第5話 エルザの初陣

 今日は村の広場で剣術大会が開かれていた。

 子供も大人も関係なく剣の腕を競い合う。

 俺は仕事があったので途中から観客として参加した。子供の中に大人も混じった大会で優勝したのはエルザだった。

 他の参加者を突き放しての圧倒的な優勝。

 剣の腕に覚えがある大人ですら、エルザの剣の前では子供のようだった。百回戦っても結果は変わらないだろう。


「いやあ。カイゼル。あんたのところの娘、凄かったなあ! ありゃ天才だよ。将来は名の通った剣士になるぞ」

「きっと、指導がいいんだろうなあ。鷹の子供は鷹になるというか。若い頃のカイゼルの剣を見てるようだった」


 傍にいた観客たちが口々に賛辞を述べてきた。


「俺の力じゃないですよ。あいつの実力です」

「父上っ! 見てくれましたか!」


 試合を終えたエルザが嬉しそうに走り寄ってくる。

 その手にはトロフィー。

 表情は勝利を得た喜びと興奮に上気していた。


「ああ。ばっちり見てたよ。優勝おめでとう。いい剣筋だったな。エルザが普段、休まずに努力をしている証拠だ」

「でも、父上の剣の腕にはまだまだ遠く及びません。もっと頑張らないと。父上に一撃を当てることはできないです」

「はは。その日を楽しみにしてるよ」


 俺はエルザに微笑みかけた。


「あの……約束、覚えていますか?」

「もちろん。もし俺に一撃当てることができたら、エルザのお願いを何でも一つだけ俺が聞くっていうやつだろ?」

「……はい」

「ちなみにだけど、エルザは何をお願いするつもりなんだ?」

「そ、それは内緒ですっ」


 エルザはそう言うと、頬を赤らめて顔を背けてしまった。

 ……何やら恥ずかしいことをお願いしようとしているのだろうか。ぬいぐるみを買って欲しいとかそんな感じか?

 まあ、深くは追及しておかないことにする。

 俺はすっと手を伸ばすと、エルザの頭を優しく撫でた。


「ふぇっ……」


 気の抜けた声が漏れる。

 普段、凛とした顔つきのエルザだが、この時ばかりは頬が緩んでいた。

 俺に撫でられるがままになっていた。


「今日の晩ご飯はエルザの大好きな兎肉のシチューにしようか」

「本当ですか!?」

「ああ。優勝したお祝いだ。腕によりをかけて作るからな」

「お、お代わりをしてもいいですか?」

「もちろん。心ゆくまで食べてくれ」


 俺はエルザに対して微笑みかける。


「――やったっ」


 エルザは嬉しそうに小さく胸の前で手を握りしめていた。


「えへへ。毎日、剣術大会が開かれて欲しいです。そうすれば、毎日優勝してシチューが食べられるのに」

「それは参加者が激減しそうだ」


 毎日剣術大会が開かれたら、身体が持たないだろう。

 俺が苦笑していたその時だった。


「うわあああっ! 魔物が出たぁ!」


 村人の悲鳴が聞こえてきた。

 俺もエルザもはっとしたように目を見開く。

 ――魔物が出ただって!?


「声は向こうの方からだったな……。エルザはここでおとなしくしているんだ。俺が戻るまで動くんじゃないぞ」

「私も行きますっ!」

「――えっ?」

「剣術大会で優勝したんです。私だって父上といっしょに戦えます! だから、私も父上に同行させてください!」


 俺を見据えるエルザの眼差しは、頑なだった。

 何を言っても聞かなそうだ。

 説得するだけの猶予はないし……。仕方ない。


「分かった。ついてくるといい」

「――はいっ!」


 俺が悲鳴がした方に駆けていく後ろを、エルザがついてくる。

 魔物の姿を捕捉した。

 腰の抜けた村人に対して、今にも臨戦態勢になろうとしている。

 それは魔猪だった。

 獰猛な牙に、体躯を分厚い毛皮で覆った、猪の魔物だ。


「ひ、ひぃっ!」

「大丈夫だ! 今、助ける!」

「私も戦いますっ!」


 エルザは率先して矢面に立った。

 勇ましく剣を構える。

 すると、魔猪の意識が村人からこちらへと向いた。


「――っ!?」


 その敵意の篭もった視線に射貫かれて、エルザは竦んだ。

 魔猪が牙を剥きだしにしながら、駆け寄ってくる。――にも拘わらず、エルザはその場から動くことができない。


「あ……あっ……」


 完全に呑まれてしまっているようだった。

 マズイ――。

 俺は咄嗟に地面を蹴ると、エルザの前に立った。

 魔猪の突進を真っ向から受け止める。全身の骨が砕けそうになるほどの衝撃。鋭い牙が右肩口を抉った。


「――くっ!?」


 鋭い痛みが走った。

 だが――。

 ここで退くわけにはいかない。後ろにはエルザがいるんだ。

 俺は気力を奮い立たせると、魔猪の牙をぎゅっと握りしめる。そして数百キロ近くある巨体を持ち上げると、思い切り地面に叩きつけた。


「グモッ!?」


 魔猪が動きを止めたところを、首を掻ききった。

 大量の血を噴き出すと、やがて動かなくなる。

 力尽きたようだった。


「エルザ。怪我はないか?」

「は、はい。でも父上は……」


 エルザの視線は俺の右肩へと注がれていた。


「ごめんなさい。私、何もできなくて……。剣術大会で優勝したから、父上と同じように戦えると思ったのに……」

「はは。気にするな。誰だって最初の戦闘はあんなものだ。今回の経験を踏まえて、少しずつ覚えていけばいい」


 俺は微笑みを浮かべながら、エルザの頭を撫でてやった。


「父上は」

「ん?」

「父上は魔物が怖くないのですか?」

「そりゃあ怖いさ。やられちゃうんじゃないかって思うこともある。だけど、俺には守るべき人たちがいる」

「守るべき人たち……ですか?」

「ああ。エルザであったり、アンナであったり、メリルであったり……。もちろんこの村の人たちだってそうだ。自分のためじゃなく、大切な人たちを守るために戦う――それが俺に勇気を与えてくれるんだ」

「わ、私もっ」


 エルザは声を振り絞って言った。


「私にも大切な人たちがいます。友達のミーナちゃんにイレーザちゃん。アンナやメリルもそうです。もちろんパパも」

「なら、その人たちのために剣を振るえばいい。そうすればきっと、恐怖に打ち勝つ勇気が湧いてくるはずだ」

「……(こくり)」


 エルザは俺の言葉に深く頷いた。

 今日の敗戦はきっと、彼女にとって大切な糧になることだろう。そしてこれからもっと強くなれるに違いない。

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