第21話 風呂場での攻防戦

「俺がエルザのことを奪おうとしてる……?」

「そうッスよ! カイゼルさんが王都に住むことになったせいで、エルザさんが騎士団の寮を出ていっちゃったんですからっ!」


 ナタリーは怒り混じりに言った。


「いずれはエルザさんと仲良くなって、相部屋で一つの布団で寝たり、大浴場でお互いの背中を流し合おうと思ってたのにっ……!」


 そんな野望を抱いていたのか。


「そこから恋に発展して、キスをして、イチャイチャして、エルザさんの身も心もうちのものだけになる予定だったのに!」


 妄想が爆発してしまっていた。


「お二人とも。どうかされたのですか?」


 エルザが俺たちを見かねてそう尋ねてきた。


「ひゃ、ひゃい!?」

「何やら揉めているように見えましたが……」

「い、いえ。気のせいッスよ! 気のせい! エルザさんのお父さんとうちが揉めるわけないじゃないッスか! ねえ?」

「あ、ああ。ちょっと剣について議論をしてたんだ」

「そうでしたか。ナタリー。向上心があって素晴らしいですね。父上からは様々なことを学べると思いますよ」

「は、はいッス!」


 エルザは微笑みを浮かべると、踵を返した。

 その後ろ姿を眺めるナタリーは、うっとりとしていた。


「はぁ……。格好良いッス……! しゅきぃ……!」

「ナタリー。俺と話してた時とは別人のようだったな。エルザの前だとまるで借りてきた猫のようじゃないか」

「好きな人の前だと、緊張して上手く話せないッスよ」


 もじもじとするナタリーは恋する乙女という感じだった。

 初々しく、何とも可愛らしい。


「まあ。好きになる相手は人それぞれだし。君がエルザを振り向かせたいのなら、それは陰ながら応援してはいるよ」

「本当っすか!? じゃあ、自宅の場所を教えてくださいッス! 今夜、エルザさんに夜這いを掛けにいくんで!」

「よし。前言撤回だ。応援はできない」

「どうしてッスか!?」

「今、俺の聞き間違いじゃなかったら、夜這いって言わなかった?」

「そうッスよ。夜這いを掛けにいくんです。うちは口下手で、エルザさんを口説き落とす自信がないッスから!」

「それがなぜ夜這いという結論になる?」

「エルザさんを気持ちよくして潮の一つでも吹かせてやれば、身も心もうちの虜になるんじゃないかと思って!」


 ナタリーはグーサインを掲げて晴れやかな笑み。

 この子、まるで童貞少年のような思考回路をしている……!


「俺は親として、夜這いを見過ごすわけにはいかない」

「ええーっ!?」


 ナタリーは心底意外そうな表情をしていた。

 当たり前だろ。

 むしろその反応が『ええーっ』という感じだ。


「いや。恋に障害はつきもの。父親の反対という障害を乗り越えてこそ、娘の恋人にふさわしいということッスね!?」

「違う。どれだけポジティブなんだ」

「取りあえず、カイゼルさん、うちにチューしてくれませんか? ほっぺたじゃなく唇にお願いしまッス」

「え? どうしてだ?」

「カイゼルさんは幼い頃、エルザさんにチューしたことがあるはずです。なので間接キスになると思って!」

「凄い遠回りな方法だな……」

「じゃあ、エルザさんが使っている石けんを教えてくれませんか? グル石けんをする時の参考にするッスから」

「グル石けん?」

「グルメ石けんの略ッス。好きな人が使っている石けんを食べることで、その人と一体化するような気持ちになれるッス」

「ええ……」


 俺は額に手をついて呆れた。

 この子のエルザに対する執念たるや、本物のようだ。

 

 ☆

 

夜。

 自宅に戻り、食事を終えた後のことだ。


「では、父上。先にお風呂を頂きますね」

「ああ。ゆっくり温もってくるといい」


 エルザが自宅にある風呂に入ろうとした時だった。

 窓の外によからぬ気配を感じた。

 俺はがらりと窓を開けて外を見やる。その瞬間、暗闇の中に浮かんでいた影が、さっと身を隠すのが見えた。


 ――あのポニーテールは……ナタリーか。


 まさかとは思ったが、家までつけてきたようだ。

 その上、エルザのお風呂を覗こうと目論んでいるらしい。


「父上。どうかなされたのですか?」

「いや……。俺もいっしょに入っていいか?」

「えっ!?」


 エルザは突然の俺の申し出に動揺していた。


「嫌だったか?」

「い、いえ。むしろ光栄です。ぜひっ」


 ナタリーはきっと、エルザの風呂を覗こうとしてくるだろう。父親として、娘の裸体を見られることは防がなければ。

 俺とエルザは服を脱いでタオルを巻くと、浴室へと入った。


「父上。背中をお流しします」

「気を遣わなくてもいいのに」

「私がしたいことですから」

「じゃあ、お願いしようかな」


 俺はお言葉に甘えて、背中を流して貰うことにした。


「やはり父上の身体はご立派ですね。余分な贅肉が全くついていない……。剣士として実に理想的な肉体です」


 エルザはうっとりとした声色で呟いた。

 俺はその間も窓の外の気配に神経を研ぎ澄ましていた。背後にナタリーと思しき気配を感知したのと同時だった。


「エルザ! 危ない!」


 振り返り、エルザをナタリーの肉欲の目から守ろうとする。

 だが、足を滑らせてエルザに覆い被さる体勢になった。

 俺がエルザを組み敷くような形になる。

 タオルがはらりと剥がれ、一糸まとわぬ姿を晒す。


「ち、父上……その……恥ずかしいです……」


 エルザは白肌を紅潮させながら、ぼそりと消え入るような声で呟いた。両肩を抱くようにして胸元を隠していた。

 いつものような凛とした雰囲気はない。

 その時、窓がすうっと開けられた。


 マズイ!


 俺は慌てて立ち上がると、エルザを隠すために窓の前に立った。

 はらり、と腰に巻いていたタオルが落ちた。

 エルザの裸を期待して浴室を覗き込んだナタリーの目の前に、剥き出しになった俺の股間が飛びこんできた。


「ぎゃああああああっ!?」


 ナタリーは悲鳴を上げると、泡を吹いて倒れた。

 バターン、と倒れる音が響いた。


 ……良かった。悪は滅された。

 無事、エルザを守ることが出来た。

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