弾のマイナス効果の脆弱性が露呈した。反核爆弾のマイナス効果は、核爆弾の強大な破壊エネルギーを無力化したものの、放射線を消す効果には一定の限界があったのだった。その時点で、全ての核爆弾を相殺出来るとの予測から、通常兵器と同様か、それ以上の数の核爆弾が世界中で使用されるに至っていた。

 その結果、相殺出来ない放射線によって地上は筆舌に尽くし難い悲惨な状況となった。世界の人口は半数以下となり、未だに被曝後遺症に苦しむ人々が数多くいる。

 地球のあらゆる場所は立ち入り禁止区域となり、人のいなくなった地上には緑が繁茂し、動物達の天国となった地球は正に緑の理想的な惑星に見える。高濃度の放射線と見た事のない異形の動物達を除けば。

 そんな状況の中で、何とか危機を回避した人々は地下へと逃げ込み、鉛で放射線を遮断した地下都市群を造った。そして、ワームホールで地下都市同士を繋げ、更には軌道エレベーターと宇宙ステーション、宇宙ホテルを繋げた。最終的に地下都市群と月面基地ルナシティ、火星都市マーズシティ他の宇宙施設が一体となった。

 この世界には、ワームホールによる時空間移動装置が存在する。それならば、起動エレベーターも宇宙列車も反重力バスもいらないではないか、全てが無駄ではないかとのたまう声がある。だが、それは違う。悲惨な地上の現実がありながらも、敢えて無駄と思える移動装置や時空列車から見えるCGで創り出された車窓の風景を体験する、それこそが粋というものだ。

「TAKE IT EASY」を叫びながら、「世の中なんてなるようにしかならないのだから齷齪あくせくしても仕方がない、気楽に行こうぜ」と生きて行く事こそ人生の精髄せいずいだ。

 そして何よりも、それ等を子供の頃から学ぶ事。それこそが、この時代、この世界を生き抜く為に最も大切なのだ。

 地下都市に住む子供達は、一年に一度、夏休みに必ず一人で、地球から月と火星への旅をしなければならない決まりになっている。ニコは、明日朝から火星に行かなければならない。面倒臭くて気は進まないが、夏休みの必須行動なので行かないと言う選択肢はない。月にも火星にも、もう何度も行っているので特に目新しさは皆無だ。月にウサギはいないし、火星にタコもいない。

 月の周遊で夏休みの課題は完了。明日は午前中に火星に行ってから、午後には一時登校日で学校に行かなければならない。

「今日は疲れた。早く寝よう」

 ニコは、そう呟いて眠りに就いた。


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