第42話 決戦

 翌朝。

 俺たちはドゥエゴ火山に向かって出発した。


 昨日の夜、アンナと話した後、密かに心に決めた。

 エルザとメリルにも本当のことを話そう。

 だけど、それは今じゃない。

 今、彼女たちに真実を告げたら、きっと動揺させてしまう。エンシェントドラゴンとの決戦に支障が出てしまうだろう。

 だから――。

 この戦いが終わって落ち着いた時、改めて話そうと思う。


 昼前にドゥエゴ火山へと到着した。

 俺は冒険者時代、何度かこの場所に足を運んだことがあるが、今日は異様なほどの瘴気に満ち満ちていた。


 ――間違いない。奴は必ずここにいる。


 その時だった。

 天を衝くような邪悪な咆哮が響き渡った。

 大気が震える。


「あっ! パパ! 見て!」


 アンナが指さした方角を見やる。

 火山の火口から、飛翔する巨大な黒い影。

 不気味に輝く黄金の瞳。分厚い緋色の鱗。

 威圧感を放つ巨大な体躯。鋭い爪に、筋肉のみっちりと詰まった尻尾。

 忘れない。

忘れるはずがない。

 俺の網膜に十七年間、焼き付いて離れなかった姿。

 エンシェントドラゴン。

 火口から飛び立った奴は、こちらにまっすぐ飛んでくる。地上に降り立つと、遥か高見から俺たちを見下ろしてきた。


「俺たちの存在に気づいていたのか?」

『無論。ここは我の庭だ。お前たちのような力を持つ者が足を踏み入れれば、我はそれを感知することができる』

「この魔物……人語を介することができるのね」


 そう――。

 エンシェントドラゴンは高い知能を持つ魔物だ。


『……お前はあの時の冒険者か』

「俺のことを覚えているのか?」

『我をあそこまで追い詰めた冒険者は、後にも先にもお前一人だ。さしずめあの時の再戦をしに来たというわけか』

「ああ。今日こそは仕留めさせてもらう」

『ふん。そう簡単にいくかな? 見たところ、お前は老いたようだ。もう冒険者としての最盛期はとうに過ぎただろう』


 エンシェントドラゴンは不敵に笑った。


『我にとっては十数年など一瞬にすぎんが、人間はそうではない。最盛期を過ぎた身体で我に勝てるとは思えないがな』

「確かに俺一人だとそうかもな。だが……今の俺には家族がいる。皆の力があれば、必ずお前を打ち倒すことができる」

『面白い。ならば――我に力を示してみよ!』


 エンシェントドラゴンは居丈高に叫ぶと、火炎を吐き出した。

 娘たちの故郷の村を焼き滅ぼした恐ろしい業火。

 それは俺たちを骨ごと焼き尽くそうとする。

 だが――。


「ウォータースプラッシュ!」


 メリルの発動した水属性の上級魔法が、火炎を食い止めた。圧縮された水の渦が火炎と相殺されて霧状へと変わった。


「むふふー♪ 火炎を止めるくらい、ボクにとっては楽勝楽勝♪ ねー。パパー。ボクのことをいっぱい褒めてー」

「はは。この戦いが終わったらな」

『ほう……。少しはできる魔法使いのようだな。だが――魔法を発動される前に仕留めてしまえば問題はない!』


 巨大な爪をメリルに振り下ろす。

 メリルの前に立ちふさがったエルザが、剣でそれを受け止めた。縦横無尽に振るわれる爪の連撃を全て防いでいく。


「パパ! 今がチャンスよ! エンシェントドラゴンは高い魔法耐性があるけど、雷魔法なら比較的通りやすいわ!」


 アンナが馬車からアドバイスを送ってくる。

 彼女もきっと、今日のためにエンシェントドラゴンの文献を調べてきたのだろう。その上で弱点を導き出した。

 俺とメリルは魔法攻撃を仕掛ける。

 メリルが水弾を撃ち込んでエンシェントドラゴンの体躯を水浸しにすると、すかさず俺は雷魔法を浴びせた。


『グアァァァァァァァァ!?』


 よし。確実に効いている。

 俺一人では互角に持ち込むのが精いっぱいだった。

 だが――。

 家族全員で戦うことによって優勢になっている。

 俺とエルザが前線に立ちふさがり、メリルが後衛から次々と魔法を撃ち込む。アンナは俺たちを俯瞰して指示を送ってくれる。


 徐々に、だが確実にエンシェントドラゴンの体力を削っていく。

 戦闘開始時は機敏だった動きが鈍りだし、攻撃を浴びせる度、絶対の盾として機能していた分厚い鱗が剥がれ落ちていく。

 エルザの剣が奴の硬質の爪を切り裂く。

 俺が尻尾を切断したところで、形成が固まった。


『バカな……。こんなはずは……。我が人間風情に押されるなど……! これだけの威力と手数はいなしきれない……!』

「はあああっ!」


 エルザの放った裂ぱくの一撃が、奴の重心を崩した。


「チャーンス♪」


 メリルが土魔法を発動させ、地中から這い出した茨が、エンシェントドラゴンの全身に絡みついて拘束した。

 エンシェントドラゴンは振りほどこうともがくが、逃れられない。 

 今まさに千載一遇のチャンスが舞い降りていた。


「父上! 今です!」

「パパ! やっちゃって!」

「うおおおおおおおおおっ!」


 俺は叫び声と共に地面を蹴り、高らかに飛翔した。

 天に捧げるかのように、握りしめた剣を大きく振りかぶる。

 あの日から十七年間。

 一度たりともお前のことは忘れたことがなかった。

 お前を倒し損ねたことによる後悔を、葛藤を、この胸に溜め込んできた。

 今それを――全て解き放つ。


「これで終わりだ!」


 全ての想いを込めた剣を、エンシェントドラゴンの頭頂部に突き刺す。

 固い鱗をぶち破った。

 脳天から顎先までを一気呵成に貫く。


『ガッ……!?』


 エンシェントドラゴンは呻くような声を漏らした。

 確かな手応えがあった。

 エンシェントドラゴンはぐらりと揺れると、地面に倒れこんだ。山が崩れるかのような威厳と迫力に満ちていた。


 長かった。

 この日をずっと待ちわびていた。

 ようやく、過去の因縁を断ち切ることができた。


「今度こそ、俺の……俺たちの勝ちだ」


 俺はエンシェントドラゴンの喉元に剣先を向けた。

 奴はもう虫の息だった。放っておいても、ほどなく絶命するだろう。けれど瞳の奥の光は未だに力強かった。

 エンシェントドラゴンはちらりと娘たちを見やった。


『そこにいるお前の仲間たち……。彼女たちはもしかして、あの日、我が焼き尽くした村の生き残りか……?』

「ああ。そうだ」

『何ということだ……。我もまた、討ち損ねていたのか……。彼女たちの息の根を止めることができなかった……』

「……どういうことだ?」

『我が長年の眠りから覚めたのは、彼女たちが生まれたからだ。我は彼女たちを殺すためにあの村を襲撃した。それが役目だった』

「なっ――!?」


 今まで俺は、自分がワイバーンと激しい戦闘を繰り広げたことで、エンシェントドラゴンを目覚めさせてしまったのだと思っていた。

 けれど――。

 まだ赤ん坊だった娘たちを殺すためだった?


 エンシェントドラゴンは言った。


『彼女たちは本来――生まれてきてはいけない者たちだった』


 なんだって?


「おい! どういうことだ!?」

『いずれ嫌でも知ることになる。この世界に生き続ける限りな』


 エンシェントドラゴンの体躯は発光すると、粒子となって空に還っていく。

 いくら呼び掛けても無駄だった。

 気づいた時、辺りにはもう何も残っていなかった。


「父上。何か話していたようでしたが」

「ボクちゃんたちにも教えてよー」

「いや……」


 悲願だったエンシェントドラゴンの討伐を成し遂げた。

 それによって俺の胸の中の澱は解けていった。けれど、その代わり、また新たなしこりが生まれてしまった。

 エンシェントドラゴンの今わの際の言葉……。

 あれはいったいどういう意味なんだ?

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